第17話

 外殻、骸骼がいかく、内骨格との癒着・融合および同期────完了。

 五体に埋設した五つの神象顕現光砡に対する霊魂との経絡接続────完了。

 神甲、完然。

 五体に満ちる神威のいぶき、溢れ漲る力が高熱を発し、それを装甲各所に点在する排熱孔より噴き出す。

 はがねの吐息は紛れもない戦気の発露である。

 己が頭上、夜天を覆うほどの巨躯を仰いだ。今宵この身が粉砕すべき敵を。怪なる力を。

 無数の蛇を蠢かせ、大悪魔の権化の如き異形が、しかして退く。たじろぐ。


『神造、兵装……コノ国ノ、神ノ鎧……!?』

「然り」

『ソンナモノガッ、ドウシテ!?』

「知れたこと。その身に埋めた殺生石を」


 蹴り足が大地を沈める。同時に、背部推進剤噴射孔が火を噴いた。

 爆発的推力により刹那、間合が詰まる。それは絶好、拳の打ち間。


「討ち滅ぼす為だ」

『ッッ!?』


 下方から右仰打アッパー

 それは接触するや対する巨体を上空へと跳ね上げた。


『ギィィイイ!!?』


 強圧縮した大気の塊を拳に込め、打撃の瞬間に解放した。

 “烈風”の右拳は風を操る。

 戦場は上へ上へ、雲を抜け夜空の高みへと移る。

 殺生石の妖力によって異形へ変じたかの娘の威力は刻一刻増すばかり。地上でその暴威を奮われれば、被害は量り知れぬものとなろう。


ここならば存分に仕合えよう」

『ホザケェ!! オ前ナドニ! 私達ノ永遠ヲ! 私達ノ未来ヲ邪魔サレテタマルカ!!』


 魔の化生と為った娘子が怨念の塊のような叫びを発する。

 その瞬間、群生する蛇がその腰元より溢れ出した。聞くだに悍ましい擦れ掠れた気息の音が無数に響く。鋭利な牙を剥き、射掛けた矢の素早さでそれらは襲い来る。

 眼前。口端裂けんばかりに開かれた蛇のあぎと無数。視界を今、埋め尽くした。

 退がったところで詮もない。蛇はおそらくあの巨体から無限に

 かわすと言うは容易いが。為し得るは至難。

 疾風では囚われる。

 ならば。


「“武雷ぶらい”」


 一言、名を呼ばわる。それは左脚、膝に埋め込まれた黄金の光砡。空気を引き裂く鳴動、空間を裁断する閃光が溢れ出す。

 それは雷。天象の為せる御業。

 “武雷”の左脚は雷を操る。

 左脚より生じた電荷は瞬く間さえ許さず全身へ行き渡り、装甲にある変質をもたらした。

 白化する。全てが白い光に。

 我が身が雷そのものと化す。


 ────迅雷


『!?』


 間隙絶無にも思える蛇の群。しかしそこにも僅かな隙がある。蛇体が身動ぐ為の、ほんの僅かな空洞が。

 割り込む空間さえあるならば委細問題はない。

 はしる。はしる。空間を寸刻むが如くに一条の電雷と化して蛇の道を越える。

 行き掛けの駄賃とばかり、擦れ違い様に蛇の頭を蹴り潰す。それを足掛かりに次の蛇の頭を潰しさらに次へ。次へ。

 瞬機にて五十余り、蛇を退治て今、魔人本体に肉薄した。

 体を捌き足底から蹴り込む。


「轟脚」

『グ、ギャッ……!?』


 迅雷の速度で、蹴り足が魔人の腹に突き刺さった。

 潰れた蛙さながらの呻きと涎を吐き散らし、巨体が空に踊る。

 三対の翼が宙を撃ち、見えぬたたらを踏むかのように留まった。その腰元で頭を失った無数の蛇の首から血とも汚濁ともわからぬ液体が噴き出しては止まらぬ。


『グゥッ……コンナ、コンナモノデェ!! 私達ハ止マラナイ! 諦メナイィ!! アアアアアアアアア!!』


 虚空を満たす悲願の叫びに応え、蛇共の頭が、骨を接ぎ肉が生え皮が張る。微かな傷の名残すらなく、凄まじい速度でかの肉体が再生する。

 牙が、眼玉が、その健在の憎悪が己を狙う。


『外皮硬度の異常な上昇を認む。生半な手傷は彼奴に超回復の機会を与えるだけだ。一撃で総体を滅せよ、ギンジ』

「……」


 烏の忠言は確認行為に過ぎない。もとより殺生石によって現象した異形を討つにはそれ以外に方途はあらぬ。再生と増殖と強化、単純極まる強烈無比の能力。破滅という終着へ至るまでの限りある時間を、最大最高最凶の効率を以て無尽の災禍に変える。

 滅却。それだけが、あれを止める術。

 だが。

 今、この拳を止めるものは迷いか、それとも躊躇か。

 否。拳を握り固める。覚悟を込める。己の責務をここに果たす。

 魔人は先刻の焼き直しを嫌ったらしい。蛇の、そしてその自らの口腔を晒した。

 大気が揺らいでいる。それは明らかな、過大な熱量の発露。


『燃エロォオオオオ!!』


 炎。炎。炎。

 居並ぶ口という口から火炎が放射される。

 それもただの火ではない。どす黒く、触れた端から空気は瘴気へと変わり空間そのものを貪る悪辣さ。毒。毒の炎。

 夜空の群青を侵食する黒い赤紫の炎。それは化学物質としての毒性のみならず、憎悪と怨嗟を源に練り上げられた呪詛でもあった。

 しかして神甲は破邪の防護まもりを有する。如何な呪毒の炎であろうとも、これを脅かすこと能わぬ。

 問題は、装甲の堅牢性に甘えこれらの対処を怠った場合、その全てが地上へ降り注ぐということだ。

 風で散らすか? 論外。被害の範囲を手ずから広げる最悪手である。

 この儀、雷では物の役にも立たぬ。

 ならばもう一手。札を切るまで。


「“紫水しすい”」


 一声、そして霊魂より呼ばわれば経絡を通じ、右膝に埋まる光砡が蒼く輝き目覚める。

 この儀、この場に欲するのは水分。眼前で放散される大火焔を消し去り押し流す単純明快、純粋無比の大物量からなる水。

 “紫水”の右脚は水を操る。

 間合の内に存在する水────水に類するあらゆる液体を手足の如く自在に動かすことは序の口。この右脚の神髄は、その生成力。

 無より生まれる大瀑布。我が右脚の一踏みは、暴れ川を起こす。


龍呵おろち!」


 蹴り足が宙を打つ。その足下より溢れ、暴れ、流れ出す水。山河の氾濫に匹敵する大質量。大放水。

 対する巨躯、その吐き散らされる大火焔をも呑み込んでなお余る。


『ナァッ!!?』


 空に踊り出た流水は、それら全てを包囲し、圧し潰した。

 “紫水”より生成される水は謂わば御神水。毒であろうが呪であろうが為す術もなく打ち消し無に帰する。地上には少々煤けた雨が降るだろうが。

 水に巻かれた魔人が水中で藻掻く。呼吸不要なその異形とて、清めの水に浸けられればさぞ苦しかろう。


『今だ! “武雷”の電撃にて止めを討て。どれ程の再生力と外皮硬度を誇ろうとも、全身を内外から焼き切る電流の前には無意味。そして“紫水”より生成した水に宿る神気を通せば効果は相乗しなお絶大。これは絶好機ぞ、ギンジ』

「否」

『! なんと』


 刹那、烏が息を詰め、反問する。その険しく尖る眼光が見えるようだ。


「今“武雷”の電撃を浴びせれば、内部に囚われた者らの生命をも絶つことになる」

『もはや猶予はない。殺生石の妖力はかの娘が異形と化した段階で極点の目前に迫っていた。のオードが潤沢過ぎたのだ。一刻も早く滅却せねば、この空間に甚大な被害を齎す』


 然り。全く然り。烏の謹言に異論を差し挟む余地は無い。

 時空間を歪め、その有様を壊す殺生石。これの増長を野放しにすればどうなるか。どれほどの災禍、どれほどの破滅を産み落とすことか。数千、数万では終わらぬ死が。この國、人界にまた一つ黄泉へと堕する穴を穿つことになろう。

 たった二人、たかが二つの生命、それらの犠牲を以て災禍の種を、それが芽吹きを迎える前に枯らすことができる。

 熟考の要もない正理。そして神命。この神甲に、天津の神々が期するもの。

 だが。

 だが────


「忘れまいぞ、彼奴らの大言壮語」

『……』

「『國土を護り、國民を護れ』と。我が身を贄とし、地の神の骸を掘り起こし、このはがねを御仕着せた」


 それは契約だ。己が望み、神々が利用した。互いの利害、目するものが偶さかゆえの仕儀。いやさ、ただの成り行きだった。

 だが、それでもやると決めた。

 やりたいからやってやる。護りたいから護る。ただそれだけ。ただ、それだけの。


『ウゥゥガァアアアァアアアァアアアアッッッ!!!』


 魔人は満身の力で、その身を取り巻く水の膜を引き裂いた。夜空に再び憎悪の咆哮を響かせながら。

 そう。そして、あれもまた。


「好いた男と共に生きたい。好いた女と添い遂げたい。あの娘と小僧めの、ささやかな、今や破れちまった夢だ。そしてこの國で一度でも、想い人との安住を夢見たと言うなら……あの子らとてもまた、國民よ」


 未だここに在る。今もここで、叶わぬ夢を求め哀切に泣くのなら。それは己が護るものの一つに過ぎぬ。

 ゆえに。

 この拳が討ち滅ぼすものもまた、一つ。

 國民を、俺達を惑わし、想いと願いを貪り喰らう混沌の原石。その怪しき力を。俺は憎む。俺が滅ぼす。


「“灼火しゃっか”……!」


 霊魂から経絡を通じ、左拳へ。拳に埋まる紅の光砡が目を開く。同時に溢れるは火気。夜気を貪りながら燃え広がろうとする灼熱の炎。

 油断すれば一挙に、爆轟と共に暴れ出そうとする力。左腕の経絡を、そこから繋がる霊魂そのものを焼き焦がす壮絶なる炎熱。

 それを握り潰す。御し、圧し固め、制する。征服する。

 “灼火”の左拳は炎を操る。

 全てを焼き尽くし、全てを吞み下す。火焔の申し子、カグツチのほむら也。


『ナンデダヨ!? ナンデ!? ドイツモコイツモ、ナニモカモガ私達ノ邪魔ヲスル!!?』


 妖力が夜空に放散される。その内部より無限に湧き上がる力、怪力を遂に持て余し、その異形体にさえ収め切れずに。

 肉が膨れ上がる。四肢が伸び、筋骨が肥大する。魔人の巨大化は止まらない。

 その下半身より群生する蛇は、分化増殖、そしてまた融合を繰り返し、もはや不定形の触手に成り下がった。

 翼が夜天に広がる。黒く、翼膜と羽根の二種三対。魔族たる象徴には幾重にも妖力が織り交ざり、羽撃一掻きで周辺全てを薙ぎ払ってしまうだろう。

 増大するばかりの力で、しかし、娘の願いは叶わない。


『タダ一緒ニナリタイダケナノニ!!』


 その願いだけが、断じて叶わない。


『コノ人ガ好キナノ! ケンクンガ、好キなだけナのに! それの、それのなにがいけないって言うんだよぉ!!!』

「ああ」


 ベールの下の顔に亀裂が走る。まるで涙のように頬を伝う。許容量を超えた妖力は、自壊の修復すら叶わず漏れ出ていく。


「お前達の真心に間違いなどない。なれど」


 切なる願いを叫び、その肉体を崩れさせながらそれでも、胎内に抱いた愛する者を断じて離さない。

 なれど、なればこそ。

 その悲哀を、理解する。その幼気な愛に言祝ぎを思う。

 しかし。


「滅する」


 その願いを、これ以上喰らわせはしない。穢させはしない。

 左拳、そして右拳。二つの光砡に神気を叩き込む。

 深紅あか深緑あお。夜空を満たすは二色。たった二つの色彩が溢れて止まぬ。


『しかしギンジよ。灼火を用いればあれの外皮どころか、総体の完全滅却は必定』

「応よ、相も変らぬじゃじゃ馬の左だ。ゆえに一工夫凝らすとしよう」


 この“烈風”の右で、“灼火”を御する。


『殺生石の位置は確かに捕捉している。だが、あの少年が、あの巨体の何処にあるのか、その正確な位置を掴めねば……お前の企図は成就しまい』

「案ずるな。縁はある」


 少年の、なんとも切実で、ややもすれば滑稽な、少女には内緒の密かな努力。


 ────い、言えるわけないでしょ! こんなっ


『なに?』

「因果はきっちり応報した。あの小僧の願いは、確と……この身に届いている!」


 背部推進剤噴射孔、全開放。

 経絡直結、神気最大火力にて発破。

 眼前の、悶え、苦しみながら、それでも決して諦めぬ。怪力乱神の異形にして、ただの一途な乙女に、吶喊する。

 それは総滅のとない。


清祓しんぎ、極天……」


 全経絡に走る力。肉を、骨を、なによりこの魂魄を焼き溶かすほどの、純粋無垢な力。

 神力の極み。究極の解放を、今。


『私はっ、私達はぁぁああぁぁぁぁあぁぁぁああああああっ!!!』


 叫びはさらなる力を、純粋なる怪力を放出する。熱線、閃光、雲を断ち割り空間を裁断するエネルギー波。

 それを越える。避けはしない。正面から受けて立つ。

 高速の突撃。一心不乱の直進突。当然に被撃は免れず、怪光線は装甲表面を存分に打ち、焼いた。

 しかし止まらぬ。断じて。

 この拳に誓った覚悟を貫徹する。

 瞬時にして間境。巨躯を目前に、その巨大な腕が降り落ちる。

 しかし、寸毫の差。

 こちらの拳撃が、早い。

 それは右から、そして左の。刹那の二連打。

 右拳が外皮を打ち割った。それは僅かな亀裂に過ぎない。それで十二分。“烈風”の右拳で風を流し込む。

 左拳に、灼熱の火焔を宿す。止めの一打。それこそは極天おわりの型。


「“百火凌嵐ひゃっかりょうらん”ッッ!!」


 神気宿せし神の風に、神威の焔を着火すればどうなるか。それも、強固に密閉された外皮の内側で。

 魔人、その異形の躯は────爆発四散した。

 散逸し、解体する巨体。その奥へと進撃する。

 本体、メイヤノイテ。その身に食い込む怪力の源。殺生石へ手を伸ばす。

 娘はこちらを見ていた。愕然と、息を呑み。


「っ!?」

「滅」


 委細構わず、その左胸を抉った。















 夜空は未だに神の焔が舞い踊り、妖力の残滓を逃さず残らず貪りながら赤々と燃え続けている。

 それを花火でも見上げる心地で眺める。両腕に、少年と少女を抱えて。

 ゆっくりと地上に降り立った。

 気を失った少年を地面に横たえ、その隣に同じく眠れる全裸の少女を添え置く。


「ハッ、この小僧も存外に豪胆だな。暢気な寝顔しやがって」

『なるほど……指輪か』


 不意に、ひどく得心した呟きが頭蓋内に響く。


「ああ、後生大事に身に着けておったお蔭で、此奴の居所を掴むことができた」

『そして紫水の大暴流を浴びせたのは鎮火の為だけではなく、内部の子らを百火より護る為でもあった、と……縁とは、よく言ったものだ』

「情けは人の為ならず。巡り巡った善因が善果を呼んだ。めでたしめでたし、ってな」

『偶さか上手く事が運んだに過ぎない。図に乗るな』

「カッカッ、こいつぁ手厳しいや」


 娘の胸元には赤々とした傷痕が残った。“紫水”より生成した快癒の神水によって深傷ふかでは塞いだが、ここばかりはただの外傷と同じようには行かぬ。玉の肌に、それは永遠に残るのだろう。

 しかし、どうか。

 この傷こそは、娘の覚悟。この少年に対する愛情の深さ、その顕れ。そうも思えてしまうのだ。

 寄り添い眠る子ら、その穏やかな寝顔に一吹き笑う。


「末永く、お幸せに」


 この先もきっと、その道のりは容易ならぬ。

 だがきっと、この子らは幸福に辿り着くだろう。決して決して諦めぬ。その覚悟は今宵、存分に見せてもらった。


「ま、駆け落ちの手伝いくらいはしてやるさ」


 処置無しと、烏の呆れた溜息が聞こえた気がした。






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