第20話


「警視殿自ら現場にお出張りとは、一体どんな風の吹き回しだい」


 うらぶれた酒屋への“手入れ”が一段落済んだ後、己は旧知のインキュバスに伴われ、いや連行され、近場のファストフード店を訪れていた。

 窓辺のスツールに並んで座り、夜の繁華街を男二人で見下ろす。

 この男の座する姿は相変わらず絵画の如しだ。若き銀髪の警視、真柴レオン。十年来の腐れ縁。

 奴は紙容器のコーヒーを一口含み、味わうように吐息して肩を竦める。こちらの皮肉に対してたっぷりと勿体付けた態度で仕返しをくれる。


「職務上必要に駆られれば、警視だろうが総監だろうが現場に立ち会うこともある」

「ヤクの捕り物にか? 幾ら現場好きったって限度があらぁ。なによりもお前さんK県警の外特であろう。所属県外の別部署にまで出しゃばってくるなんざどう考えても奇天烈な話だ」

「警察機構の中では確かに珍しいが、近年、外特の県外出向自体はよくあることだ。魔界人種関連の事件には既存の犯罪捜査手法とは別に特殊なノウハウを必要とされる。僕に求められたのは現場の指揮者への教育や管理職の補佐、まあ平たく言えばアドバイザー役だ」

「ほー、縄張り意識の塊みてぇな警察が随分と柔軟になったもんだな」

「頑ななままではいられなかっただけさ。特にこの街は規制緩和以後、渡界者受け入れの規模は首都に次ぐ。それどころか魔界人種との交流の拡大・増加の速度という意味でいえば、地方都市として世界一だろう」

「それだけに外特の仕事は増える一方か」

「……ああ、残念ながら」

「だがするってぇと……やはりありゃただの薬ではないのだな」

「ああ、魔界由来の薬物だ。原料および製法は『魔捜研』で目下分析中だが。その流通を握っているのも、おそらくは」


 異界よりのモノ。

 夜景に目を落としたまま美青年は事も無げに言った。秘匿すべき捜査情報を。


「いいのかい。一般市民にそこまでつまびらかにしちまって」

「お前が一般市民なものか。怪魔の討滅武力が……お前があそこに居たということはつまりなんだろう」

「ああ、無論だ」


 殺生石が関わる事象なれば嘴を挿まざるを得まい。それがたとえ国家公権力、警察機構の責務に横車を押す仕儀になろうとも。

 レオンは苦々しく溜息を吐いた。


「薬物事件にあの石が絡むなんて……厄介だな」

「あれが齎す破滅の力は天象のそれに近いが、それゆえに惑うのだ。人も魔物も。心の惑いにそれは、蛇の如く這入り込む」

「……過ぎた力は、犯罪とは不可分ということか」


 静かに、吐息するように若き警視は呟いた。

 それこそこの男と出会った経緯も、思えば似たような流れをなぞったのだった。

 ほんの十年前。T市内異種人種無差別殺害事件。血臭に塗れたあの事件で、新芽のように青いこの刑事と出会った。冷厳な眼差しと言動、その奥底に焔のような義憤を燃やすインキュバスの青年。

 あの頃より幾分落ち着きを身につけた、ように振る舞うこの男。しかしその中身はちっとも変わらぬ。

 変わらぬ正義を鉄の芯に、背骨を支えるその姿。


「? なんだ」

「いんや。生意気に齢食ったような面ぁしてやがると思ってな」

「はあ? なんの厭味だ、それは……」


 納得とは程遠い顔つきで、しかし次の瞬間にも青年は一計を案じたらしい。


「殺生石がこの一件に関わっているなら、お前を巻き込まない手はない。現地協力者として精々利用させてもらおう」

「おぉおぉ、すっかり悪賢くなっちまって」

「止むを得ない措置だ。あの危険な石を確実に破壊できるのは神甲の揮う神威だけ……刈間ギンジ、お前だけなんだって」

「……」

「十年前に、思い知った……心底歯痒いけどね」


 レオンは笑みを浮かべた。自嘲の色濃い儚げな微笑であった。

 警察や自衛隊といった組織力、兵力の介入を排し、ただ一個人に武力を与え怪にして邪なる存在の撃滅を行わしめる。

 それは疑いなく無法の所業。赦し難いかたきに対し凶手を差し向けるが如き、狂った勅命だった。まさしく天津の神々による謀に他ならない。

 天地破滅の力、世界滅亡の力、大融界現象という災禍の再来、そんなものの存在を世の人々に知られる訳にはいかぬ。それによる世界の混乱は必定であった。

 しかしなにより、なによりも、彼奴らがこの真実を秘するのは────


「お前の戦いはまだ続くんだな」


 ぽつりと、レオンは言った。それはどこか、歩き疲れた子供のような口調で。

 だからという訳でもないが、この顔の表情筋は、主の意思に先んじて妙に穏やかな笑みを湛えるのだ。

 笑って言ってやる。


「いずれ終わる。終わらせる。なんとしても。それが十年かかるか百年かかるかはわからぬが、殺生石は俺が必ず滅ぼし尽くす。この身命が」


 ダイダラに喰らい尽くされるその前に。


「…………」

「カカッ、んな顔するんじゃあねぇよ。どうせ俺ぁお前さんより長く生きるんだ。恥ずかしげもなくな」


 窓ガラスの向こうで広がる人と魔の営みを見下ろす。煩雑であり混沌として、健全な、ありふれて善良な、護るべきものがそこにあった。


「ラヴィン・ハイヴ」

「あん?」


 出し抜けにそう言ったレオンを見やる。

 警視はスーツの懐から薄い紙の箱を取り出し、卓上を滑らせた。

 黒地に金の箔縁をあしらえたマッチ箱だった。その表面には男の言の通りの英語が印字されている。


「近く市内にオープンしたクラブだ。魔界人種の女性がホステスとして人間種相手に接待飲食等の営業をする……とまあ、近年では然程珍しくもない業態の店だ」

「この店が薬を撒いてるってのか」

「残念ながら確定情報はまだない……魔種風営法の施行以来、こういう水商売の営業形態に対する締め付けは急激に強まった。過剰な性と判断されれば即時営業停止の勧告が下る。どころか薬物の売買なんてものが明るみになれば、経営者は勿論、就労資格を持った従業員まで送還対象にされるだろう。そんなリスクを奴らが犯すとは思えない」

「奴ら?」

「そう。ラヴィン・ハイヴの経営母体に当たる。組織の名はコロニー。その首魁は殺人蜂ホーネット種の虫人、ストライクと呼ばれる女だ。現在、外特でも内偵を進めている。さっき強制捜索を行ったバーも、このコロニーの息が掛かった店だった。幸い物証と情報源は取り逃がすことなく確保できたよ。どこかの乱暴者のお蔭でな」

「礼を言いてぇなら聞いてやらんでもないぜ? 暴れていた二人、あれはどうなった」

「意識不明で病院に搬送された。典型的な急性中毒症状だ。案の定、簡易検査ではどちらからも薬物反応が出た」


 レオンはスマートホンを操作して画像を表示した。

 それは車道の対岸から盗撮されたものらしい。部下と思しい虫人に警護されながら、車に乗り込もうとする女が写っていた。

 金の髪、額から伸びる触覚、首筋を覆う金の被毛。人型を残した瓜実の顔貌、そこに埋まる黒々とした複眼が妖しげな美しさを演出している。

 さて、果たしてこの女は、薬を売り捌き腐った金子で私腹を肥やすただの害虫か、はたまた石塊の怪力で世を乱さんとする災禍の種か。

 いずれであれ、検めねばなるまい。


「石が絡む以上、派手に動くことになる。お前さんらを慮って容赦するような真似はできんぞ」

「ふっ、そんなものお前に期待してないよ」

「けっ、そうかよ」


 忌憚のない返答に鼻を鳴らす。

 レオンは控えめに笑声を漏らした。


「何かあれば逐次連絡をしろよ。一般市民を自称する気なら、お前にだって通報義務がある。そして警察ぼくらには市民生活を守る義務がある」

「覚えていたらな」

「ふん、忘れたことなんてない癖に」

「近頃耄碌しててな。いやはや寄る年波には敵わん」

「馬鹿」


 存分に軽口も叩いた。席を立つ。


「ではな。アキ坊とアリアちゃんに宜しく伝えて────」

「ん? どうした」


 立ち上がったまま動かぬ己の様をレオンが訝しむ。

 それに応えず、己は店内の一角、階段横のゴミ箱を注視した。

 欄干とゴミ箱の影に身を潜める者がある。少なくとも当人は、潜めているつもりらしい。

 手に盆を持ち、両腕にはテイクアウトした品が入っているのだろう大きなビニール袋を二つずつ提げている。それがゴミ箱の横合いから丸見えなのだ。

 その姿には見覚えがある。その娘は、先刻現場から逃げようとした己を呼び止めた捜査官の一人だった。


「赤崎君、どうしたんだこんなところに」

「えぁ!? あ……あははは! ど、どうもお疲れ様です警視! こんなところでお会いするなんて、き、奇遇ですね!」

「……まさか僕らを尾けて来たのか?」

「そそそそそそんなっ、ち、違いますよ! これから夜通しで調書を取ることになるので、班の皆に夜食でも、と!」


 赤崎、と呼ばれた娘はその場で直立し、がさごそとビニール袋に邪魔をされながらなんとか敬礼した。

 そうしてずり落ちそうになった制帽をその赤毛に慌てて押さえ付ける。かっちりとしたパンツスーツに合わせるには、紺の略帽というやつは浮いて見えてしまうものだ。

 装いのちぐはぐさ、そして先の毅然とした警官ぶりとは裏腹な、慌てん坊というか、そそっかしい様子がなにやら面白い。

 悪戯心が湧いて、盆の上を指差す。


「ほー、ならばその小山は夜食の前の夕食ってぇ訳だ」

「はっ!? い、いえ、これは、その、小腹が空いたからしょうがなく……」


 娘の手にした盆の上には、バーガーが四つか五つか積み重なり、フライドポテトに至っては広大な砂丘の様相で積もりに積もっている。よくぞ盆の一枚程度に納まったものだと呆れるやら感心するやら。

 己の揶揄いに顔を真っ赤にして、赤崎は口をぱくぱくとただ開閉した。言い訳すら浮かばぬらしい。

 暫時右往左往とした後、娘は真柴に羞恥の視線を、そして己に怒りの矛先を向けた。


「お前に! んん゛っ、あなたに関係ありません! というかなんなんです!? 警視と知り合いのようだが、本当なら現逮で連行するところなんだぞ!? あっ、いや、ですからね!」

「おやおや剣呑だねぇ。俺ぁ一体どんな嫌疑でお縄を頂戴せねばならんのですかな」

「あ、明らかに不審だからだ! それに、そう。それに、現場から逃走を図ってただろう。職質にも応じようとしなかったし、公務執行妨害、です!」

「そいつぁおそろしいや。こちらのお嬢さんはそう仰せだが、警視殿はどうだい」

「赤崎君、この男の処遇については僕に一任してくれと、現場でも伝えた筈だ」

「で、でも、真柴さん」


 なおも言い募ろうとする娘子に、真柴はその上注意を重ねようとはしなかった。

 黙して見返され、娘はしゅんと肩を落とす。まるきり叱られた忠犬の有り様だった。

 それを笑うこちらを当然の怒り顔が再び睨み付ける。


「おぉっとっと、これ以上はどうやら御寛恕賜るなぁ難しそうだ。御用になる前に退散させてもらうぜ」

「ぐ、るるっ……! ぬ、ぐ」


 低い唸り声が響く。獣のような。それを娘は慌てて喉の奥に飲み込んだ。

 その様に見て取れるものもあったが、この上迂闊のことを口にすれば今度こそは噛み付かれるやもしれぬ。とりあえず沈黙を尊び、その場を離れた。


「刈間、前にも言ったが」

「?」

「その御役目が落ち着いた頃でいい、またうちに顔を出せ。アリアがお前に会いたいと駄々を捏ねるんだ」

「……そうだな。近ぇ内に寄らせてもらおう」









 男の背中を見送って、真柴レオンは鼻腔からごく小さく息を吐いた。

 終わらぬ職務などない。どんな責務であろうと、いつかは終わる。いつかは、きっと。

 あの男は人の定命という終着を踏み越えて、未だにその務めを果たし続けていた。

 あるいは、最大の仕事を奴は数十年も前に終えている。怪魔の大首魁たる、あの妖狐を一度は屠った。融界という混沌の元凶をその手で砕いた。

 そこから始まったのは謂わば果てしない残務処理。世界中にばら撒かれた災禍の種、何時何処に現れるとも知れないそれらを一つ一つ潰して潰して潰し続けて。


「あいつの残業は、いつ終わるんだろうな……」

「はい?」


 赤崎刑事は不思議そうに目を瞬いてこちらを見た。次いでその目に、ありありともの問いたげな色が宿る。


「あいつ……あの人、ホント誰なんですか? 見た感じ若そうなのに変な口調だし……怪しさ満点ですよ」


 それは猜疑ではなく、純粋な疑問符だった。

 その純心さに思わず笑みがこぼれる。

 まさか、うっかり答えることもできない。大戦の英雄、この國の最強の盾であり矛。

 怪滅神甲。

 末端はともかく、国家機関公然の秘密。國に仇為す脅威を討滅する為の武力装置。その正体があれだなどと。


「ともかく、奴には関わらない方がいい。君が僕以外の上司へ報告を上げることまでは止めないが」


 仮に刈間ギンジを被疑者ないし参考人として捜査したとしても、その結果や報告はある段階で差し止められ、葬られる。

 そういう仕組みになっている。


「…………」

「それより、いいのかい。せっかくの差し入れが冷めてしまうぞ。夜通しで調書の作成もあるんだろう」

「あっ! え、えっと、私はこれで失礼します!」


 飛び上がった彼女が踵を返そうとして、テイクアウト以外のバーガー類を見て動きを止める。

 たっぷり十秒間逡巡した後、彼女はフライドポテトだけ三秒足らずで平らげて、敬礼しながら走り去っていった。


「やれやれ」


 その素直さに呆れるやら微笑ましいやら。コーヒーを飲み干しながら、レオンは今後の事件の荒れ模様と、加速度的に訪れるだろう進展を想像して溜息を吐いた。

 そして彼は、後日に大いに悔いる。年若い部下に宿った青い正義感、その素直さを見誤ったこと。彼女にはもっとしっかりと釘を刺しておくべきだった、と。









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