第2話

 人界と魔界の融合。

 それが今、この世界の有様。



 この事変は巷間に『融界』と呼称された。

 世界各地で発生したこの大規模な異界出現は、極点を越え沈静化を見せているものの、今もって緩やかにそして確実に広まり深まり、双方向の侵食を続けている。


「先の二大大戦、魔界進撃戦と人界決戦を経て、多くの犠牲を払いながら人外種および亜人種、そして只人種との間に和平が為りました」


 黒板型のデジタルディスプレイに映し出された年表の中、クローズアップされた一項目が赤く明滅する。

 童女のような小さな手がそれを指し示した。

 教卓にちょこんと座する矮躯。歴史兼魔術史を担当する因幡教諭はアルミラージと呼ばれる兎の半獣人である。兎らしいふわりとした白い毛並みと綿毛のような尾、ピンと立った二つの長い耳。

 そして兎とは名ばかりの、その額から聳えた雄々しい一角。

 縄張りで悪さする子を手当たり次第串刺しにしてたから赤くなったの……などと、彼女は実に愛くるしい笑顔で語ってくれたものだ。


「それぞれの戦役に終止符を打った兵装、二種類ありましたねー。一年次の歴史で履修しましたねー。さあ何と何! じゃあ……中村くん答えてください」

「うえ!? えぇ~っとぉ~……??」

「期末のテスト範囲だったでしょー。もぉー中村くんマイナス二万点」

「落第とかいうレベルじゃないっす先生」

「はい! じゃあクヌィラさん、哀れな中村くんに答え教えたげてください」

「魔界からは槍。人界では鎧だ」


 教室の後方、体格の良い褐色肌の女生徒が即答した。

 異様に発達した犬歯を剥いて、少女はとても快活な笑みを見せる。


「あの地獄の総元締め、悪魔共のかしら手ずから放った槍は魔界に進出した人間の一個師団を蹴散らし、次元境界に風穴を空けやがった……!」


 荒々しく息吐き、その興奮を隠しもしない。戦を語り昂るは、彼女が戦闘種族アマゾネスの血統ゆえか。


「おぉ流石女傑アマゾーンの末裔。皆さんもクヌィラさんを見習って」

「資料集読むだけで濡れてくる。その挿し絵で何度も抜いた」

「見習わなくていいでーす」

「好みで言えば人界側の鎧の逸話はマジでたまんねぇ。開かれた魔界と人界を繋ぐ大穴に陣取って666の悪魔軍団をたった一人で塞き止めたなんて言うんだぜ? 思い出すだけで……んっ、ふ、うっ……マジ半端ねぇ」

「半端ねぇのはあんたですよ。椅子拭いといてください。他の生徒も使うんですから」


 我らが『マギケイブ学園』は朝礼とその他連絡事項の通知を除き、授業にはもっぱら講義室が利用される。各授業の度に生徒らはクラス単位、履修科目単位でめいめい移動していく訳だが。

 当然ながら講義に使用する机と椅子は共用のものであり、次に来る生徒がそのに濡れそぼった座面にうっかり腰を下ろしては、なかなか憐れなことになろう。


「はい! この二大戦争で用いられた兵器の正式名称、来歴、運用年、運用国家。試験に頻出っていうか必ず出ますよ! 絶対覚えてくださいね。進学考えてる人は特に!」


 チャイムが鳴った。本日のカリキュラムの全消化を祝う鐘である。

 それに負けじと、白兎の教諭はさらに続けて。


「フォーリナーズパートナーシップの二年次仮契約書面の提出日、来月までですからねー! 皆さん忘れずに出してください!」

「やっべ」

「もうそんな時期かー」

「うわ、俺かんっぜんに忘れてたんですけど」

「私が出しといたよ」

「お、さっすがシルキーはマメだなぁ」

「貴方を見付けた日に」

「……それ入学式の日?」

「うん!」


 講義室の各所で提出したの忘れたの、がやがやと相談事が始まる。その大多数が相談の始まった矢先から、抜け目のないパートナー……主に女生徒の側で既にして事務処理が一切、全く、何条の済んでいる旨の報告に終始していく。


「いやはや若ぇってのにしっかり者ばかりよな、この学校の皆皆は」

「そういう問題……?」


 純白の少女シルキーに腕を抱かれながら、中村くんがぽつりと言った。

 通常シルキーは人ではなく、家に憑く妖精である。果たして彼をいつから見初め、いつからその傍近くに身を置いていたのか……彼が知る必要はないだろう。こんなにも幸せそうに娘子は笑み綻び、両人仲睦まじいのだから。

 その時、己の座る長卓にどっかりと尻が乗った。


「おめぇは他人のこと言ってる場合じゃねぇだろ」


 クヌィラはその太く分厚い腕を組む。贅肉とは縁遠く、優れた筋骨に鎧われた長い手足。太い眉、ぎらつく眼光、野性味溢れる精悍な顔立ちは虎か獅子のそれ。破壊と闘争に特化し尽くした、強靭なる美を備えた姿。

 当人にその意図はないのだろうが、えらく凄みを利かせた睨みが降ってくる。


「さて、そう急ぐようなことでもなかろうさ」

「急げって因幡が言ってたろ今。ああ、なんならオレがもらってやろうか?」

「カッカッ、そいつぁ有り難ぇ申し出だが。お前さんにゃもう決めた相手が居るであろうに。柔道部のカークランドだったな」


 彼には以前、筋肉増強の魔術・妖術・法術各種を記した書物を幾らか目録に認めてやった。肉体面で僅かでも彼女を満足させたい、と……なんとも純なその願いに胸を打たれたものだ。

 涙ぐましい努力を彼は今も続けているのだろう。この豪放な娘子の為に。


「へぇよく知ってんな! でもま、いいんだよ。オレらは強ぇ男の子を孕んでなんぼなんだ。おめぇはその点、いい線いってる気がすんだよなぁ」

「おぉおぉ派手に買い被りやがって。まあ褒めてくれんなぁ嬉しいぜ。だがお前さんはその前に、手前てめぇで汚した椅子をとっとと掃除しちまいなよ」

「えー、いいじゃんかよーあれくらい。ウンディーネのやつなんて毎回どっかしら濡らしてんじゃん」

「あんたの小便と一緒にすんじゃないわよ!!」


 呼ばれて飛び出てとはまさにまさに。座席の合間を高速で走り抜けてきた液体が水の柱となって立ち塞がり、そうして人型を取る。

 液状の長い髪、液状の制服、液状をした少女の顔が今、憤怒に泡を立てている。


「小便じゃねぇよ。汁だ汁。まん」

「言わんでいい言わんで」

「同列に扱うなって言ってんのよこの蛮族!」

「ま、まあまあリューズ」


 ウンディーネの少女に遅れて、パートナーである李少年がその手を取る。流体の手は少年の手を握り、形を崩して、さながら一体化の様相で絡み付いた。リューズの許しなくばそれは永遠に解けまい。

 その辺りの悶着をおそらく随分と前に済ませたらしい李くんは、気にした素振りも見せず。

 両人手を握り合わせたまま己の方に向き直った。


「刈間まだパートナー見付けてないカ?」

「へぇ、ちょっと意外」

「ハハハッ、そいつぁまたどんな買い被り方だ。即断即決お相手を見付けろたぁ、この憐れな転校生にゃ無理の勝つ難題ってぇもんじゃねぇかい?」

「まーたそゆこと言ってー」

「そういう胡散臭い言い回しの所為で女の子寄り付いてこないんじゃないの?」

「まだるっこしいよな」

「こりゃまた手厳しい」


 人と魔の共存共栄。それが現世論の主流と言って差し支えない。官民を問わずあらゆる団体、組織、企業が、国家が、こぞってそれを掲げ、それに見合う規制緩和、法改正を実施してきた。

 フォーリナーズパートナーシップ制度もまたその一環である。個人、個体単位で言えば、あるいはこれこそをと呼ぶのやもしれない。

 本国においては一般的に満十五歳以上、義務教育を修了した者が対象となる。基本的には諸学区単位に通知が配されるが、近県合同で催しを開かれることもしばしば。対象者には優先的に外界人との出会いの場と機会を設けられ、魔界人界の多様な文化、風土、情緒を知り合い、学び合い、次世代的ネクストグローバリゼーション意識の醸成を促すと共に、種族間の垣根を越えた真の融和を新世代の若者達に託して云々かんぬん。

 要は、国を挙げた異種同士の見合いであった。制度参加者には公共施設使用の優待や様々な礼品が贈られ、人魔カップルが成立すればそこへさらに上乗せがされる。そうしてそれが婚姻にまで至った場合、地域によっては一部税の優遇措置から、なんと助成金まで出るそうだ。それも通常の婚姻に対する免税・助成と並立して、である。

 御大層な御高説で謳い上げてはいるものの、魔界側の人界に対する根深い執着を嗅げずにおられない。そして人界側の手厚い忖度もまた。異種交配による異界間の軋轢の解消、延いては国民の感情の操作を狙って……そう批難する声もある。

 終戦から早七十余年にもなるが────あるいは、まだほんの七十余年でしかない。

 これら魔界人種との親交推進を図る現在の世界情勢をして、はばかることなく。


 ────狂っている


 そう叫ぶ声も、ある。

 だが。


「そ、そんなことないよ!」

「ん?」

吓死我了びっくりした……!?」

「んだよセラス。でっけぇ声出しやがって……てかおめぇ、でかい声出せたんだな」


 妙なところに感心して頷くクヌィラに、セラスと呼ばわれた少女は俯いてしまった。

 その深緑の髪の頭上に戴く、淡い桃色をした五枚の花弁が垂れ下がり、娘の羞恥した顔を隠す。袖口より這い出た蔦を指先にいじいじと巻き上げ、花ばかりでなく肩身まで縮まってしまう。

 土より出で、花に生まれしアルラウネのセラス。元来が植物としての特性を色濃く残す種族だが、この娘子は幼体を除けば土壌を必要としない。まさに今も我々の眼前で直立して二足歩行すらして見せている。その根は確実に高位の魔界植物に由来を持つのだろう。

 優れた能力はしかし、必ずしも自負自信という骨子を組み上げるものではないらしい。この少女は実に、引っ込み思案なのだ。

 そんな彼女が声を荒げて一体全体どうしたというのか。


「か、刈、間くんは、いい人間……すっごく、すごくいい人間、だよ……? 私と、私のパートナーのことで……その……し、親身になって、相談、乗ってくれて……」

「んー? そんなこともあったかねぇ」

「え、セラスもこいつに?」

「助けて、もらった」


 セラスのパートナーである少年は、なんとも不幸なことにナス科植物のアレルギー持ちだった。娘の能力あらば原種由来の毒性を変態させ薬効に転じる程度は造作もなかったろうが、人体側のアレルギーにはさしものアルラウネとてどうすることもできない。

 少女の体に触れれば少年は全身に発疹と痙攣を起こし、その花粉を吸い込めば重い咳喘息を発症した。己が彼らに出会った頃には、触れ合うことはおろか近寄ることすら困難になっていた。

 この場合の対処として最も適当なのは、まず医師の診断を仰ぐことである。生体医術にせよ医的魔術にせよ、素人が浅知恵を働かせるよりもよほど現実的だ。しかし、その結果このカップルにまず推奨される対策は、パートナーの変更であろう。

 リスクの伴う交友に拘泥させず、安全確実な交配を……それはむしろ、自然界の動植物の摂理だが、魔界ではむしろそちらの方がスタンダードであるらしい。クヌィラの性に対する豪放さが良い例だ。

 しかしそれでも、彼と彼女は問題の解消を望んだ。不断の、固い意志で。

 何故に?

 勿論、皆まで言うことではない。

 その言うまでもない覚悟を見せられたのだ。であれば、己如きが一肌脱いでやる理由には十分。

 一悶着二悶着と大っぴらに言えぬ些末事が幾らもあったが、“裏技”を使ってどうにかこうにか御し均し、今やセラスは想い人と連れ添ってこの学び舎に在る。


「わ、私の友達、紹介するよ! マイコニドの子とか、に、日本の南方の、木の妖精さんとか……!」

「ほう、キジムナーか。そいつぁ変わり種だな」

「刈間くんが、どれくらい、どれくらいすごい人間か、わかってくれる。きっと、みんなわかってくれるから……だから!」


 気を落とさないで、とでも続くのだろう。

 どうやら己はこの娘子に心底憐れまれている。あるいは心配をされている。

 それがなんともはや、擽ったいやら可笑しいやら。


「聞いたかおい。己なんぞの為に骨を折ってくれるとよ。セラスは優しい子だなぁ」

「ふゆ!? そ、そそんなこと……!」

「クヌィラもちったぁこの娘の健気を見習ってみちゃどうだ」

「うっせ」

「無理無理、このガサツ野蛮女にそれはマジ無理難題だってば」

「しつこく言うな! 小便ひっかけて黄色くすっぞ!」

「そういうとこが下品だっつってんのよ!!」

「カッハハハハハッ」


 水の精霊らしからぬ元気な怒りっぷりと、女戦士の荒っぽい気性、その応酬がなんとも愉快だった。

 他人事のように存分笑声を上げていた時。


「君達、そろそろ講義室を閉める。いい加減に帰り支度をしてもらえるかな?」


 澄んだ美声が差し込まれる。それは凛然とした響き。脳裏に美麗な銀細工を想起するような声だ。銀の精緻な飾りをあしらった────十字架を

 二対四枚の純白の翼が西日の赤色を孕み、清浄なる光輝となって再び照り返す。後頭部では、微細な光の粒子が真円の輪を構成し、後光の如く静止している。

 天使。

 この紛うことなき主上よりの御遣いは、何を隠そう我がクラスの委員長サリエリーヌである。


「うげっ、サリー……」

「人の顔を見てそれはないだろうクヌィラ。それと立ち聞きに申し訳ないが、パートナー選びは基本的に当人の自由意思で行うものだ。周りが急かすべきじゃない」

「っ、ご、ごめんなさい……」


 途端、花の少女がなお一層に縮こまる。

 サリエリーヌはそんな少女へ優しげに微笑した。慈しみさえ滲んで。


「セラスの思い遣りは間違いなく素敵なことさ。その善意を僕は賞賛するし、君の深い友愛には敬意を表する」

「ふぇっ……はぅぅ……!」

「いちいち言うことが大袈裟なんだよ、こいつ」

「クヌィラはもう少しだけ言葉を和らげてみてはどうだい。そうすれば相手にも君の本来の思慮深さを伝えることができる。君の飾らない気風は美徳だ。僕も好ましく思う。けれど心根は胸の奥深くに在り、表現することは常に難しい。僕は君が、正しく評価されることを望むよ」

「あ゛ぁーー!! これだ! サリーの話は聞いてると背骨が痒くなってくんだよ!」

「ふふふ、それは君の良心に僕の声が響いてくれているということかな?」


 クヌィラは両手で背中を掻き毟った。そうして堪らんとばかり卓から跳び降り一目散出口へ向かう。途上で鞄を手に引っ掛け、振り返りもせずこちらに手を振った。


「じゃあな!」


 扉の向こう、瞬く間に軽快な足音が遠ざかっていった。

 リューズが瑞々しい笑声を上げる。


「いい気味ね。あいつには放課後、毎日サリーに説教してもらえばいいのよ。少しは懲りて品も上がるでしょ」

「僕との会話をまるで拷問か何かのように扱わないで欲しいんだが……」

「あぁらそんなつもり全然ないわよーオホホホ。よし! じゃあ私達も行きましょっか、李」

「あい。帰り、晩ゴハンの買い物しなきゃネ」

「セラスも行く? 駅前の商店街までだけど」

「う、うん。私も、駅で待ち合わせ、だから……」

「ではお開きだな。皆、帰り道は気を付けて行くんだぜ」

「刈間もね」

「再見、刈間」

「さ、さよなら、刈間くん」


 ひらひらと手を振って三者を見送り、己もまたえいこら席を立つ。


「それで?」

「あん?」

「ギンジには誰か、気になる子はいないのかい」


 肘を抱いて小首を傾げる。黄金を溶かし紡いだかのような金のショートボブ、その横髪が淡い血色の頬に流れる。

 各国の宗教画に描かれるたおやかな天使よりも、かの娘の面差しはずっと幼気だ。下手な世辞すら浮かばぬほどに可憐な少女が、微笑を湛えて己を見ていた。今度はそこに微かな、悪戯の気色を滲ませて。




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