26

「あっお兄さん!」

 サナが足に当たる波を感じながら遠くの水平線を見ていると、横にニシがやってきた。

 つい笑顔が出そうになる/口角に力を入れて押し殺す。

「泳ぎ疲れた?」

「はい、ちょっとだけ。お兄さんは泳がないんですか」

 海ではどれだけ近づいても体を触ってもセーフだ、とルイちゃんとツカサちゃんが言っていた。たとえばお兄さんにしがみついて深いところまで行ってみたり。

「まだ傷が治ってないんだ。痛み止めはもういらないけど、念の為な」

「そう、ですか」

「そんなに残念だった?」

「違います。私はそういう意味じゃなくて」

 ああ、ダメダメ。しどろもどろになっちゃったらまるで子どもじゃない。ここは毅然と、

「私が荷物を見ておきましょうか」

 よし、言えた。大人っぽい一言。

「大丈夫だ。魔導障壁を使ったから、一般人じゃ壁にぶつかって荷物にはさわれないよ」

「私も一緒に休もうかなって、その、思ったり」

 ルイちゃんのアドバイス=大人の女は思わせぶりな言動をする。

「一緒に? 俺はもう眠くないしな。それにカグツチがどっかでサーフィンしているから、子どもたちを見なきゃいけないだろ。カナに任せっきりなのも良くないし」

 うわぁ、大人だ。

「あの、ええとお兄さん」

 ここはもっと気の利いたことを言わないと。ツカサちゃんのアドバイスは何だっけかな。過激なのが多すぎてきちんと聞いていなかった。

「海、楽しい?」

 そうだ、気遣いだ=先制されてしまった。

「はい、楽しいです。この景色とか水の感覚とか、初めてばかりで心がウキウキしています」

「初めて? 泳ぐのとか見るのも?」

「記憶がなくなっているのでたぶん、なんですけど知識としての海はあったんです。でもこうして遊ぶことは初めてでした。これは確かです」

「ふうん、そうか。それなら山梨か長野の出身なのかもね」

「そうだといいんですけど。でも最近、記憶がなくても別にいいかな、って思い始めたんです」

 なぜだろう。お兄さんの前では全てを打ち明けたくなっちゃう=懐かしい感覚。以前もどこかで同じ思いを感じていたはず。

「友だちと仲が良さそうで安心したよ。そのせいもあるのか?」

「ええ、そうかも知れません。幸せな家族に面白い友だち。友だちがいる頼もしさは知っている感じです。前にも同じことがあったかもしれません」

「じゃあ、前の友だちを思い出したくはならない?」

。だったら今見ている幸せのほうがたいせつですよね」

「魔導士っぽい言い回しだな」

 そうなのかな=記憶が戻ってる?

 でも、思い出したくないという考えも時々浮かんでくる。

 幸せだな。

 言葉を口の中で噛み締めた。

 子どもたちはかわいいし、ルイちゃんもツカサちゃんもすっかり子どもたちと遊んでいる。ふたりは一番小さいハナとカズキを肩車して浅瀬を走っている。さらにその後ろを走るモモ。

 おでこのお姉さんもユメとヨシコを腕にぶら下げて水の上を走ってる。すごいな。あれも魔導でやってるのかな。

「これからたくさん、幸せを積み上げていきたいんです」

「ほう、じゃあ夢はある? たとえば、大魔導士になる、とか」

「んーそれはちょっと」

「あはは。そりゃそうだ。魔導士になったところで稼げないから」

 ホント、お兄さんはお金が好きだ。

「お金はそんなに大切なんですか」

「もちろん。お金はないよりはあるほうがいい。いつも母さんが──」

 しかしニシはそこで言い淀んだ。ちらりと横目でサナと目が合う。

「私は別に、気にしてませんよ。お母さんもお父さんもお元気なんですよね」

「ああ、浜松にいるからな」

 言葉=短め。もしかして私を気遣ってくれている?

 そうか。子どもたちはみんな家族を失っている/唯一、マナへの感応力があったから生き残れた。こんな話は普段できない。

 でも/何も感じない。お母さん? お父さん? いなかったみたいに。

「それで、夢は何だ?」

 お兄さん=はにかんででごまかそうとして。そういうところは全部わかっちゃう。

「わたしは、ずっとお兄さんと一緒がいいです」言った後で気づく=あれ、これ、告白──「あああ、えっと違うんです。つまりですね。忘れてしまった過去よりも、お兄さんのいる未来のほうが大切なんです」

 あれれ。余計に墓穴を掘った?

 見上げた先=ニシの横顔/海の遠くを見ている。

「何か妙な感じがしないか?」

 妙? 胸に手を当ててみる=心拍数が数え切れないくらい早い。温かい血が頭に登って落ち着かない。

 でもお兄さんの言う通り、何かが近づいてきている。

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