言えない恋(こと)

@WaTtle

言えない恋(こと)

『お久しぶりです。野中勇太です。』


 小さい頃に遊んだことをあなたは覚えていますか?


 あなたとは二つも年が離れていて、それを縮めることなんて神様でもできないでしょう。


 僕が受験に向けて忙しいですが、あなたは大学生として勉強に勤しんでいることだと思います。


 僕の高校は幸いにも、いじめる者も、不良もいません。


 だからといって、友達がいるわけでもありませんが、成績は優秀で教える役が多いです。


 僕の夢は、未だにありません。


 それでも、親の負担を減らしたくて、奨学金を狙って勉強しています。


 今度の日曜日、そちらの大学に見学に行く予定です。


 その時に、あなたとまた会いたいと思います。


 都合がよければ、返信をよろしくお願いします。




「――と、こんなところかな」


 僕はメールの本文を書いて、何度も見直して、やっと送信のボタンを押した。


 しばらくして、高校の入学祝いで買ってもらったノートパソコンをシャットダウンした。


 今は水曜日の夜だ。

 

 当日までに返事は来るだろうか。


 そんな不安を抱きながら携帯を充電ケーブルに挿して、ベッドで横になった。


 不安を余所に、眠るまでにそれほど時間はかからなかった。


 そんなことを繰り返すうちに、日曜日、当日になったのだ。


 返信は来なかった。




 大学までの通学は、電車一本とスクールバスだった。


 那奈お姉ちゃんのことを振り返ってみた。


 最後に会ったのは、約三年前。


 僕の高校の合格発表の日だった。


 お姉ちゃんと別々の高校だったが、それでも付き添ってくれた。


 それ以来は、連絡も取れずにいた。


 僕もそれ以降は、ボーッと授業を聞くことぐらいにしかならなかった。


 だから、会える可能性があることに緊張していた。


 しかし、今日は日曜日。


 講義自体がやっていないから、来るのだろうか。


 そう考えると、あっという間にバスは大学に着いた。




 オープンキャンパスの休憩時間。


 食事を早く終えると、自由時間になったので、学園内を散策していた。


 図書館へと向かう道中で思いっきり人とぶつかった。


 どうやら走ってきていたみたいだ。


 僕が下敷きになっていると、ぶつかってきた女性が揺さぶってきた。


「あの、大丈夫ですかッ!?」


 僕は耳を疑った。


 その声に聞き覚えがあった。


 女性の容姿は長い茶髪でイヤリングで少し化粧をしていたが美女だった。


 まさか、と思い僕は呟く。


「高橋、那奈お姉ちゃん……?」


 姿が変わっていたのに驚いたが、那奈お姉ちゃんだと感じ取った。


 最後に会った時は、短髪の黒髪で運動娘、と言う感じだった。


 しかし、目の前の那奈お姉ちゃんは大人の女になりきれない女子、という感じだった。


 そのお姉ちゃんが今、僕にぶつかってきたのだ。


「野中、勇太、君?」


 お姉ちゃんも僕を認識した。


 もう疑う余地がなかった。


「お姉ちゃん、どうして……?」


「ごめんッ! 今はなにも言わずに一緒に逃げてッ!」


「えッ?」


 すると、お姉ちゃんが走ってきた方角から、男の大きな声が聞こえた。


「見つけたぞ、那奈ッ!」


 誰だ?


 ひどく怯えているみたいだ。


「どいて、お姉ちゃん」


「えッ?」


「いいから、そのうちに逃げちゃって」


 僕がそう言うと、しばらく悩んで僕を置いてどこかへ行った。


 それでいい。


 僕は立ち上がって、男の前に立ちはだかった。


「あ? どけよ、チビ」


 高圧的な態度を取ってきた。


 だが、僕は退かなかった。


「あなたこそ、彼女が酷く怯えていたようですが?」


 こちらも言い返した。


「あ? お前には関係ねえだろ。絞めるぞ」


「ストーカー、より、変質者のようですが?」


「うるせえ。俺がどの女と付き合おうが関係ねえだろ。そこをどけ。本気で絞めるぞ」


 どうやら、ナンパされていたようだな、お姉ちゃん。


 それで強硬手段で来たわけか。


「断ります。どいて犯罪の片棒を担ぐのは御免被ります」


 そう断った瞬間、殴られた。


 倒れて、床に頭を強打した。


 しかし、不幸中の幸いだった。


 その瞬間、周りに目撃者が多かった。


 その中には、教職員らしき人も見かけた。


「勇太ッ!」


 お姉ちゃん、隠れてたんだ……。


 見られたくなかったのに……。


「中山ッ! これはどういうことだッ!」


「きょ、教授ッ!?」


 しかも幸運なことに、年老いていながら屈強な体格をした男だ。


 中山がたじろいでいることから、お偉い人のようだ。


 お姉ちゃんに訊いてみる。


「あ、あの人は?」


「あの方は、竹山教授なの。この大学じゃ、長く勤めているの。かなりの権力者だよ」


 中山の態度が一変していた。


 自分の立場が危ういと感じたからだろう。


 屈強な体格、が原因ではないだろうが、それがより威圧的に感じさせる。


「君は、今までこのような暴行を繰り返してきたのかね?」


 教授が中山に訊いた。


「い、いえッ! 暴行に至ったのは、初めてでッ!」


「ほう、暴行に至った、というのは、それ以前の段階があったわけだね?」


「そ、それは――」


 男がだんまりを決め込むと、


「高橋君、あなたは彼がなにをしてきたか、言えるかね?」


「はい、実は――」


「やめろッ! 馬鹿女ッ!」


 中山が再び彼女に近づく。


 しかし竹山教授が、中山の拳を強く握って立ち止まらせた。


 竹山教授、力強すぎ……。


「中山。お前には、しっかりとした処罰を与えないといけないな。これから、一緒に来てもらうぞ」


「ぐ、ぐぐ……」


 竹山教授は、中山の腕を握ったまま、オフィスへ向かった。


「あッ、そうそう、高橋君。そこの少年を医務室へ連れて行きなさい。私からだと言えば、治療費はかからないだろうから」


「はい。ありがとうございます」


 那奈お姉ちゃんが深々と頭を下げた。


 僕も倣って頭を下げる。


「それでは、また後で会おう。二人とも」


 竹山教授は僕たちを見て言ってくれた。


 そして、中山を連れて立ち去った。


「……すごかったんだね。お姉ちゃんの大学の教授って」


「竹山教授くらいなものだよ、って、それより――」


 僕は急にお姫様抱っこされた。


 那奈お姉ちゃんに。


「ちゃんと、治してもらお?」


「いいよ、僕は一人で――」


「ダメッ! わたしが運んでおくからッ!」


 なんか、情けない姿を晒している気がする。


 でも、那奈お姉ちゃんが変わっていないことを痛感する。


 やっぱり、年をとっても、お姉ちゃんは変わってない。


 恥ずかしさより、そのことに安堵する。


 


 それから一週間が経った。


 頭の傷は大したことなく、病院にも診てもらったが、後遺症はないことだった。


 頭の包帯に慣れ切って、部屋で勉強していると、母さんに突然呼ばれる。


「勇太、来てくれる?」


「どうしたの、母さん?」


「突然、那奈ちゃんと大学の先生が来ているのだけれど……」


「えッ?」


 僕は慌てて部屋を飛び出して玄関へと向かった。


 そこには、那奈お姉ちゃんと竹山教授がいた。


「お久しぶりだね、野中君」


「こんにちは、勇太」


「どうして、ここに?」


 僕は思わず訊いた。


「勇太の所に案内してほしい、って教授が」


「突然の訪問、失礼するよ。お父さんはいるかな?」


 僕は首を振った。


「いえ、父は仕事中ですが……」


「そうか、保護者さんにもお聞かせしたいことがあるのだが」


「わたしが父の代わりに聞きます」


 母さんが僕の隣に来てくれた。


「わかりました。それでは単刀直入に申し上げます」


 竹山教授が深々と頭を下げた。


「この度は、我が校があなた方のお子様に危害を加えてしまい、申し訳ございません」


 用件ってのは、謝罪のことだったのか。


「えっと、僕の方は、もう気にしていませんから……」


「今回の件は、加害者を退学処分とし、慰謝料を請求する予定です」


「そ、そうなんですか……」


 僕が納得すると、母さんが安堵していた。


「それと、もう一件。この件は内密にしていただきたいのです。慰謝料も兼ねてになりますが、こちらを」


 教授が母さんに分厚い中身がある封筒を渡した。


「えっと、このお金、は?」


「お子様が受験生だとお聞きしましたので、慰謝料と受験料、入学金、一年間の受講料になります」


「多すぎますッ! 慰謝料だけでも多いのに……」


 僕が返そうとするが、教授の押し出す手が強い。


 受け取れ、ってことなのか。


「我が校が犯してしまった罪は償いきれませんが……」


「どうしましょう……。主人には、どう言えば……」


 確かに、これだけあれば大学の進学にかかる費用は困らないだろう。


 ……。


 だったら、そうだ。


 その手があった。


「あの、母さん」


「どうしたの?」


「実は――」




 それから高校を卒業した僕は、大学新一年生の入学前のカリキュラムに出席した。


 まだ入学式が始まってはいないが、高校までの知人がいないことは確認した。


 そこで、講義をしていたのは、竹山教授だった。


 そう、僕は那奈お姉ちゃんと竹山教授のいる大学へ進学した。


 ちょうど指定校推薦の基準を満たしていたので、それで早期に合格したのだ。


 その場で表彰されたのは、入学前の課題を優秀な成績で修めた僕だった。


 竹山教授が僕に報奨金を渡す時に、


「ようこそ」


 と、静かに笑って言ってくれたことは印象深かった。


 結局、中山の暴行事件は表沙汰にはならず、那奈お姉ちゃんから、大学にいないこととその後の行方はわからないことが伝えられた。


 カリキュラムが終わった後に、報奨金の封筒の裏を見てみると、『私の研究室に来てくれ』と書いてあった。


 無下にするわけにもいかなかったので、大学の地図を頼りに進んでみると、那奈お姉ちゃんがいた。


「那奈お姉ちゃん、どうして?」


「わたしも、教授に呼ばれて……」


 研究室で二人揃って入ると、研究生と教授がいた。


「ようこそ。高橋君、そして、新入生の野中君」


 笑って迎えてくれる教授。


「「お邪魔します」」


 俺とお姉ちゃんは、揃って研究室に入った。


 そこから他愛のない話をして、近況を話し合った。


 しかし、そのような話をするために、教授が呼んだとは思えない。


 そう考えていると、やはりすぐに話題を切り替えた。


「ところで、君たちは研究内容は決まっているかね?」


「あの、わたしは、電車とバスの遅延を含めた時刻表を作ろうかと思いまして……」


「それなら、私のところに研究結果が残っているよ。完成には至っていないが、高橋君の研究に役立つだろう」


「えッ? 本当ですか?」


「ああ、よければ、あとでデータを送るよ」


「ありがとうございますッ!」


「野中君は、まだ早いかな?」


「そうですね……。機械学習について研究しようか、とは考えていたのですが」


「すごいね。まだ入学前なのに、テーマが決まりつつあるとは」


 そう褒めてくれると、教授が二つのUSBメモリーにデータを入れ始めた。


 データを入れ終わると、教授からUSBメモリーを受け取った。


「教授、これは?」


「こちらの未完成の研究データと論文だ。君たちがここに入らない、と決めても、他の研究室でも役立つだろう」


「「ありがとうございますッ!」」


 僕とお姉ちゃんは頭を下げた。



 研究室から出て、駅へのスクールバスに乗った。


 お姉ちゃんと隣の席だ。


「どうしよっかなぁ」


「あんだけもらって、行かない、なんて言えないよ。僕は」


「まぁ、勇太って義理堅いもんね」


 こんな大っぴらで言っていい内容かとは思ったが、スクールバスにはあまり人が乗ってなかった。


「お姉ちゃんは、行かないの?」


 僕の中では、目標が出来てしまったようなものだから、今更変える気もない。


 だが、そこにお姉ちゃんがいるのだろうか。


「ううん。わたしは行くよ」


「そっか。僕と同じだね」


「その前に、課題とレポートの山を乗り切らないとね」


「お姉ちゃんよりは、頭の出来はいいからね」


「まぁ、ひどいッ!」


 そう言ってしばらくして、笑い合った。


 僕は微かに希望が、小さい頃の夢が見えた気がした。


 ずっと叶わない、と思っていた夢だったが。


 だが、今はまだ言わない。


 僕の言葉でお姉ちゃんを縛りたくない。


 だから、自分で立派と思えるその日までは、そっと胸の中に。

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