9

 中層階の窓のない会議室。

 味気ない楕円形のテーブルに仕出しの弁当箱が積まれている。半数は空箱になって行儀よく業者のビニール袋に収まっていた。

 輪ゴムを外す/割り箸を割る/蓋を開ける。だが箸が進まない。

 空腹を全く感じていなかった。

 リンはあのとき、汚い仕事はすべて自分がする、と言っていた。それはある意味で彼女なりの優しさなのだろう。でも守るべき存在=子どもたちがいるなかでそんな悠長なことを言っていていいのだろうか。

「奪うものから奪われるものを守れるかどうか……」

 テツの言葉を反芻してみた。守るための道具、なんてものじゃない。自分の手の中には、やろうと思えば核爆発すら起こせる魔導が秘めている。それを象徴するかのように、白の腕環=最高位の魔導士を監視するGPSデバイスがからからと揺れた。

 味のしない弁当を掻き込んだ=エネルギー補給。部隊の仲間たちはあっけらかんとしているのだろうか。

 テツの言う通り、現状、裕福という言葉の意味が失われつつあるこの国で、暴動だの爆弾テロだの起きるはずがない。しかし世界に目を向ければ魔導機関をめぐるパワーバランスが新冷戦の様相を呈している。

 それだけではない。魔導災害が沈静化する一方で、魔導を悪用した犯罪も起きないとは言えない。そうなれば常磐の保安隊にお鉢が回ってくる。悠長に、「武器をおろせ、逮捕するぞ」なんてことはできない。間違いなく射殺コースだろう。

 相手がもし魔導士なら?

 銃弾なんて通用しない。ニシ自身、魔導の軽い詠唱だけで、対怪異戦用の銃弾を防ぐことができる。

 魔導士を殺さなければならないかもしれない。2ヶ月前、潰瘍内であの魔導士を確保できたのは、運と勘のおかげだ。次もうまくいくという保証はない。

 子どもたちはもうご飯を食べただろうか=唯一の心の拠り所。

 スマホを取り出す/サナに電話して状況を聞こう。

 子守はカグツチにお願いしている。自称とはいえ神の子守は安心感がある。いっぽうで子どもたちの舌先三寸に騙されて夏休みの宿題をほっぽりだすかもしれない。

 母親役のモモがいれば、まあその点は安心だろう。

 電話、それとついでに横浜の美味しいお菓子を調べておこう。暇を見つけてお土産を買いに行く。もしかしたらこのビルのどこかでも変えるかもしれない。本音を言えばシュウマイを食べたいが、子どもたちならマカロンとかがいいのか。

 スマホを操作/電話のアイコンをタッチ=これだけは魔導で操作できず。

 その時、誰かがドアを軽く叩く音がした。

「ノック?」

 同僚の筋肉だるまたちは、そんな繊細な気遣いをする人はいない=鍵のかかったトイレのドアを拳で叩いて押し通る連中。

「どうぞ」=ニシは警戒を解かずドアから一歩下がった位置で待機した。

「お久しぶりです~」

 パンツスーツに、ハツラツとしたインテリを判に押したような女性。

「どこかで会ったような」

「もおーナンパですか? やだなーお姉さん照れちゃう」

 物怖じしない佇まい。カチリ、と頭の中でピースが埋まった。

「あのとき会った雑誌の記者か」

「カリナです。そ・れ・に、雑誌じゃなくてwebニュースの『マジシャンズ.com』です~。お間違えないように。そして私の車を坂道で暴走させたことも」

 ニシ=首をかしげる。

「じゃあ、今日はその復讐に?」

 軽口で応酬した。さほど強いマナの流れを感じない=カリナの魔導の感応力はせいぜい黄色中程度レベルだろ拘束して無力化することも可能だろう。

「やだなー、そんなんじゃないですよ。取材ですよ取材」

「わざわざ休憩室へ? ここは、制限区画だぞ。関係者以外は立入禁止のはずだ」

「もちろん、ニシさんに取材です。ほら、言ったでしょー。私、鼻が効くんです。それに 許可証なら、ほら、ここに」

 首から下がってるIDパス=常磐の発行した「VISITER」の刻印と顔写真があった。

 ニシはそのIDパスをじぃっと見つめた。

「あーもぅ、私のおっぱいばかりみないでくださいよ~。私、そーゆーことして取材するとかしないんですから」

 カリナはさり気なくIDパスを隠そうとする=ふわりと胸から浮かび上がった瞬間、ニシが掴んでいた。

「グエッ、あまり引っ張らないでくださいよ~」

「俺も鼻が効くんだ。特に魔導に関しては」

「へ、へー、そーなんですね。あ、この香水、いい香りでしょ。輸入物なの」

 ごまかし=効果なし

 高速詠唱。声なき声を唱えた。マナの本流が2人を包んだ。

 たちまち、カリナのIDパスだったそれは、ただの彼女の名刺に変わっていた。

「幻惑魔導か。まったく小賢こざかしい真似を」

 ニシ=一歩前へ出る。カリナを部屋の出口へ追いやる。

「まあまあ、そんな怖い顔しないで」

「俺はもともとこんな顔だ。あんた、住居侵入、公文書偽造……魔導による偽造は執行猶予なしの懲役刑だって知ってるよな。魔導を使った途端電気ショックが流れる特別製の刑務所行きだ」

 半ば脅し=さっさと立ち去ってくれることを期待して。

「待ってください!」

 カリナはドアのふちを掴んで意思を示す/警備を呼ぶべきか。

「待てない。本当に警備を呼ぶぞ」

「取材させてくれるだけでいいんです。そしたらニシさんにも特になるとっておきの情報、あげますから」

「どんな?」

「常磐の秘密」

 反応に詰まる=願ってもないチャンス。カリナも潮目が変わったことに気づいたようだった。ニシの脇を抜けて堂々と屋内へ入る。

「ふーん。世界最大の企業の割に、意外と庶民的なお弁当なんですね」

「弁当の取材は終わったか」

「やだなー取材は、当・然、魔導に関することですよ」

「先にそっちの情報が先だ」

 ニシ=腕組みして。

「えー」

「お前の犯罪行為を黙ってやるんだ。こちらに貸しがあるだろう」

 カリナ=ふてくされながらも、テーブルの上の積み上がった弁当を脇にどける。そして2つ折りの最新型スマートフォンを取り出した。

 L字に曲げた状態でテーブルに置く=タッチ機能付きの投影機能。

 長ったらしいパスワードを入力して機密ファイルを表示する。

「まずは、この写真。ここ1週間くらいで各地で目撃されているんです」

 写真=連射された複数枚が連続再生されて、コマ撮りしたスロー映像みたいになっている。

「タコのバケモノ」

「えっ、私はイカに見えるんですけど」

「イカは陸上で呼吸できないだろう」

「タコもできないらしいですよ」

 前もこんな会話をしたような気がする。

 松井さんに見せてもらった映像より鮮明だった。5本足、頭部のように丸く膨らんだ胴体=目は1つだけのようだ。

「昔の、グリードっていう映画でこんな怪物がいた」

 結局、松井さんの言葉が気になってニシはグーグルのサブスクリプション動画で古いパニック映画を見てしまった。

「私、映画はあまり見ないからわかんないなー」

「俺も受け売りだから分からないけど。で、これが常磐の秘密?」

「まあまあ落ち着いて。焦っても良いことないって」

 カリナは悠長に、投影されている映像にタッチ=次の写真に切り替わる。不法侵入していることに自覚がないのだろうか。

「最初に目撃されたのは、横浜市西区、次が磯子区、そして横須賀区。真偽はわかりませんが新東京のフロート基部でも発見されたとか」

「どれも海沿いだな」

「ええ。そして次第に内陸に移動してきて、この一週間で少なくとも20箇所で目撃されているの」

「そんなに多かったのか」

 大騒ぎになっていてもおかしくない情報だ。ましてやマナを帯びた怪物騒動なんて、常磐の旧東京支部の自分たちのところへ情報が来ないはずがない。どこかで情報が止まっている。

 あるいは、誰かが情報を止めている。

「地図に目撃された地点を書いてみたら、こんな感じになるの」

 神奈川県と伊豆半島、そして新東京を含めた地図に光点が浮かび上がった。カリナは淡々と説明を続けた。

「一見するとバラバラに見えるんだけど、目撃された半数が、変電施設とか高圧電線が通ってるエリアだったの。ほら、川崎市の新都は高圧線が共同溝として埋設まいせつされているでしょ」

 そういえば、松井さんもそんなことを言っていた気がする。

「私、電気関連の施設と聞いてピンと来たの。目撃されたパターンで内陸に目を向けると──」

 地図上の光点が放射状の線で結ばれ、移動予想先が1点に集中した。

「富士山麓の魔導機関」

「そそ。正式名、富士魔導発電所。5000万kWhの超巨大発電所。まあ実際のサイズは小さいらしいけど。つまりこれって、その魔導機関で秘密の研究してるってことなんでしょ」

 ずいぶんと飛躍した結論=カリナの目が輝いている。

「研究って、いや、そんなこと知らない。というか契約社員の俺が知っているわけないだろう。潰瘍の監視が仕事だぞ」

「じゃあ、この魔導イカと常磐は関係がないの?」

「どちらとも言えないが。もしかしたら、電気じゃなくて、電気の中のマナを喰ってるんじゃないのか」

「電気のマナ?」

「ほら、魔導セルを起動したときにピリッとした感覚があるだろ」

「それは、高位の魔導士だけよ。私みたいに非力な魔導士には、そこまでの感応力なんてないもの」

 その割にはそこそこ精密な幻惑魔導を使いこなしているようだが。

「魔導によって作り出したものは、多かれ少なかれマナを帯びている。あんたの偽造パスだって、マナを帯びていたから気づいたんだ」

「うーむ、そうだったのね。次からは気をつけないと」

「気をつける程度で隠せるものでもないけどな。魔導セルは、いわば電気を作る魔導を発動する機械だ。普通の電気と違ってマナを帯びている。その仕組みは、魔導機関を用いた発電施設も同じだ。あのタコの怪物がマナで生きているのなら、電気からマナを補給していたって不思議じゃない」

 他者からマナを補給する事件は以前もあった。犯人は怪異だと思われているがこちらも続報がない。解決したか、まだ事件が続いているか、常磐本社から情報が全く降りてきていない。

 多少のマナを電気から盗み、おそらく粘液か何かが原因でショートして停電を起こすのだろうが、タコの怪物のほうがまだマシだった。

 こんな生き物をわざわざ作るとも思えないが。

 気づいたら、カリナはさりげなくICレコーダーを構えていた。ワクワクを抑えられないというふうに、紅潮したままニシの次の言葉を待っている。

「で、どんなことを期待しているんだ?」

「この不可解な魔導イカの真相についてさいこういの魔導士の率直な意見と、そして常磐の思惑を!」

「みんな、そう言うよな」

 ニシ=嘆息の後、オフィスチェアにどかっと座って、弁当に付いてきたペットボトルのお茶を手で開けた=魔導を使って尊大に見えないように。

「みんな、この白い腕輪を見て、すごいだの羨ましいだの言ってくる。俺だって好きで付けてるわけじゃない。潰瘍発生後の魔導への奇異きいのせいで前科者みたいに監視する制度が始まった。が、今じゃ、“すごい魔導士”の象徴みたいになってる」

「でも、実際にすごいじゃない。魔導災害の後処理で高層ビルの解体を1人でやっちゃったんでしょ。鉄骨はその場で溶かして建材にして、コンクリートは粉にして、地下を埋めた、とか」

 一体どこでそんな情報を手に入れたのか。ネットに出回っている情報より具体的だった。

「ビルはその時すでに半壊していた。C型怪異が荒らして回っていたからな。ともかく、最高位のクラスの魔導士だからといって何でも知っているわけじゃない。俺も文献で見た以上に魔導について知っているわけじゃない。大半は門外不出の知識だったしほとんどは密教が持ち去ってしまった。神代なら不可解なマナを帯びた生物がいたかもしれないが、現代の俺たちは、たとえマナへの感応力が高くてもかつての半分も魔導を扱えていないんだ」

 ペットボトルのお茶をぐびぐび飲みながら、横目でカリナを見た=どうやら期待していたような情報を得られなくて不服らしい。あからさまに表情に出ている。

「さ、取材は終了だな。俺は、本当に何も知らない。なんなら上の階にいる会長に突撃取材すると良い。常磐の会長は密教から来た魔導士だ。知識も技量も、俺達とは格が違う」

「そんなことしたら、すぐつまみ出されるじゃないですが」

「それだけで済めば幸運だろうな。住まいは新東京?」

「ええ」

「市民権に居住権剥奪も、ありうるだろうな」

 根拠のない脅し=カリナに通じたかどうかは分からない。

「じゃあ、ニシさんのことをもっと質問させてください」

「どうしてそうなる!」

「ほら、わたしの記事の読者は、魔導士として成功したい人だったり、魔導士に助けられた人が多いんです。みなさん、きっと謎のベールに包まれた最高位の魔導士について興味があると思うんです」

「ベールに包まれているのはただの一市民だからだ。政治家でもなければ芸能人でもない。隠されていて当然だろう」

「有名人になりたくないんですか」

「無い。これっぽっちもない。そういうのは、メディアの慢心っていうんだ」

 ニシ=口をつぐんだ。やや強い口調/反省。

「……ごめんなさい」

 カリナ=急にしおらしくなった。もそもそとICレコーダーと二つ折りスマホを鞄にしまう。彼女なりに調子に乗りすぎていたことに気づいたのだろうか。

「仮名ならいい」

「へっ?」

「それと文書だ。口頭じゃ間違えて伝わるかもしれない」

「じゃあ、インタビューして良いんですね!」

「きちんと準備してから、だ。それに業務上の機密は教えることができない」

「わ、わかりました。じゃ、とりあえずメールアドレスを交換しましょう」

  お互いにスマートフォンを取り出し、QRコードを読み取ろうとした──と同時にドアが勢いよく開いた。

「誰、その女?」

 人が不倫をしているような言い方はやめてほしいものだ。

 カリナに負けず劣らずインテリの風な出で立ちのカナが睥睨している。ぴったりめの黒スーツ&常磐の社章のピンバッチがキラリと光っている。左腕にはニシと同じ白環=GPS付きの腕環が魔導で空中で静止している。

「あら、彼女さんですか。じゃ、私はお邪魔なので退席させていただきますね」

 違う、と否定する猶予もないままカリナは足早に会議室から出ていった。カナとすれ違う瞬間、ひと悶着あるかとドキマキしたが、カナは彼女を目で追っただけだった。

「あー、弁当食べたか? 美味しかったな」

 適当な言葉を投げてみた=カナの内心を探るジャブ。

「もうとっくに食べたわよ。私が言いたいのは部外者を──」

「入れるな、だろ。分かっているよ。何もなかったから大丈夫だ」

「ふうん、そう。信じていいのね」

 バレてる。心拍数が早くなる=もともと嘘が苦手なタイプ。

「休憩だろ。コーヒーでも飲むか?」

 壁際の給湯ポット&インスタントコーヒーと紙コップにマナを流そうと高速詠唱/カナはそれを否定した。

「違うの。会長が私たちに会いたがっているんだってさ」

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