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「会長って、常磐の?」

「当たり前でしょ。他に誰がいるっていうの」

 ニシは、壁際のインスタントコーヒーとカナを見比べた。

「いつ?」

「いまから。すぐに。私のところに慇懃な秘書が来て、ニシを連れて68階のラウンジに行くように言われたの」

「でもなぁ」

「何? 行きたくないの?」

 そういうカナも義務感にさいなまれているといったようではあるが。

「テツさんと交代して休憩させてあげないといけない」

「それなら、もうちびっこ隊長に連絡して交代の人を送ってもらったから大丈夫」

 用意周到/完璧主義のインテリ。頭の回転はピカイチ。

 カナに連れ去られるようにして、高層階用のエレベーターホールで、上向きのボタンを押して待った。

 周囲では本社から来たであろう、面識のない常盤興業の社章をつけたスーツ姿の男女がせわしなく行きかっている。中には官僚/役人も混ざっているが、存在感は薄く。

 常盤興業は世界を救ったという自負がある。そんな誇りを胸に働いている企業戦士たち/常盤興業の野望に加担しているかどうかは判然とせず。

 カナは、はたしてどちらの側の人間だろうか。エレベーター内の鏡に映った姿を見た/おでこが相変わらず光ってる。

「怒ってる?」

 ニシの口から不意に言葉が出た。

「怒ってるわけないでしょ」

 確かに怒っている、という感じでさっきから胸の前で腕を組んだままだった。嘘は苦手=秘密裏に常盤の野望にかかわっているということはなさそうだ。

 順調にエレベーターが上昇していく。今、30階を過ぎたところ。

「ずっと表に出てこなかった常盤の会長が、いまさら会いたいっていうことに違和感を覚えている、とか?」

「違う、そんなんじゃないから」=目も合わせず。

 68階に到着/下層階と違い広い空間/さりげない花瓶やら絵画の装飾が凝っている。そして足元はフワフワのシックな色合いの絨毯が敷いてある。

「さっきの女、ずいぶんと仲がいいのね」

「女? ああ、あれは」これはずいぶんと怒っている。「なんてことはない。ただ、話していただけだ。情報漏洩とかはしてない。魔導士どうしの、ただの雑談だよ」

 さりげないウソ/軽く真実も混ぜておく。

「はぁ?」

怒っている=目の前でカナのポニーテールがぶんぶんと揺れる。

「ただの、最高位の魔導士を取材したいという記者だよ」

 言った後に気づく=部外者立ち入り禁止だった。

「ふーん」睥睨へいげいなら・・、いいわ。別に」

 カナの組まれた腕が解かれる=ドカッとラウンジのソファに腰かけた。

 少なくとも怒ってはいないようだが、感情が判然としない。

 不意に現れた存在感=ニシの背後に金髪の大男/カグツチが出現した。ラウンジにいた数人の一般人がぎょっとなってたじろいだ。

「心配はいらんぞ、光の魔導士よ。ニシはあの小娘とまぐわう・・・・つもりはないからな」

「は? お前、何を──」

「べ、別にそんなこと、私は気にしてないんだからね」

 カナ=真っ赤になって反論した。

「ふむ、そうか。だが魔導士どうしでの密会はまぐわい・・・・が目的ではないのか? 少なくとも我が神として祭られていた時代はそうだったが」

「いつも言っているが、神代と現代をいっしょにしないでくれ」

 子供のころ、近所のジジィに魔導を教わりながら、その手の書物は見たことがあった。だが昔話程度の内容で記憶が判然としない=些細なことは覚えているくせに肝心な部分が抜け落ちている。

「これはこれは、おそろいで。時間通りですね」

 やけに甘ったるい猫なで声だった。長髪&長身&痩躯の男がラウンジに現れた。30代半ばといったところか。上下真っ黒なスーツで目立たちたくない影のような人物だった。

「ムムムムムムぅ」

 カグツチがずんずんと歩を進める/文字通り頭上から/長髪の男を見下ろした。

「おいこら、ケンカを売るな」

「あ、その人がここに私たちを呼んだの。で、会長はいつ現れるの?」

 しかし長髪の男は首をかしげるだけだった。

「はて?」

「はて、じゃないわよ」

「自分が会長だ。常磐の創始者ではあるが、君たちにならこう言ったほうがいいか。密教から来た魔導士」

 しん、と静まった。唐突な自己紹介に返す言葉が見つからず、とりあえずカグツチの服の裾を引っ張って会長から引き離した。

 カナ=ふかふかのソファから飛び起きた。

「冗談でしょ、秘書のはず」

「自分は一言も秘書、とは言っていませんよ、佐藤カナ。光の魔導士。もっとも、人目が多い場所だったとはいえ、自己紹介しなかったのは自分の責ですが」

 男は、改めて、と前置きを述べた。

「自分は、密教より参った魔導士。常盤を立ち上げ今では会長と呼ばれております。名前は、ない。というより捨てた、と申したほうが正しいですね」

 長身の男=会長は、すっと視線をニシに移した。

「召喚の魔導士、そして神代の精霊。資料は読ませていただきました。なんと珍しい天賦だ」

「そりゃどうも」

「天才、と呼ばれ慣れているでしょうがその実、人一倍の努力もしてきた。そんな風にお見受けしますが」

 心の奥を見透かされているような、つかみどころのない人物だった。今、考えていることさえ読み取られてしまう危うささえ感じてしまう。白色の腕輪=最高位の魔導士を監視するGPSデバイスが揺れた。

 今度は会長がカグツチへ一歩踏み出した。

「密教でも召喚の魔導を扱えるものは、まあ、いなくはありませんでした。が、まさか神代の神を召喚できるとは。いやはや、これ自体、自分の研究対象として申し分ない」

 ほめている/盛大な独り言───これもまたつかみどころがない。少なくとも、カグツチはいい顔をしていない。ここまで不機嫌な顔を初めて見る。

「好かん」

 彼はそれだけを言い残して、虚空へと消えた。

「フフフ、シャイな神様です」

 会長は不敬な笑みを浮かべたと思ったら、流れるような動きでふかふかの高級ソファに腰かけた。

「どうぞ。まあ、座ってください。ここのコーヒーはおいしいですよ」

 会長の視線の合図とともに、白磁に金の装飾が施されたコーヒーカップが3つ、運ばれてきた。

 2人はそれに手を付けず、じぃっと会長を見た。足を組んでその上で5本の指を左右でぴったりとくっつけている=癖。そして視線が合った。

「思ったより、若いな」=ニシ。

「アハハ、たかが見た目ですよ。魔導でどうにでもなります。年齢もまた、そうです。こちら側では寿命は、どうがんばっても100歳くらいだとか。なんとはかないものです。魔導は認識を現実にする技。文字通り、魔の導きです。真理さえ理解していればそれこそ宇宙さえ創造することだってできる」

「で、この会合の目的は何だ?」

 ニシ=単刀直入に。隣でカナがはらはらと両者の間で視線が泳いでいる。

 こちらから聞きたいこと=山ほどある。潰瘍の原因は常盤に原因があるのかないのか。会長から放たれる言葉の真偽は定かではない。ただ/もし、判然とするなら自分の中にある中途半端な気持ち=常盤に関わり続けることに踏ん切りがつく。

「君たちに会うためですよ、召喚の魔導士」面食らう言葉=思わず目をそらした。「最高位の魔導士は、確かに数が少ないです。とはいえ珍しいというものでもありません。自分自身がそうであるように常盤の本社に10名ほど、所属しています。しかし以前、君が潰瘍の抑制フィールドを、あまの鎖で縫い合わせたことを耳にして、それ以来会いたいと願っていたんですよ。かつて天と地をひとつにつないでいたといわれている鎖。いわ れがあるから強力な魔導となる、というのは自分も理解しているのですが。もしや彼が……君が召喚した神が、神代の御業を君に教えたのでは」

 会長の純粋な言葉たち=興味。会いたかったからというのも本当のことらしい。その目的はたぶん、魔導&宇宙の真理の探究にある。

「あれは神だが、あくまで自称だ」ニシ=警戒を解かず。「ただし、会話はそう簡単じゃなかった。こっちは生き物。あちらは次元の外側にいる概念。となればどんな奇跡の技だとしても、彼にしてみれば“今日は雨が降っているなぁ”ぐらいにしか思っていない。そもそも、過去の記憶はそれほど多く持ち合わせていないようだしな」

「それはなんと、悲しいことですねぇ。失われた神代の御業にはぜひ自分も触れてみたいものですから」

 知的な癖=ぴったり合わさった5本の指の向こう側から、会長はニシから視線を外さない/不気味さ。蛇に睨まれたカエルの思い。

「対談がしたいなら、こんな回りくどいことをしなくても会いにくればいいだろう」

 あくまで対等に要求してみる=ブラフ。

「フフフ、会長という身分は、うーん、君が思っているほど自由ではないのです。会社を、常盤を立ち上げたはいいものの、今では秘密保持を目的に本社から自由に出歩くことを禁止されていますので。しかしこうした国際会議の場に出れば、必然的に警護の人員を動かすことになる。なら近場の支部から警備が来るだろうから君もやってくる。武力の誇示は役員会の意思にも沿う形になります。もちろん、光の魔導士、君にも興味がありました」

 疑問点=超級ウィザードクラスの魔導が扱えるのに軟禁されている? もしくは彼自身が秘密を抱えている可能性がある?

「潰瘍は、あんたが起こしたのか」

 後先考えず、言葉が飛び出してきた=カナが隣であたふたしている。

「起こしたか、ですか。フフフ。まあ、聞かれるとは思っていましたよ」

 会長=なおも慇懃に。返す言葉を用意しているのか。

「潰瘍を封じ込めることができているんだから、その原因だってわかっているはずだ」

「ふむふむ、なるほど。“あんたが起こしたか”ということは、自分は潰瘍が作ることができる、と思われていると解釈するのですが。しかしそれは、違います──」

 会長=足を組み替える/合わさった5本の指をパタパタと開閉させた。

「──たとえば、火をつける方法というのはいくつもあります。摩擦、電気、化学反応、光の収斂。火を見ただけで、それが起きた原因を探るのは困難ですが、消す方法はひとつしかない」

「じゃあ、原因はわからない、と」

「ええ、そうですよ、召喚の魔導士。直接的な原因は不明。この5年間、繰り返し言ってきたことです。自分自身、まだ宇宙の真理に近づくことのできていない矮小わいしょうな人間ですので。とはいえ、潰瘍が自我境界線を溶かしてしまう性質はわかっていますので、抑制フィールドは作ることがたやすいんですよ。いわば、魂を守る魔導障壁の、自己鋳造式付術エンチャントです」

 完璧な主張/反論の余地なし。これ以上追及してものらりくらりと逃げられてしまう予感。

 会長は組んだ足の上で満足げに合わさった指をぱたぱたと動かした。

 ニシはふかふかのソファに深く腰掛けて、高級コーヒーを飲んだ/しかし熱さのせいで味がわからず=猫舌。

「さて光の魔導士」会長がカナに向き直った。「仕事は順調ですか?」

 当たり障りのない日常会話/現場の意見を聞かんとする経営者のいらえ。

「あ、はい。問題なく」

「新型魔導機関を旧東京支部へ送ったはずですが、経過はどうです?」

「マナの出力は安定しています。付術エンチャントもテストが終了して、いつでも抑制フィールドの共振器を自作することができます」

「ふむ、結構。全自動の工作設備はなかなかに高額な出費だったようですから。これが成功すれば、世界各地の潰瘍監視基地にも同様の魔導機関を設け、より安全な環境を提供できるでしょう」

 会長=にこやかに。当たり障りのない会話で終了してしまった。普段は勝気なカナも、職場の上長には逆らえないということか。

「あの、会長、ひとつだけ聞きたいことがあるのですが」

 カナ/野良猫のようにおびえた目で機会をうかがった。会長はなおもにこやかに話の続きを促した+パタパタと動いていた指が止まる。

「ニシは、特別な魔導士なのでしょうか。会長がそこまで興味を惹かれるという点に、もっと理由があると思うんです」

 至極まっとうな優等生の質問。もしくはニシへの対抗意識ゆえ。

「あなたも、十分に特別な魔導士ですよ」にこやかなフォロー「しかし、特別な魔導士、とはなぜ特別たりえるのか。普通の人間と魔導士の違い、そしてなぜ君たちが天才と呼ばれるのか、考えたことはありますか」

 思わず=ニシとカナが目を合わせた。それはつまり、なぜ魔導士が生まれてくるのかという点についてだった。いかなる文献でも偶然としか説明されてこなかった答えを会長は持っている。

「より特別な魔導士ほど、宇宙の真理に近づいている。ということになります。そうしたケースを踏まえ──」

 突然、ラウンジの照明が消えた/空調もピタリと止まった。光は窓から差し込むだけになり、お互いの顔に陰影が濃く映った。

「停電?」

 ラウンジにいたほかの客たちがそわそわし始める。

「電話も不通だ。街全体が停電を?」

 スマホの画面の上部=見慣れない『圏外』の文字

 冷や汗=潰瘍が発生して半年間、通信機器が使えなかったことを思い出した。

「まあ、慌てないでください」

 薄暗闇に目が慣れてきた。会長はなおも余裕の表情だった。

「台風でも地震でもない。何か事故があったんじゃないのか」

「なぜ自分が、合衆国代表との会談にこのビルを指定したか、わかりますか?」

 まどろっこしい。

「魔導災害災害復興の象徴だからじゃないのか。このビルはWW3以前戦前から建っていたから」

「んんん、間違いです、召喚の。このビルには魔導セルを用いた非常用電源が備えられているのです。まだ小さかった頃の常盤興業が最初に納入したもので、設計は粗雑ですが魔導機関と魔導セルの“あいの子”で、災害時には半径数キロに電力を供給できるのです。自分自身、思い入れが深いのですよ」

 いったい何年前の話をしているのだか。常盤興業のベンチャー時代といえば冷戦が終わる前の話だ。会長が、魔導を用いて見た目をごまかし、寿命を延ばしているということはあながち嘘ではないようだ。

 ペカッ。

 会長の言葉通り、間もなくビルの明かりがついた。会長はほら見なさい、とばかりに満面の笑みを浮かべた=ずっと合わさっていた手がぱっと開かれた/わかりやすい癖。

 しかし、直後、再びラウンジは暗闇に包まれた。先ほどよりも甲高い悲鳴が同時に起きた。

「ふむ、これはこれは」

 会長は足を組みなおすと、指先をこめかみに当てて考え始めた。

「おい、どうなってる」

 ニシ=不通のままのスマホを握りしめる。子どもたちが不安を感じていないだろうか。すぐに連絡する手段はない/少々厄介だが、遠隔地にカグツチを召喚して様子を見てきてもらうという手段もある。

「連絡が取れました」

 冷静さ、というより一歩引いた位置で世界を見ているような物言いだった。

「停電は、どうやら神奈川の東側一帯だけのようです。変電所が各地で止まっています。とはいえ、このビルの非常電源が動かないのは、まずいですね。幸い、各地で各地で警察が出動していて大きな混乱は起きていないようですが」

「連絡が取れた?」

 ニシ思わずカナを見た=カナも答えを求めるように、目が合った。会長は一言も言葉を発していないし、通信機器すら手に持っていない。

「あはは、これですよ」

 会長=空気を読んで左耳あたりの髪をかき分けた/肌に機械がくっついている/むしろ周囲の肉感は埋め込まれているといった感じ。この薄暗い中でかすかに発光しているのが見えた。

 カナ=合点がいった。

「インプラント! まさか実用化していたんて」

「いえいえ、まだ試作の試作段階です。マナに感応力がある者しか扱えませんし、それに使いこなすにはコツが必要ですから」

「じゃあ、あの機械が電話なのか」

 ニシ=なおも信じられないという様子。

「ええ。視神経に直接作用して、スマホの画面のように映像が見えるの。空間に浮かび上がる感じで。通信技術は、量子のゆらぎ理論を魔導で実用化しているから、遮蔽物や距離がどれだけあっても時間差のない情報通信が可能……魔導工学の論文で可能性だけが指摘されていた技術よ」

 工学オタクのいらえ=言っていることの半分は理解できた気がする。

「どう操作しているんだ?」

「脳波よ。手足を動かす感覚で。脳の使われていない領域を刺激して新しい手足みたいに使うことができる。まあ、脳科学は私の専門外だけど」

「まるでSFの世界だな」

「それが魔導工学の真髄なの。誰でも扱える科学、何でもできる魔導。その融合で科学発展の障害ボトルネックを取り払うの」

「なんでも、はできないだろう。魔法じゃないんだから」

「ええ、そうね。でもたいていのことはできるじゃない」

「そのために常盤にいるんだったな」

「そうよ。なんだと思ってたの?」

 普段のカナ=雑多な業務に追われる中間管理職/一応のエンジニア/一応の大学院生。

 カナの瞳の輝きは見たことがある。会長の真理を探究したいと発言した時の輝きに似ている。

 社会の発展/その弊害。そんな複雑なことは考えていない。単純な探求心&その原動力の好奇心。知らない世界を知りたいというインテリゆえの純粋な欲求だった。

「さて、若き魔導士たち」

 会長=なおも慇懃に。

「楽しかった会談は、お開きかな」

「ふふふ。一緒に来てほしいと思いましてね」会長=すらっとした手を差し出した。「このビルの停電障害を解決しましょう」

 なぜ俺たちが。しかし言い淀んだ=会長の目的を思い出した/『魔導士に会いに来た』魔導を見せるところまで、思惑に入っているのだろうか。

「実はですね、非常電源の設備は地下にあるのですが、エレベーターは停電で動きません。階段もあるのですが、非常時体勢ロックダウン中で厚い防御壁で閉じられています」

「非常時に非常電源にアクセスできないなんて欠陥だろ」

「スタンドアローンで作動する措置ですからしょうがなんです」

 会長=なおもほっそりとした手を差し出したまま。どういう意図があるのだろうか。

「つまり、非常電源装置で、何かが起きていると?」

 カナ=簡潔にわかりやすい解説。会長もまんざらではないという様子だった。

「今すぐに事態を解決するには、今いちばん強い自分たち3人が行くべきですよ。さあ、手を握って」

 手?

 ニシもカナも、特に考えることなく会長の細い指を握った=マナの本流を感じた。それも尋常ではないオーラだった。

「いいですか。絶対に手を離してはいけませんよ。でないと、壁や床のコンクリートに挟まれたままになりますから」

 次の瞬間、胃がひっくり返る感覚を覚えた/突如襲い掛かる加速度=9.8m/s2。服や髪は風でばたつかない落下/真下に引っ張られる不快感に満ちた。

 速度が落ち着く/重力で体が重くなる。反射的に魔導で体を保護して落ち着かせる。

 一瞬の後、落下が止まった。瀟洒しょうしゃなラウンジは消え、薄暗い地下空間にいた。

「さあ、つきましたよ」

 久しぶりの地面。吐き気も若干覚えた。さっさと会長の手を振りほどいて息を整える。

「はて、高所からの落下なんて魔導士にとっては日常茶飯事でしょう」

「壁や床を通り抜けて落下するのを、突然されたら誰でもこうなる」

「はて。そんなものでしょうか」

 そんなものである。 

「物理学を勉強しましたか? 原子とは、原子核の周囲を電子がまわっています。つまり隙間だらけなんですよ。例えば地球を構成する原子の隙間をぎゅっと無くした時、直径が250mの球体にしかならないんです」

 若い魔導士を尻目に、会長はさも平然と語りかけた。

「でもそれは、物理学を子供に教えるときの、単なるたとえ話です」

 カナ=胸を押さえている。たぶん、吐きそうなんだろう。

「魔導の基礎は、概念の実体化。原子に隙間があるのであれば、“ちょっと隙間を詰めてほしい”とさえ思えば、3人分ぐらいの隙間なんて作れるでしょう。とはいえ、おすすめの魔導です。練習してみてはいかがでしょうか」

「失敗したらハン・ソロみたいになってしまうだろう。誰がやるか、そんな危険なこと」

 ニシ=やや憤慨気味に地下通路を進んだ。会長はそれを若気の至りとおおらかに受け取っていた。その後ろをハラハラとカナがついて歩いた。

 赤い非常灯が薄暗く埃っぽい管理通路を照らしていた。用途のわからないパイプがむき出しに、壁に沿って走って行ったり、壁の隙間の奥に潜っていったりしている。

 空気が淀んでいる上に埃っぽい。下水か排水のにおいもどことなくにおっている。

 高速詠唱。声なき声を唱えて全方位に警戒。

 腕に複数の魔導陣の円環が現れた=うちひとつを消費して魔導障壁を展開。

 天井はニシの頭頂部がぎりぎり届くくらいだった。この閉所ではカグツチの召喚はかなわないだろう。天井や壁を突き破って身動きが取れなくなってしまう。

 円環の消失=閉所でも取り回しのいいククリナイフを召喚した。柄の少し先から刃が下向きに曲がっていて、獲物を削ぎ切りするのにうってつけだった。

「緊張しているのですか」

「んなわけない」

 どこまで虚勢を張れたかは不明だった。慇懃な魔導士/会長の前にあっては何かにつけてバツをつけられそうだ。懐かしい感覚=昔、近所のジジィに魔導を教わった時と同じ畏怖/恐怖。

「そこを曲がった先が、行き止まりになっていて非常電源が設置されているんですよ」

「わざわざ記憶しているとは、すばらしい」

「今でこそ、魔導セルを非常電源に使う例が多いですが、当時はまだ安定した出力の製品を作れていませんでね。魔導機関の試作型を設置しているわけです。ここを回復することができれば、非常時用の電力グリッドに供給され……まあ、インフラが回復するってことです」

「魔導士の割には工学の知識も豊富なようで」

 しかし反論したのはカナだった。

「あなただって物理から魔導を勉強してるでしょ。つまらない言いがかりはよしてよ」

「カナは会長の側に立つわけだ」

「もう、そうじゃなくて。どうして最初から悪者扱いなの」

 立ち止まる=狭い通路の曲がり角。この先に非常電源の魔導機関がある。

「自分は、悪く言われるのに慣れていますが、ふたりはケンカはほどほどにしたほうがよいですよ」

 余計なお世話だ。

 初対面の男につっかかるのは見当違い=わかっている。たぶんこの5年間抱いていた、会長という偶像への不信感/不安感のせい。

 潰瘍の中の地獄&潰瘍が起きた時の地獄絵図。忘れずとも思い出さないよう努めている。

「さあ、行きましょう。なぁに、安心してください。藪蛇やぶへびだろうと、自分がついています」

 むかつくまでの慇懃さ=しかし戦力は最高位の魔導士×3。世界を相手に戦争ができるぐらいの心強さ。

 非常用電源装置は通路の終点/袋小路ふくろこうじ の壁に埋め込まれるようにしてあった。通路側には各種スイッチ、電圧&電流ゲージ、中央の赤く大きいカバーに覆われた部分はたぶん、停止スイッチだろう。

 赤い照明で不気味に照られた配電盤の上で、大きな肉塊が動いていた。

 一見すると木のこぶ/サイズは人の頭ぐらい/粘液を垂れ流しながら蠕動ぜんどうしていた。

 見覚えのある軟体動物=区役所の松井さんに見せてもらったビデオ/カリナと名乗る記者に見せてもらった写真。

 実物=さっと鳥肌が立つような嫌悪感を覚えた。なにせ今まで見てきたどんなタコよりも大きい。

 生き物ではないのは確かだった=しかし怪異でもない。怪異特有のマナの気配を感じない。目の前にいるは生き物に間違いはない。

「ふむ、興味深いですね」

 会長の開口一番=好意的な態度

「あれを斬ればいいんだな」

「ええ。ただし、あの下は高圧電流が流れていますから、気を付けて。マナを若干帯びた電流です。感電したらあなたの魔導障壁を破ってしまうかもしれません」

 電気なんて、と軽口をたたこうとした機先を制された。

 ふとしたアイデア=ククリナイフを軽く放る/空中で切っ先をつまむ/手首のスナップで投擲&魔導で若干の軌道修正をした。

 ククリナイフは吸い込まれるように軟体動物の頭部に突き刺さった。怪異だったらこの程度、傷にさえならない。

 しかし、その動物は体表がぶるぶると震えた後、ボトリと通路の床に落ちた。

 その動物をのぞき込む一同。

 粘液で濡れた深い朱色と思える体表/瞳孔が横に開いた黄色い眼がひとつだけ体側に付いている。足/手と思しき短い触手が10本、震えている。まるで、

「タコみたいだな。タコの化け物」

 この軟体動物は映像で見るよりもグロテスクだった。

「え、イカじゃないかしら」

「自分も、イカに見えますね。アンモナイト……というより殻を取ったオウムガイといったふうですね」

 またしても否定/反論。世間一般と認識に誤差があるようだ。

「で、こいつは何なんだ? どうみても怪異じゃない。だが、マナをエサにしている」

「その様子だと、以前どこかで見たことがあるようですね」

 ドキリ。常盤に反旗を翻しているわけではない/慇懃な会長の穏やかな表情は、いつ爆発してもおかしくない時限爆弾に見える。

「各地で噂になっている。タコだかイカだかの化け物が出没している、って」

「マナをエサにする軟体動物。そうですね、便宜上、“魔導生物”と呼ぶことにしましょう」

「その様子じゃ会長こそすでに魔導生物の存在を知っていたって感じだな」

「フフフ、だてに超巨大企業の会長をしているわけじゃありません。情報はいろいろと入ってきています。そして、召喚の魔導士。自分を疑っていますね。これは常盤がしでかしたんじゃないか、と」

 ドキリ。疑いの確信があったわけではない。だが逆に、魔導生物というとんでもない生き物を生み出せるのは常盤しかいないだろう。

「そして、佐藤カナ、光の魔導士。君はどうですか」

「そんなことありません!」=即答/組織に生きる人間として満点の回答。

「まあ、いいでしょう。自分の言葉を信じてくれるかどうか、にはなってしまいますが、この件に関して常盤は関係がありません」

「にしては詳しそうだがな」

 会長=落胆/長い溜息。

 会長は電源装置を一瞥すると、下がっていた重いレバーを上へ動かした。途端に電圧計&電流系のアナログな針が動き始めた=電源の復活。マナを帯びた電流のぴりりとした感覚があった。

「人の信頼を勝ち取るのは、ずいぶんと難しいんですね──」

 会長は魔導生物の傍らにしゃがんで、刺さったままのククリナイフを指先2本でつまむと、怪しげな生き物をしげしげと眺めた。傷口から黒い紫色の鮮血が滴る。

「──魔導生物に関して、自分はあまり詳しくはありません。あくまで研究資料をさっと読んだだけになります。なにせ、古代生物学の一分野でしたから。密教は様々な魔導分野を研究していました。目的は皆、宇宙の真理への到達でしたが、過去にその根源を探る研究分野もありました。いわゆる私たちが神代と呼ぶ世界の研究です。まだ神がおわします世界。世界に濃いマナが満ち、人が生物相ヒエラルキーの下層に位置し食われる存在だった時代です。有史以前、といえばわかりやすいですか」

「じゃあ、そのころ生きていた魔導生物が現代によみがえった、と」

「んんん、よみがえることはないでしょう。恐竜が酸素の薄い現代に生きられないように、魔導生物たちもまた、マナの薄い現代において生存することは難しい。生きられる場所といえば、龍脈の濃い川崎の特質、潰瘍の近く、そして魔導による電源グリット上。などが考えられますね」

 嘘ではない。会長の言葉の真偽は直感的にわかった。

 嘘ではないが、何か隠している。ニシやカナと慎重に言葉を選んで話している。

「じゃあどこから来たんだ。知っているんだろう?」

 カナ=再びどきまき。苦言を呈そうとするも会長に封じられた。

「知識とは責任が伴うものだ、召喚の魔導士。君の腕の、そのGPSデバイスのように。“好奇心は猫をも殺す”とはよく言ったものだで、いわゆる世界の真実は残酷なものだ。君はそれを背負う覚悟があるのかい」

 逡巡しゅんじゅん=自分は特別なんかじゃない。ただ魔導が使えただほかの魔導士よりマナへの感応力が高いだけだ。ヒーローではない。ただ6人の子どもたちのため生きてきた、ただの一般人だ。

 ただ/もし、可能性があるなら。周りが言うように天才的な最高位/誰もがうらやむ能力があるなら、世界を救う一端いったんにな うこともできるのか。

「ある」

 会長を見る/睨む。

「ふむ、いいでしょう。そうですね、どこから話しましょう。魔導機関の仕組みは、どうなっていますか」

「それは、マナを取り出すための装置で──」

 気づく/驚き=自分に対して。マナを取り出せるのは人間ゆえだ。人間の思考=魂が複雑な故、次元の裏側からマナを抽出できる/ある意味で反物質だ。

 気づいた=魔導機関はブラックボックス。そう言って納得してしまっていた。

「──わからない」

「無知の知。しかし、結構。知識を得る第一の手段で恥ずべきことではない。魔導機関には人の魂が宿っている。現実的に言えば脳だ」

 さらりと=企業機密の根幹をさらけ出していた。

「そんなに驚いた顔をしないでください。なに、人をかどわかし手術をして、機械に埋め込んだわけじゃありませんよ。マナに感応力のない人間の脳を使っても意味ないでしょう。自分たちが用いたのはiPS細胞から再生した疑似的な脳です。人格はありません。ただ思考する電気信号があり、故に魂と同等にマナも存在する」

「人格が無い、なんてわかるはずがないだろう。見ることなんてできないのだから」

「たしかに。哲学的、あるいは量子論的な問いですね。倫理的な問題はあるにしろ、誰も傷つけずに無限のエネルギーを確保できるのです。そしてこの魔導生物──」

 会長は、イカ様の魔導生物を念動力で空中に浮かばせた。

「──これもまた、魔導機関の一部なのです。もちろん、常盤のではありません」

「常盤以外の魔導機関って」=カナ

「合衆国の魔導機関です」

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