怪滅神甲ダイダラ
足洗
一章 神甲顕現
第1話
夕空は赤黒い“膜”に覆われている。
山一つを包み込んでしまうほどの広大さ、それは物理的な遮蔽物であり、物理法則に並び立つ異なる力が為したる巨大な繭である。
かつて現世に流入した異能────魔術により編まれた結界である。
内部に閉じ、あらゆるものを逃さぬ為に布かれた悪意の檻。
その只中に立つ一人の影。いや、一つの、巨大な人型の異形。紫の肌、鳥のような黒い翼と蝙蝠のような翼膜を両の背に負い、下半身には無数の蛇が群生している。なによりも、全高三丈(10メートル)にも及ぶ巨躯。
腰から流れるようにくびれた曲線の肢体、豊満な乳房、そして黒いベールから覗く瓜実形の顎が、それが辛うじて女、雌性のものであると主張している。
とはいえ化物だった。違えようもなく魔なるモノ。喩えるまでもない邪悪の顕現。悪魔が化身。疑いはない。
かの者こそ、この結界を創り出した張本人だった。
閉じ込められた人を、魔を、諸共に喰らう為に。姿通りの悪辣さで、憎き者共を害する為に。
しかして、奇怪。
殺意と憎悪の権化の如き化物は、その牙を、爪を、揮うことに躊躇していた。
怯えていた。
『オ、オ前ハ』
化物は慄いている。恐れている。
眼前に在るモノに。
在り得ぬ筈だと。在ってはならぬと。
赤黒い闇を払い、魔性たるその巨躯を照らす、“銀”。
『オ前ハナンダァ!!?』
それは武威の顕現。
銀の鎧。不破の盾であり、絶対貫徹の矛である。
其は、称して────
「あいよ500円丁度、まいどあり」
放課後の校内というやつは実に賑々しい。足早に帰宅の途に赴く者、意気軒昂各自の部活動に勤しむ者、何くれとなく級友らと駄弁に興ずる者。
各クラスから溢れる活気を聴きながらに笑む。変わらぬものの実在を、何やら嬉しく思うのだ。
屋上前の階段踊り場。扉の窓から注ぐ西日。それに金属光沢が照り返した。
貨幣を一枚受け取って銭入れに仕舞う。代わりに広げた茣蓙の上から一つ、小振りな金属の輪を取り上げる。
真鍮製の指輪であった。外観の飾り気は極少ない。
「……ホントに効くんですか、これ」
「さて、試してみてのお楽しみってなもんでね」
「ちょっ、それじゃ困るんですよ!」
「まあまあ、効き目が気に食わなかったそん時ゃ代金はそっくり返してやる。まずは一晩、使い心地を検めな」
「余裕ないんですよこっちは! 毎晩毎晩搾られて……精力付く食材とか薬とかいろいろ試しましたけど、もう限界で……」
「こうして藁に縋って来た訳だ。しかし、真っ先に縋るべき場所が他にもあろうに。ほれ、確か、この学校の養護教諭は魔道カウンセリングの資格持ちだってぇ聞いたがね」
「い、言える訳ないでしょ! こんなっ……こんなこと……」
「
顔を羞恥の赤色に染めて少年は俯く。“下”の相談など出来ぬと仰せだ。
呆れと、その様の憐れに肩を竦める。
「その指輪は接触した生体の『オード』の消耗を抑え、同時に大気中のオードを吸収変換し、生体に横流す。ま、流行りのハイブリッドエンジンみてぇなもんだ。お前さん程度のオード量なら、普段の倍は放出できるようになるだろう」
「ば、倍っ……ホントなんですか?」
「だぁから、
「……わかりました」
「おう。まあ
こちらの言に、少年が顔を上げる。そのげっそりとやつれ切った顔が笑みを形作る。
「仲悪かったらこんな苦労してないですよ……」
「ハハハッ、違ぇねぇ。だがそいつぁ、淫魔と
「うぅ」
ぐうの音を上げながら少年は去っていく。
そうして、その背中が階下に失せた直後に、声が響いた。滑らかで、艶っぽい。鼓膜から神経を侵すかの美声。
「ケンくん! もう! 探してたんだよ?」
「メ、メイヤ!? 先に帰っててって言ったのに」
「やだって言ったもーん。えへへ、ほら早く帰ろ」
「う、うん」
「……あれ? ケンくんのオード、なんだか今日は強く匂うね。濃くて、たっぷりしてて、あはっ、瑞々しい……んっ、ちう」
「メイヤ!? やめてよ! こ、こんなところで……!?」
「ふふ、どうして……? ケンくんだってこんなに昂ってるのに……すぅ、ほらぁ、こぉんなに匂ってる。青くて、臭くて、香ばしい……あはは、硬くなってきたよ、ほら、ほら」
「ひっ、ぃん……メイヤぁ……」
鼻に掛かった喘ぎと甘い囁きが吹き抜けから響き昇ってくる。
お若い二人は、どうやら踊り場でおっ始めるつもりのようだ。
「おぉいおい勘弁しろよ。袋小路だってのに……」
のこのこ階段を下りて鉢合わせるのは如何にも間抜けだ。馬に蹴られる趣味もない。
仕様もなく、扉に向き合う。無論、ここは常に施錠されている上、わざわざ鍵を失敬する暇もなかった。
触れて、“式”を起ち上げる。常ならぬ超常なる“力”を丹田にて練り上げ。
鍵穴へ注ぐ。
「なんだ、シリンダー錠か」
ならば式の小細工すら要らぬ。こちょこちょと練った気を操り捻り押しやって、回せばかちりと錠が引っ込む。
大事な商品を鞄に詰め、茣蓙を丸めて縄で括る。そそくさと扉を開けて屋上へ出た。
吹き込む風は陽の匂い。満天に茜、地続きに群青の夜闇、そこに白の疎ら雲。春の終わり、夏の気配色濃く薫る日和であった。
「ははぁ、春の終わりも近いかねぇ」
『暦の上ではとうに済んでいる』
頭上より声が降ってきた。
声、などと表してはみたが、それは声帯を震わせ空気を通して響く
肉の喉の代わりに頭蓋を直接打って奏でるかの調べ。形なき言葉の念。
ざらりとした質感をした低音。さりとて重みはなく、それは水晶の鳴動めいた女の声。
黒い羽が一片落ちる。
烏であった。たっぷりの漆で染め上げたかのように濡れた漆黒の姿。嘴から足先までで三尺(1m)にもなる体躯、それが己の肩に止まった。
鉤爪を具えた脚が一つ、二つ、そして三つ。
三本の脚がしっかりと肩を掴んだ。
「よう、集金ご苦労。こいつが今日の上りだ」
『この私を伝書鳩代わりに使うなど』
「昔を思い出すか?」
『ほざけ』
「ハハハッ!」
札入れを脚に括ってやる。業腹極まると嘶いて、鴉は一飛び、屋上の手摺に乗り移った。
その後に続く。
『“石”はまだ見付からんのか、と。
「気安く言ってくれる。だが、どうも手応えがねぇな」
『隠されている、ということか』
「あるいは未だ力を行使されておらぬか……厄介なことよ」
眼下には正門に向かう生徒らの、大小様々な姿がある。本当に、千差万別な。
直立二足歩行の者とそうでない者との比率は半々、あるいは後者がやや凌ごうか。
体格の大きさが目を引くのはやはり、ケンタウロスだろう。サラブレッド種並の下半身からネイビーブレザーの制服を着た女人の上半身が据わっている。
イヌ科ネコ科、他多数の獣の身体部位を持つ者は特に多い。耳だの髭だのは序の口、手足はおろかまるきりの獣が二足歩行する姿も散見される。猫又、クー・シー等が代表的であろうや。
下半身の長大さというなら、その点ラミアは抜きん出ている。ある生徒など正門にまで爬行し終えてなお、尾の先が未だ玄関口に留まっている始末だ。
「あれー?
背後に羽撃の風を聴く。
見やれば鮮やかな蒼い翼、蒼毛のハーピー。級友の少女であった。娘は両腕の翼で空を巧みに掴みその場で滞空している。
挨拶を返そうとした途端、頭上に無数の影が過る。
翼持ちの生徒が今、続々と空へ舞い踊っているのだ。色とりどり種々数多の鳥類種。蝙蝠や鼫のような翼膜、皮膜で滑空する者もある。
「ミリーは今帰りかい」
「そだよ。空組でカラオケ行くんだ。今日はすごいよー。なんと一年のセイレーンの子が来ます! あ、刈間も来る?」
「おいおい魔術師でもねぇただの人間に無茶を言うんじゃねぇや。カラオケ屋まで行っておいて耳に蝋燭つめる訳にもいくまい」
「大丈夫大丈夫。小声でマイク通せばへーきへーき。あとなんたって合唱部だからね!」
だからなんだと、問うべきであろうか?
とぼけた娘の言い回しに肩が落ちる。
「ここから連れてったげるよ。こう、鉤爪でぶら下げて」
少女らしい張りのある両腿の、しかし膝から下は鳥の趾め足。固く厚い皮膚に鎧われた鉤爪がある。
皮肉はおろか骨まで砕けよう握力のそれを目にして、思わず笑声が漏れた。
「そりゃまた楽しそうだが残念、この後バイトでな」
「クックルー……まーた振られちゃった」
「まあまあ、これに懲りずまた誘ってくれな」
「それこの前も聞いた~。そうやっていけずな奴はもう誘ってやんないぞー!」
膨れっ面でなお一層バサバサと翼で宙空に地団駄する小鳥の娘子。悪びれ拝み手に誤魔化そうとした、その時。
一陣、強風が屋上を席巻する。
竜巻も斯くやの荒々しさ。いやさまさしく、それは竜の仕業であった。
「うわっ、ノヴァリア先輩だ!」
翼持ちの生徒らを後塵に置き捨てる凄まじい紅の疾風。紅い翼膜、紅い外皮、そこから覗く女生の顔容。
人化したレッドドラゴン。三年のノヴァリアは、その美しい偉丈夫に見惚れ凝固する諸々を一顧だにせず大空へ羽撃いて行った。
その両腕に、少年を一人抱えて。
「いいなぁ……
「デートはいいがな。流石にあの速度は人間には辛かろう」
「ああ、たぶん平気だよ。風系の加護……や、魔法かな? 綺麗な流線で風が避けてたし」
「ほほう流石ハーピー、よっく見とるのう」
「まあねっ。でもノヴァリア先輩なんか期末の魔学学年一位だよ? 美人で強くて頭も良いとか竜種ってホント反則だよねー」
「それに選ばれっちまった
「いやいやこれが結構大変らしいよ。ドラゴンって肉体も魂も他の種族と存在の位階からして違うでしょ? 特にほら、ナニとは言わないけどアッチの方の相性とかオードとか体力とか……」
「ナニからナニまで言うとるが」
少女は実に邪な顔で楽しげに笑った。
レッドドラゴンの番に選ばれた少年。思えば、なるほど。運び去られた彼には見覚えがあった。
『永続で肉体強化できる刺青があるって聞いたんだけど!?』
走り込んできた開口一番にそう捲し立てられ、なかなかに面を食らった。
ドラゴンと他種族、とりわけ人間との存在力の隔たりは、生半に埋められるものではない。骨肉、魂魄の両面から文字通り粉骨砕身の鍛錬を数十年続け、ありとあらゆる伝説級の宝具を身に纏えば、その後ろ足の爪の先に届くか否かといったところ。それも、その血脈に英雄の才覚と器を備えているという絶対前提条件を要するが。
若い身空の親に貰った大事な体。相わかったと気安く呪紋なんぞ刻み込む訳にもいかず、その時はソーマを小瓶3ダースばかり都合して引き下がらせたのだった。
内服薬を恃むとはいえ、今もああして仲睦まじく連れ添っている。なによりのこと。
「いいないいな~、私も早く番見付けなきゃな~。ちらっちらっ」
「おぉミリーならば引く手はさぞや多かろうなぁ。気立てが良い器量も良い。特にその、尾羽の蒼の爽やかさと言ったら」
「ッッ~~! そっ、そう? そうかな?? や、実はね、最近ね、羽繕いの美容院変えたんだ……す、すごいね刈間! 人間のくせにわかっちゃうんだ! わ、私のことどんだけしっかり見てるんだよぉ! な、なぁんて……えへ、えへへへへへ。クックルル~♪」
上機嫌も上機嫌。羽撃すらまるで舞いの様相でくるりと転身。
そうして床面に降り立った娘は、小鳥同様の慎重さでちょこちょことこちらに近寄った。
「か、刈間、バイト終わった後でいいからさ、わ、わ、私とさ、ふっ、二人でさ……ん?」
「ん?」
「それ……?」
「どれ?」
翼の羽先で肩口を指差される。手でまさぐると、一片。それは大振りな黒い羽であった。
「う……」
「う?」
「浮気者ぉーー!! ばぁかばぁか! 刈間のばぁか!」
発奮した娘はその勢いで飛び立ち、一声掛ける隙さえ晒さず青空に昇ってしまった。
その鮮やかな蒼は、空の青みの中でなお際立って、軌跡は流星めいた残光を引く。
思わず吹き出す。魔物の妖しき美しさと童女のような幼気が、なんともはや面白いというか愛らしいというか。
「浮気だとよ。お前さんも悪い女だなぁおい」
『……知らん』
「カッカッ、そうかい」
虚空より、隠形を解いた黒い烏が現れる。こちらの皮肉にも取り合わず、烏は不機嫌そうに一声、嘶いた。
眼下には今もなお多種多様の人魔の営みが広がっている。内訳は人の男子と魔物の女子、それが大半だ。
逆はない。少なくともこの学園においては。
一種ちぐはぐな光景がしかし、現世情を如実に顕している。
魔物の大胆で強烈で甚だ旺盛な求愛に、怯みたじろぐ人の子ら。其処此処で繰り広げられる熱烈な
新学期の始まりを思い知る。
「春の終わりはいつになるやら」
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