6

 模範的な社会人らしく、松井さんとの約束の5分前に分庁舎についた。

 潰瘍の発生以前から使われていた古びた3階建てのビル/退勤時間と重なってぞろぞろと両開きのドアから出てくる公務員たちとすれ違う。うち何人かはニシに会釈をして挨拶をした。

 潰瘍の後、怪異の駆除のみならず瓦礫の撤去やら整地やら、重機で1週間かかる作業を1日で終えてしまった=そんな経緯で顔なじみの職員もいる。

 分庁舎1階の隅の方、奥まったところに鳥獣対策課があった。天井から看板がチェーンでぶら下がっている。エアコンの送風で、それが左右に揺れている。

「おや、早い到着でしたねぇ」

 聞き慣れた声=松井さんが背後から現れた。

「こんにちは」

 こんばんは、のほうが良いだろうか=そんな時間。

「とりあえず、こちらへどうぞ」=松井さんは自分のデスクへ案内した。「あれ、この前会った時より日焼けています?」

「ええ、今日は一日中訓練があったんですよ。炎天下の中」

「大変ですねぇ。私だったら死んじゃうかも。紫外線って魔導でどうにかできないんですか」

「ひさしを作ればいいけど、光自体は遮断できません。保安隊の強化外骨格APSは環境維持機能があるので、体温の調整はできるはずですけど」

 光を得意とするカナならできるかもしれない=今日は事務仕事で屋外訓練へは来ず。

 古びた事務机=現代っぽくない書類が積み上がっている。埋もれるようにノートパソコンが待機状態で置いてある。

「あれ、もう帰るんじゃないんですか」

「今日は夜勤なんですよ」

「夜勤? 当直みたいな」

「怪異は24時間、いつ現れるかわかりませんからねぇ。市民からの通報だったり警察からの協力要請だったり、そういうのがあったら登録してある魔導士さんにご連絡します。まあ、かつては毎日のように通報がありました。いまはめっきり減ってしまったので、ひとりだけで対応するんですけどね」

 松井さんは、苦労を語りながらパソコンを起動すると、ごちゃごちゃした引き出しからフラッシュメモリを1つ、取り出した。

 物腰が丁寧な割に片付けは苦手なタイプらしい。

「今日、見ていただきたいデータです。いや、そんな嫌そうな顔しないでください。別に悪巧わるだくみをくわだ てようとか、そういったたぐいじゃないんですから」

 それなら電話でも良いだろうと、思ったが努めて表情には出さないようにした。

 動画再生のソフトが起動した。

「で、ビデオ映像ですか。駆除に使うカメラの?」

「ええ。5日ほど前の映像なんですけどね。撮影したのは緑の魔導士さんです」

「いったい……」

「とりあえず、先入観無しで判断してほしいので私からの説明は控えさせていただきます。私どもとしても、どぅも判断しかねている案件でして」

 映像が始まった/真っ暗な空間/ひどく見ずらい映像は電気も付けずカーテンを締め切っているせい/かすかに光条が差し込んでいてそれが窓だと分かった。民家だろうか。狭い廊下に狭い階段/戦後の典型的な量産型住宅。

 ギシギシと床の上を歩く音、そして男の浅く速い息遣いが聞こえる。

 手には“実物”と思われるアーミーナイフが握られ、暗闇の奥にいるであろう何かに警戒している。

「このナイフ、銃刀法違反では?」

「駆除の際だけは許可されています。登録魔導士なら警察にも許可をとってるはずですよ。ニシさんだって大きなナイフ、使うじゃないですか」

「あれは実物じゃないからいいんです。召喚した──マチェットですけど、法律には引っかかりませんから」

「刀、とか出せないんですか」

「できます。でも潰瘍の中は瓦礫だらけなので取り回しの良い短刀のほうが何かと便利なんです」

 そういえば、リンもそんな事を言っていた。常磐の保安隊が使う銃は、狭い車内や屋内でも使えるよう銃身を切り詰めたカスタム銃だ。

「あ、ニシさん、ここです、ここ。よく見ておいてください」

 昔いた友達でホラー映画の見どころを予め教えてくれるやつがいたが、そいつをつい思い出した。

 怪異のマナを感じ取ったか/何かの痕跡を見つけたか=映像の中の魔導士は、ブレーカーの蓋をナイフの先端でゆっくりと開ける。

『うわっ、なんだこれ!』

 カメラが揺れる=映像が乱れる。ドタバタと何が動く音/ドタドタと地団駄を踏む音。

 ナイフが光る=一気に振り下ろされた先。

 形容しがたい軟体動物が胴体を貫かれていた。紫のパステルカラーの鮮血が床とナイフにべったりと付いている。

『くそっ、何だこいつ! バケモノか』

 映像の中の男が悪態をつく。そのバケモノはまだもぞもぞと動き続けている。

 すると、予備動作もなく軟体動物が動いた。床の上に鮮血を引き摺りながら滑るように移動すると、窓ガラスを割って外へ飛び出した。

 映像はそこで終わっていた。真っ黒になったパソコンの画面にニシと松井さんの顔が反射した。

「で、どう思います?」

 画面に映る虚像の松井さんが口を開いた。

「窓を破壊した上に、床を汚して、弁償の費用で赤字です」

 あくまで拝金主義の魔導士=ニシ。

「こういう場合、保険があるので大丈夫なんですよ」

 ベテランの公務員/しかし妙にウキウキしている。

「こういうの、好きなんですか。グロテスクな怪物とか。普通、こういうのを見ると顔をしかめるものですが」

「ええ。怪物パニック物の映画、好きですから。“グリード”という映画です。この映像の怪物はそれに似ているな、と思って」

 知らなかった=ジェネレーションギャップ。怪異関連の厄介な仕事も、松井さんにとっては天職なのかもしれない。

「タコ」ニシは率直な感想を口にした。

「私はイカだと思いましたけど」

「イカは、陸上で呼吸できないでしょう」

「そもそも生き物かどうかもわかりませんが」

 キキーとオフィスチェアが回転して、松井さんと目があった。

「これを撮影したのは5日前です。しかし、排水溝から暗渠あんきょ外郭放水路がいかくほうすいろあるいは共同溝に逃げられますと、どうにも見つけるのが困難でして」

「地下が広いんですか」

 下水に潜って探すのはやだなぁ/まだ他人事/臭いや有毒ガスは魔導でも防ぐのは難しい。

「ええ。私、以前は都市計画課にいましたから。潰瘍と魔導災害の復興事業の際、川崎市全体を再度、近代的な都市へと作り変えました。増改築を繰り返したせいで、地下空間はかなり複雑な作りになっています」

「タコだから、地下水に紛れている、と。意外と樹上棲かもしれませんよ」

「ふむ、たしかに言われてみれば。この生物を見つけた際、魔導士の方はマナの存在を感じた、とおっしゃっていました。だから、怪異かと思っていたら、現れたのが軟体動物でつい逃してしまった、と」

「ありえない」ニシ=ピシャリと「怪異は、いわばマナの残滓みたいなものです。ようは死んだ魂だったり、宇宙や惑星のマナが偶然集まって魂のように振る舞っているだけです。つまり、血は流れていない。マナを帯びていた、というのも何かの間違いでは」

「そうですねぇ」

 松井さんの座る古いオフィスチェアがギシギシと音を立てた。

「私たちも最初はそう思ったのですが、この担当の魔導士の方、5年近く駆除をお願いしているベテランの方で、そういった勘違いはないと思われます」

「俺も、魔導関連の知識をすべて網羅しているわけじゃない。古代の文献に登場する妖怪のたぐいは、今風に言えば怪異です。マナを帯びた生き物なんて、聞いたことがない」

「化け猫や化け犬は違うんですか」

「大半は作り話でしょうけど。俺には判断しかねます。というか、そもそもこうった事例はすべて常磐に報告する慣例じゃなかったですっけ」

「報告してもそれ以降、音沙汰なしでしょう常磐は」

 松井さんに反論できず=心の底でニシも同じことを考えていることがバレる。

 以前、潰瘍の中で魔導士が大暴れした事件も、ニシとカナの奮闘で封じ込めることができた。その魔導士を生け捕りにして常磐本社の保安隊に引き渡した後、一切の詳細がわからなかった。カナのアクセスレベルでは、くだんの魔導士の機密情報まで行き着くことができなかった。今思えば、あの報奨金も口止め料という意味合いがあったかもしれない。

「常磐で働いていらっしゃる魔導士さんの前で言うのはアレですが、信用ならない部分が多いんですよ、常磐は。私どもも魔導災害のための部署です。なのに常磐からは情報がぜんぜん降りてきません」

「それはたぶん、知る必要のない情報だからでは。常磐、特に保安部が関わる案件はどれも人類の安全保障レベルです。不必要に情報が拡散してしまっては近隣住民が不安に感じるでしょう」

「そうかもしれませんねぇ」意外と簡単に食い下がった。「もちろん、常磐のおかげでという部分はよくわかっています。こうして24時間、空調を使い続けられるのだって、常磐がタダ同然で電気を作ってくれているおかげです」

「富士山麓の魔導機関ですね。1基の発電設備で4000万人に電気を供給している」

「私たちの生活はもはや常磐無しでは成り立ちません。常磐の秘密主義は、実害がないうちは目も耳もつむったままが幸せかもしれませんね」

 嫌味、いや、ただの愚痴だった。最高位の魔導士であろうと役所の公務員であろうと同じ穴のムジナだった。常磐という屋台骨を支える一つの支柱に過ぎない。

「私たちだけで、この妖怪魔導イカを退治できると思ったんですが、残念ですね。明日朝イチで常磐に報告をしておきます。あとは常磐でうまく処理してくれるでしょう」

「俺にはタコにしか見えないけどなあ。もしうちの部隊で処理するようなことがあればきちんと伝えますよ」

「それは助かります」

 松井さんは出口まで律儀に送ってくれた。

 バイクに跨ってエンジンをかける=今時珍しいガソリンレシプロエンジンのバイク/ニシのこだわり。

 サイドミラーを見るとまだ松井さんがそこにいた。

 確かに常磐の振る舞いは独善的だった。国家に匹敵するような巨大組織になりつつある。政府と違って情報を隠したからと言って誰にとがめられるわけではない。

 一方で、誰も困っていないのも事実だった。魔導セルや魔導工学の普及は確実に生活の質を向上させている。それが世界規模で起き、食うに困らなくなるにつれて紛争もなくなっていった。

 分庁舎の出口で、家とは反対にハンドルを切った=思いつきのツーリング。今見ておきたいところがある。



 シフトレバー/ニュートラル。キー/エンジンをストップ=エンジンから余った熱がもうもうと上がってくる。現行のEVバイクにはない楽しみの一つ。

 横浜市の南端のパーキングエリアに来た。夕日が背中にあたっている。まだまだ夏の太陽は沈みそうにない。じっとりと熱い空気を魔導を軽く唱えて遮断/とたんに快適に。

 遠くに見えるのは新横浜港だった=5年前、謎の爆発で吹き飛んでできたクレーターの内側が巨大な港として整備されている。兵器によるものか魔導災害によるものかは、いまだ不明。

 新横浜港の沖合に巨大な船がいた。船、という言い方は海の上にあるからで、海を隠してしまえば1つの街といってもいいくらいの巨大船だった。

 全長1200m、幅300mほど。北アメリカ合衆国が、第三次世界大戦あの戦争や魔導災害の厄災から復興した象徴として建造された船だった。ネットでは、古い映画を引用して“スター・デストロイヤー”なんて呼ばれている。

 技術確認という名目があるが、のっぺりとした甲板は空母そのものだし、合衆国製の魔導機関を搭載するなら常磐に軍事でも経済でも対抗できる手段となる。

 彼らが敵対視している常磐は、ニシの背後に堂々と街を海上に築いていた。新東京都=魔導機関が供給するマナで海上5mに浮かぶ魔導式浮遊基体メガフロートが、夕日の沈む手前に見えた。

 半径10km、六角形の基礎パネルをつなぎ合わせた人工の土地は、元々は魔導式浮遊基体メガフロートのプロトタイプだったが潰瘍で東京が首都機能を失うと、大阪や京都への遷都ではなく魔導式浮遊基体メガフロートを新たな首都へ作り変えた。

 真鶴岬まなづるみさきに係留されているそれは、行政と金融の中心となり、今や巨大ビルが林立する2000万都市へと成長していた。潰瘍や魔導災害で家を失った人が移り住み、さらに世界中から難民も受け入れ近代的なメトロポリスとなった。魔導機関を備えているため魔導障壁を展開すれば津波を防げるし、浮いているので地震とは無縁だった。

「無益だな」

 北アメリカ合衆国の腹の底=魔導産業で覇権を握る/皆が口にしないだけ=明らか。冷戦期の古い報復システムが潰瘍の発生で誤作動=世界の10の都市を焼き尽くす/さらにその報復でワシントンD.C.が消失&常磐の支援を突っぱねる=メキシコ湾潰瘍とカリフォルニア潰瘍の対応が後手後手に=結果北米3カ国が合併/ボストンを新たな首都とする北アメリカ合衆国U.S.N.Aの誕生。

 対する常磐/世界最大のコングロマリット=分からない。エネルギー会社を公言していて、確かにそうなのだが、本音が見えてこない。

 明日の会談は、魔導技術の平和利用とか話し合われるのだろうか。ニュースでは何も言っていなかった。もし両者が対立するようなことになったら、常磐の兵力として魔導士が駆り出されるのだろうか。

 子どもたちの顔が順々に思い浮かんだ。

「もう帰ろう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る