第13話


 朝らしい、と呼べなくもない。路面を汚す吐瀉物、道端に転がる酔っぱらい、帰宅の途にのっそりと現れるホストやホステスの疲れた顔。それら早朝の風物詩を後目に、繁華街を抜ける。

 駅前に辿り着けば、出勤するサラリーマンやOL、登校中の学生が大挙する。

 気怠い朝の風景に雑ざり、仮初めの学徒たる己もまた登校の流れに乗り合う。

 その時、頭蓋を揺さぶる念の鳴動を聞いた。


『あの娘、いつまで傍に置くつもりだ』

(カッ、開口一番になんだ)


 水晶めいて澄んだ声音が、一層硬質になっている。そこに滲む苛立ちを表すかの如く。

 肩の上から響く声ならぬ念に、こちらもまた同様に応える。


(住まいを同じくすると話をつけてからほんの何日かだ。お前さんにしちゃあ随分と堪え性がねぇな。えぇ?)

『あの娘の言、出任せでないと言い切れるのか』

(同情を買う為に、か? あれが演技だってんなら、まさしく千両役者の才覚よ。どこぞの芝居小屋……今はなんと言うんだ? 劇団か? そこいら辺りにいっちょ売り込んでみるかい。いい活計たつきになる)

『何かしらの企み事を持ち、お前に近付いたのやもしれん。先の天使などは何を思うてか自らその意図を宣言したが。魔界の謀略者共が同じようにトチ狂っている保証はない』

(それならそれで構わん)

『……正気で言っているのか。豹変し、いつ寝首を掻きに来るとも知れん者と』


 隠れ身を為して姿無き烏の、唖然とした顔が目に見えるようだった。


(おうとも、正気さ。己がその程度で首を飛ばす惰弱者ならば、あの怪態なる石塊総てを砕き切るなど夢のまた夢よ)

『……』


 殺生石を利用して、この世に覇を為さしめんとする奴輩を幾つも幾つも砕いてきた。

 九尾狐。かの女怪に魅せられ、惑い、狂い、魔道に堕ちた者達を、異界人種を……時に人間すら。

 そうして今なお、かの魔石によって野望を企む者共が現れた。

 だからどうした。全てを遠ざけ、全てをただ破壊すれば、事は済むのか。厄災は終わるのか。

 そんなものは甚だしい短慮に相違ない。


(なんてな……よしんばあの娘が何某かの謀によって遣わされた者であるとするなら、尚の事、目の届く間合に入れておく方が都合はよかろう。違うかい?)


 今のところ、その影は見えぬ。この目がそれを捉えられておらぬだけか。

 かの娘の泣き顔に、己が見た真。あるいは憐憫に眩み、ただそれを見逃してしまっているのやもしれぬ。この、節穴が。

 しかし、それを忘れてしまえば。

 人がましい甘さ。それを許される身ではない。わかっている。

 だが、それでも。それを失くせば、この身は。

 俺とても、ただ、滅するばかりの兇器まがきものに成り下がる。

 あれと同じ。あの化生の女と、同じ。


「……」


 烏は半瞬の沈黙の後、言った。実に、諦めの深く滲んだ声音であった。


『……油断はするな』

「応。努々、肝に命じよう」


 頷いて、この話を仕舞う。烏もまた、なお執拗に言質を求めるような真似はしなかった。

 今はなによりも直面する使命を果たさねばならぬ。


(例の腕輪、足跡は辿れたか)

『解析は完了している。探査に少々梃子摺らされたが、腕輪から伸びた経絡は西へ、街の郊外まで続いているようだ』

(この足で直接乗り込むというのも手だが、さて)

『お前の懸念は、学園か』


 文字通りの以心伝心によってこちらの考えを過不足なく烏は了解した。何事も筒抜けというやつだ。


(一人、検めたい者がいる。此度の主謀……とは、正直思えぬ手管だが。石を持った者が学校に居るやもしれぬというならば放っては置けまい)

『如何にする』

(お前さんは腕輪の出本を探ってくれ。もしそこに主謀者、ないし共犯者が潜んでいた場合はそのまま監視に移れ。戦闘は避けろ)

『承知した』


 手筈の整頓を終えて、しかし。

 一向、肩口から飛び立つ様子のない烏に目を向ける。


『我ら二身、合一して初めて神威を奮う……用心しろ』

(ありがとよ)

『……ふん』


 堅物の烏姫は素直ではなかった。だが、その真心なにをか違えよう。

 その優しい心配に笑みを送る。

 まるで逃げ去るように烏はビル間を抜けて飛び上がっていった。







 ハーピーの少女、ミリアス・バードランドは苦悩していた。

 講義室の長卓にわっと羽を広げ、突っ伏したままどんどん萎れていく。


「ミリーは……なに、どしたん?」

「なーんかー、FP(フォーリナーズパートナーシップ)の相手まだ決まんないんだってー」

「へぇ、てかミリーFPとか興味あったんだ」


 フォーリナーズパートナーシップ制度への参加は強制ではない。各学期毎に一ヶ月の申請期間が設けられ、その間にパートナー申請が受理されればその後の特典や季節に応じたイベントへの優待が届くという、言ってしまえばそれだけの形式的なものである。

 全員が全員、この制度によって生涯の伴侶を見出だす訳ではない……まあその相当数が婚姻にまで到っているのも事実だが。

 独り身を嫌って、この時期だけと割り切って適当な相手を見繕おうとする者も居る。

 逆に、パートナーの存在をひけらかすような底意地の悪い輩も時折。

 ミリーは格別、彼氏の有無にこだわりはなかった。素敵な出会い、運命的なつがい、色恋に対してはなるほど、人並み程度の関心がある。血道を上げるほどの情熱、情念? 執念? そこまでのものがないという話。

 …………なかった。以前までは。


「ハーピーって造形が人型ベースだし人間種からも人気あるでしょ」

「よりどりみどり~っていう? うらやま~。私今の彼と会うまでFP呼ばれたことないよ~。同じ羽持ちなのに~」

「蝶好きのハカセくんだっけ? 昆虫種はどうしても見た目で敬遠されちゃうからねぇ」

「爬虫類もよ。下半身だけでもダメな人間はダメなんだって。質感とか、あと鱗? 失礼しちゃうわ」

「半獣タイプは優遇され過ぎ。ムカつく」

「無機物は決定的に嫌われたりしないからいいじゃない。それに液体なら、時いろいろ悦ばれそうだし……ふふ」

「えーろーいー。ラミアって実は結構性欲強い?」

「いやいや、でもミリーはほら。誰彼構わずじゃなし、もう完全に一人ロックオンしてるんでしょ」

「えっ、ホント!? 誰誰?」

「ああ、もしかしてあの転校生?」

「えーっとー、名前なんてたっけ……か、かり、かる?」

「刈間! そうそう刈間ギンジ!」


 不意のことで一瞬、息が止まる。まさに今、考えを巡らせていた胸の内の中心その人の名前が挙がって。

 クラスメイト達の聞えよがしな噂話は続く。


「おーあれかー」

「ほほう、ミリーの好みはああいう男っぽい感じと」

「彼、わりと絶滅危惧種なキャラよね~」

「危惧っていうかもういねぇよあんなの。口調もなんか変だし」

「うちのおじいちゃんがあんな喋り方だった」

「人界のテレビドラマの、時代劇? ってやつで聞いたことある~」

「ミリーは変わった趣味なんだな」

「話した感じいい人だったよ?」

「私はやだぁ。意志強そうで」

「お前は単に年下を甘やかしたいだけだろ」

「年なんてどうでもいいよぉ。ただどろどろに甘ぁく溶かしてぇ、私なしじゃイけない体にしたいだけぇ」

「食虫植物ってなんでこう……B組のセラスを見習いなさい。控えめで可愛いあの感じ」

「はあ? あいつあれで神樹系統のアルラウネよぉ? 本気で言ってるぅ? あのレベルの精霊だと私なんかよりよっぽどえぐい支配欲してるからねぇ」

「具体的には?」

「彼氏の精巣に寄生木やどりぎ植え付けるくらいぃ?」

「えぇ……」


 セラス、アルラウネの少女の話題を聞き取ったことで、ふと記憶野を刺激するものがある……いや精巣云々は関係なしに。あの可憐で楚々とした少女がそんな性癖を隠し持っていた事実にわりと心底驚いているけれども。

 セラスの噂は有名だ。


「彼氏くんのアレルギー、治ってよかったねー」

「アレルギーってあれでしょ。病気じゃなくて人間の体質の問題なんでしょ。治るもんなの?」

「知らなーい」


 セラスが見初めた人間の男子は、肉体が致命的に彼女と合わない造りをしていた……らしい。人間の生理学は必修科目なのだがどうも苦手だ。覚えること多すぎ。

 それはともかく、誰が見ても相思相愛であるにもかかわらずカップルとして行く末が絶望的な二人を、クラスの皆して頻りに同情した。それはほんの一月前に抱いた感慨で、記憶にも新しい。

 それが今や昔のこととばかり。セラスと彼氏くんは現在進行形で何の問題もなく、前途洋々自他共に認めるラブラブバカップルぶりを学園各所で発揮している。見せられるこっちが胸焼けするくらいに。

 彼と彼女のその幸せに、一人の立役者が居ることを私は知っていた。

 刈間ギンジが、セラス達を助けたことを知っていた。

 放課後、空からの帰り路。窓の外から教室を見下ろした時、偶然に彼らを見付けた。すすり泣く男子生徒と、離れたところで俯くセラスと、そしてそんな彼らに優しく微笑む刈間の姿を。


 ────あぁあぁ男子おのこがそう泣きじゃくるもんじゃねぇぜ。大丈夫、大丈夫だよぅ。きっと二人、一緒になれる。きっと、な


「…………」


 彼の微笑を思い出す度、私の胸は熱くなる。

 どうしてあんなにも、あの人は優しく笑えるのだろう。慈しむように、包み込むように、目一杯の愛情がそこにはあった。親鳥が小鳥を見守るような、うっかりすると浸ってしまいたくなる手触りのそれ。

 この人は、どうしてこんな顔ができるのだろう。

 この人のこの顔を、私は忘れられない。つまるところ……一目惚れだった。

 特別な関りも、会話すらまともに交わしたことのなかった男子生徒。自分に向けられたものでさえないその笑顔に、私はやられてしまったのだ。

 ……ちょろいかな? なんかちょろいとか惚れっぽいとかそういうレベルですらない気がする。

 でも、そう決めた。決めてしまった。私は、番にするなら刈間がいい。刈間のような雄がいい。

 そう決意した──のはいいものの。


「でー? ミリーは刈間とFPの申請しないのー?」

「ふぎゅっ」

「蝶子、こら」

「それが出来てねぇからこんなんなってんだろが」


 昆虫種は時に爬虫人種以上に冷血だ。容赦がない。

 二本の触覚を揺らして小首を傾げる美しい蝶々の少女を、出来る限り恨みがましく睨んだ。

 初対面と自己紹介に勇気を振り絞り、それからは校内で見掛ければ必ず声を掛け、選択科目も被るよう頑張って調した。

 元々人当たりのいい人間で、異種に対する隔意や、生物的能力差からどうしても付き纏う人がましい怯えもない。刈間ギンジは間違いなく稀有な人間だった。そんなところにより一層私が惹かれていったことは言うまでもない。

 ないのに。丸一月の奮闘虚しく、私と彼の間には一切、これっぽっちも、まんじりとも、進展が無かった。


「………………」

「ほらぁ、また落ち込んじゃったじゃない」

「でもあんだけアプローチかけて反応なしだろ?」

「ハーピーは好みじゃないとか」

「人型にこだわりがないとか」

「知ってる知ってる! ケモナーっていうんでしょそれ!?」

「実は対物性愛だったりして」

「迂闊なこと言うなバカ、クリスタルゴーレムがすごい勢いでこっち向いたぞ」

「造形はお世辞抜きに美の女神アフロディーテ級なんだけど、やっぱり柔らかくないと殿方の受けは悪いんでしょうね」

「魔術で硬度と靭性いじるしかないか」

「コントロールばちくそ難しいよ、あれ」

「努力するしかない。大丈夫、愛があれば」

「まずは愛しい彼を見付けなきゃ」

「見付かったからって必ず実るとは限らない。悲しいけどこれ、現実なのよね」

「実らせる為の弛まぬ努力を愛と呼ぶのよ。だから」


 気付くと、目の前にスマホの画面を突き付けられていた。

 ラミアのミディーナ。その細い瞳孔のぎょろりとした眼を見上げる。


「はいこれ」

「なにこれ?」


 それはメッセージアプリ『魔IN』のグループチャット画面だった。一クラス分ほどの参加人数とそれを上回るメッセージの乱立。その中の一つ、一際長文の吹き出しをミディーナは示す。


「A組のメイヤノイテからのお誘い」

「ああ、あの淫魔の?」

「んー? 親睦会?」

「そ。FP関係のイベントって基本はカップル向けが多いでしょ? だから案外、こういう個人主催のパーティの方がフリーの人間と出会えたりするのよ。学外からも募ってるし、学園で好みの男子がいない娘なんかはよく利用するみたい」

「いやでも、これミリーが行っても仕方なくね?」

「刈間を誘って行くとか?」

「脈ナシなのにぃ? こんなとこ付いて来てくれるぅ?」

「ふみゅん……」

「はいはいいちいち落ち込まない」


 番探しの為の下心見え見えのこの誘いを、またぞろあの飄軽な態度で断られたりしたら……もう立ち直れる気がしない。


「別にデートに誘えとか、新しく出会いを探せとか言ってる訳じゃないわ。メイヤにアドバイスなり男を手玉に取るコツなり伝授してもらえばいいじゃない。きっとミリーに足りない経験値を力一杯補ってくれるわ」

「淫魔だしな。その辺はもう百戦錬磨だろ。ミリーなんか足元にも及ばないくらい」

「寝技壱百八式くらい持ってそう。そういえばハーピーってどうやってするの? ベッドでできるの? それとも枝の上?」

「こらこら、お子ちゃまにそんなこと聞いてあげないの。可哀想でしょう」

「どーせ処女ですよ悪ぅございましたね!!!」

「声でけぇよ」

「あはははは! ミリーが怒ったー!」


 好き勝手言ってくれやがるクラスメイト達の有り難い御教示に涙が出そう。出た。

 蝶とケンタウロスに飛び掛かり、追い掛け回す。健脚のケンタウロスは兎も角、蝶々の風に乗って舞い踊るかのような飛翔は見かけに反して実に捕まえ難かった。逃げる逃げる。趾め足の指からまた逃げる。


「軽食もつくし、なんなら私ちょっと行ってみたいかも……ん? 土産まで貰えるんだってさ、ほら」

「んー? うわっ、これカルテアィのブレスレットじゃん!」

「え? え? うそ!」

「見せて見せて見せて。うぅわホントだ!」


 どこからともなく現れたクラスの魔物女子達が一挙にスマホに群がった。

 ブランドに詳しくない自分でも、名前くらい知っている。魔界の大悪魔だか高位女神だかがデザインした高級装飾。魔術的な価値はさて置いて、女子のトレンドセンサーにそれは見事刺さりに刺さった。どこのブティックでも品薄のそれを、パーティの参加景品にしてしまえるのだから。


「流石はマスティマの令嬢。金持ちはやることが派手だわ」


 華美な飾り気も少ない、ゴールドのシンプルなブレスレット。どうやら有翼人種向けのバングルもあるらしい。


「……」


 ────着飾れば、あの人も少しは見てくれるかな


 浅はかなのを自覚しながら、気付けば私は自分のスマホのメッセージアプリを開いていた。











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