第14話


 想定される最悪の事態はただ一つ。“石”の覚醒。それによりもたらされる万象一切悉くの破壊────破滅だ。

 あの石に備わった唯一の機能。生みの対極、創造行為の絶対否定。積み上げられた秩序という礎を打ち崩す混沌の槌。

 災厄、災禍、災厄、災禍。そして、その果てに虚無。

 言葉は幾らも尽くせるが……つまるところ碌なことにならない。

 人口密集地、まして学校内で石の力の解放を許せば、その被害は計り知れぬものになるだろう。迂闊な行動は厳に戒める必要があった。

 とはいえ登校後、目的の人物を捕縛する機会を窺うまま早、放課後を迎えている。慎重を期したゆえに巧遅を気取ったが、臆病と揶揄されたとて返す言葉はない。

 校内に残る人間が最低限になる時刻に、かつ当該人物を一人で、人気のない場所へ誘導する。己が名指しで呼び出しなどすれば、対手は最大級の警戒を抱き、悪くすれば逃げられていたろう。


「お役目とはいえ、生徒を騙すのは気が引けますね……」

「悪ぃな、因幡先生」


 歴史兼魔術史担当、アルミラージの因幡教諭は表情を昏める。

 現在、我々の佇む第二学舎は幾つかの大講義室を除けばその殆どは資料や教材用倉庫、準備室が主。平日とはいえ放課後、一時ばかり無人状態にするのは不可能ではなかった。

 急場で拵えた『空調整備中』の立て看板は、我ながら良い出来栄えである。


「殺生石は発見次第即時滅却。保有者の抵抗如何によってはその排除も許容する。それが上政所と“ミナカ”よりの勅命です」

「その要不要をこれから確かめるのさ。現場に面も見せねぇ上役連中にそこまで指図される謂れはねぇ」

「……聞いてた通りの人ですね、刈間ギンジ」

「へぇ、己の何をお聞きだぃ」

「変わり者、偏屈屋、命令無視は日常茶飯事で、穏便に片付けられた筈が甚大な被害を伴って終わった案件も一つや二つじゃない、制御の利かない武力装置」

「カッ、酷ぇ言われ様だな」

「そして根っからの……神嫌い。大戦の英雄、日ノ本の守護者、國防の要、だのに、天津神に対する信仰心をまるで持たない人間」

「雇われの私兵風情に愛社精神なんざ求められてもなぁ。斯く言うあんたはどうなんだい、兎さんよ」

「私の一族が代々報恩を奉じ信仰で拝する御方は地上に坐すので。天上のお歴々のことは存じ上げませんね」

「カッハハハハ! あぁあぁ、そうだったな」


 傾き始めた西日。影の色濃い廊下を行く。

 その己の背に、童女のような幼気な声で先生は言う。


「事情はどうであれ、今は貴方も私の生徒の一人です。無理はダメです……彼共々、どうかご無事で」

「承り申した。最善を尽くそう」


 衒いのない思慮に送られ、学舎の最果てへ、大講義室の扉に手を掛けた。








 講義室は正面の黒板ディスプレイに向かって半円のすり鉢状をしている。

 目当ての人物の背中は、長卓の最前列の端に行儀よく座っていた。

 気配は殺さず、足音は努めて粗野に。こちらの存在を殊更主張してやると、背中はしっかりこちらを振り仰いだ。


「御子神ケンヤ」

「えっ……か、刈間、くん」


 青瓢箪の、ひどく幼気な顔立ちだ。その印象は初対面から変わらない。

 少年は驚き、席を立って後退る。


「ど、どうしてここに。先生は?」

「なぁに、己の方でお前さんにちょいと用があったんでな。内々に済ませたいと、因幡教諭にお骨折りいただいたのよ」


 笑みを向けてもケンヤ少年の顔色は快調しなかった。青く、暗む。


「……僕に、何の用ですか」

「あれからどうだ。指輪の使い心地は」

「は? ゆ、指輪?」


 虚を衝かれた顔で少年が目を瞬く。

 当店のお得意様はひどく戸惑っておいでだ。


「そうさ。似非商人あきんどとはいえ売り物が客をきちんと満足させたかどうかくれぇは、気になるもんでな」

「そ、そうなんだ……大丈夫。というか、その、彼女からはすごく、かなり評判よかったよ。いろいろと……ま、満足してるし、刈間くんには本当に感謝してるよ」

「そうかい! いやそりゃなにより。なによりの言葉だよぅ」


 己の笑みは白々しくはなかろうか。尤もらしく吐く喜ばしげな言葉は、実に性質の悪い本音の覆いに他らなぬ。

 講義室の中央に渉る階段を下りる。席を立ったケンヤ少年もまた、階下で己と差し向かった。


「よ、用はそれだけ? じゃあ、僕はこれで……」

「いいや、帰してはやれん。その石を寄越すまでは」


 少年が凝固する。愛想笑いが凍り付き、目ばかりが凝然と見開かれていく。


「……石? ごめん、なんのことかな。僕には心当たりがない」

「先夜、繁華街の路地で会ったことも忘れちまったかい」

「忘れたもなにも、僕はそんなところ、行かないから……」

「その指輪、己の御手製ってぇやつでなぁ。イシコリ……知り合いの鍛冶師に教わって己が拵えた。いや拙い手妻で恥ずかしい限りよ。こんなものを売り物にするなど恥を知れと、かんかん怒鳴られたもんだ」

「意味が、わからない」

「悪さをするなら、装身具はなるべく帯びるな。物から足が着いちまう」


 汗を滴らせて、後ろ手を隠す少年を指差した。


「下手人は指輪を嵌めていた。お前さんと同じ中指に、己が造ったこの世でたった一つの、その不細工な指輪をよ」

「………………」


 奉行を気取って証拠を突き付け罪の在処を咎める。何様だと、笑う外ない。

 笑い話にできたなら、己の無様な早とちりと揶揄できたなら、それでよかったのだ。

 そうはならなかった。

 そして少年は、糾弾された罪を認めた。認めた、が。

 こちらを見上げるその目には、罪科に対する悔いはあっても、諦めだけは何処にも見えぬのだ。


「……これは、この力は、渡せない」

「……」

「これは僕の、僕らの希望なんです」

「希望? カッ、そりゃまた随分ちまったもんだ」

「刈間くんにはわからないよ。僕みたいな、凡人の気持ちなんて……!」


 語気を荒げて少年が階段を一段踏み付ける。己の見上げる者、あるいは己より高きに存在するあらゆるもの、届かぬ世界に憤怒して。


「この力で僕は変わらなきゃいけない。弱い僕を、ぶち壊してでも僕は……僕は!」

「!」


 少年はブレザーの懐へ手を入れた。その内側の何かを握り締めた。

 何か。


「僕は魔界に行かなきゃいけないんだ!!」


 跳躍、一歩で接近は叶う。詰め寄り腕を捻じり上げ、床面に引き倒す。可能だ。

 一歩分の暇、それを甘受すれば。対手の一挙動よりもこちらは速い────否。

 それでは間に合わぬ。己が移動を開始したその半ば程で既に、対手はそのを終えてしまう。ゆえに。

 腕を下方から掬い、振るう。袖口からその小粒な、分銅を投擲する。細いワイヤーを伴って。

 それは空中を射掛けた矢の如く飛翔し、鋼糸の軌跡を引きながら真っ直ぐに、下方へ。

 少年の右足首に巻き付いた。


「え!?」

「いよっとぉ」

「うわぁ!?」


 ワイヤーを引き込み、吊り上げる。階上と階下という位置関係も手伝い、少年は足を跳ね上げながらもんどり打って倒れ込んだ。

 その間に駆け寄る。倒れた少年の足を掴み、上履きを抜き取った。


「あ!?」

「流石に同じ手は二度も喰ろうてやれんでな。ほう、やはり」


 靴の中には薄い靴ベラが嵌っていた。そして、その表面には幾何学を組み合わせた円の文様。魔術の陣であった。

 転移の魔術陣。


「触媒は持ち歩かず、踏み付けた足下に召喚しその上で傀儡と成す寸法か。悪くねぇ工夫だ。一挙の動作もなく行動でき、迂闊に近寄った者には不意を打てる。そして」

「ぐ、あっ」


 懐深く仕舞われたその手を掴み出し、手首を極めてうつ伏せに組み敷く。

 小さな革袋。この袋自体も何らかの隠匿の魔術が施されている。中身を外気から密め、衆目から隠す為の。


「術の源力げんりきと発動体を兼ねるモノ」

「か、返して!! それは、それはぁ!!」


 膝で両腕を踏み付けられ、地面に縫い留められたままそれでも、少年は藻掻いた。

 少年の悲痛なまでのその叫びを黙殺し、袋を開ける。


「! これは……」

「返してよ! お願いだからっ、それは僕の……それは僕とメイヤの!」


 袋の中にあったのは、石ではなかった。講義室内に差し込む茜の西日を押し退けて立ち昇る、異彩。

 一時とて一定しない色の混淆。玉虫色の光を放つそれは、砂だった。

 だが、この香気。不快な鋭痛を項から全神経に注ぎ入れるかのこの気配は、確かに殺生石のそれ。

 知っている。己はこれを。この始末に悪い物体の存在を。


「殺生石の残滓か! だがこの量は」


 掌一杯分ほどの砂粒らは、それでもなお禍々しい力を垂れ流している。

 殺生石が放つ瘴気は謂わば揮発した妖力そのもの。異次元から現界した石の妖力は外気に触れることで再結晶化する。無論、それはあくまで石の怪力の副産物でしかない。原石の含有する力には遠く及ばぬ。

 妖力の結晶化、物質化などという現象がそも法外、埒外の事変。本来相当の時間を掛けねば、ここまでの量の残滓が集まることはまず有り得ん。

 あるいは。

 石を極度に活性化でもさせぬ限り。

 少年の胸倉を掴み、眼前に持ち上げた。


「こいつを何処で手に入れた。いや、誰から掠め取った」

「っ! …………」


 少年は一瞬、怯えに身を震わせる。そうして視線を俯かせ、口を閉ざした。

 だが確かめられた事実も一つ。やはり、石の保有者は別にいる。

 その時、頭蓋の内に念の声が響いた。


『ギンジ、腕輪の根を見付けた』

「お前さんにしちゃえらく時間を喰ったな」

『廃棄された工場が丸ごと強力な多重結界によって覆われていた。その突破に梃子摺ったのだ』

「厳重な守りだこった。中にはさぞ、珍重な代物が仕舞われていたのだろうな」

『否。ここにあるのはオードの貯蔵用魔石と製造された腕輪だけだ』

「石の痕跡は見えぬか」

『ここにはない……残滓すら見えぬ』


 静かに、声音が歯噛みするのを聞く。

 おそらく、敵方は必要な分の腕輪とオードを既に確保しており、その工場の要はとうの昔に失せた後なのだろう。あるいは、我らの如き者共、追跡者の目をそちらに向けさせる為の囮として残した。

 まんまと一杯喰わされた訳だ。

 握り込んだ胸倉をさらに引っ張り上げ、少年を立たせる。


「石、いや、この砂は何処にあった。この砂の出元は、誰が所有していた」

「…………」

「庇いだてるような相手か。それならば尚の事、お前さんは一刻も早く口を割った方がいい。手遅れにならぬ内に」

「……手遅れ?」

「ああ、遠からずそいつは死ぬ」

「!?」


 驚愕が顔中を震撼し、少年は息を呑んだ。


「う、嘘だ」

「……」

「でも、だって、そんな、そんなの」


 その事実には、証し立ての為の言葉は要らぬ。石を使い、その力を解放させた者は死ぬ。例外はない。

 己が周囲のあらゆるものを巻き込み、この世から消滅する。


「殺生石、そう呼んでいる。字義通りの、それだけしか能のねぇ忌まわしい石塊よ」

「そ、それ、って……」

「そうだ。あれの齎すものは一つ、たったの一つ────破滅だ」








 放課後の講義室、窓辺の席に座ったその少女は、紅く暮れなずむ空を見上げていた。

 学年一と言ってもいい美貌を、憂いが彩る。メイヤノイテ。彼女を知る誰もが彼女に惹かれ、彼女に敬服する。眉目秀麗、そして頭脳明晰、文武両道の才覚に溢れ、物腰は柔らかで、かつ軽やか。無欠の、完璧な、魔性。厭味すら浮かばない。僕なんかとは、生物として存在から掛け離れている。実際そうだ。彼女は高貴な魔族の令嬢。凡人以下の人間種の僕とは違う。違う。違うのだ。

 溜息を零したくなるくらいに綺麗な、絵画の中にしかない光景をそこに見た。

 けれど。

 けれど僕はどうしてか、感嘆よりもむしろ胸騒ぎを覚えた。焦燥にも似た感覚。

 放って置けない。彼女を。

 でないと、彼女は。

 どうしてそんなことを思ったのか。なにをとち狂ってそんな発想に至ったのか。わからない。

 わからないのに。僕はその訳のわからない焦燥に負けて、彼女に声を掛けていた。

 ただ、ただ心配で。


「だ、だ、大丈夫……ですか?」


 ただただその横顔が、辛そうで、痛そうで。

 だったから。





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