5

 窓の外に夕日が見えた。もう夕方が近い。

 ダイニングルームの照明のスイッチを押した=もちろん魔導で。

 夕飯を製作中=もちろん魔導で。

 今日の夕飯は、肉じゃが/アジの塩焼き/味噌汁/地主のオジサンからもらったキュウリの浅漬け=和食メニュー。

 手を腰に当てたまま、魔導でおたまで肉じゃがをかき混ぜる。焼き上がったアジを、魔導で浮かせて、皿に置く/次の2匹をグリルに投入。きゅうりの浅漬は空中で薄く切り分けられて皿に並ぶ。

 すべて同時進行。認識さえしていればどんなことでも操作可能=便利な魔導。もはや手を使って作業するのは趣味みたいになっている。

「アニラ、バサラ!」 

 モモの軽快な掛け声。マナの奔流を感じる/マナの使い方がまだ効率的ではない。クーラーの冷風に反して、マナの暖かさを体の中から感じる。

 2枚の紙/式神が皿を抱えて空を漂っている。それぞれの頭に「A」と「B」の2つの文字がマジックペンで/やや雑に書いてある。紙のサイズに対して、運んでいる皿が大きい/念動力を式神が代行している=モモの代替だいたい認識による魔導。

「オーケー。つぎ、ご飯! アニラ、バサラ!」

 モモの調子が上がってくる/積極的に。日頃の家事の手伝いも魔導の練習だと言ってこなしてくれる───先月の魔導士の殺人鬼と邂逅したせい。

 焼いたアジを運ぼうとサナがやってきた。シャワーを浴びた後/髪がまだやや湿っている。

 地味な灰色のパジャマに身を包んでいる/しかし身震いした。

「寒い?」

「ううん。でも、なんだか、突然背中を突かれた感じ」

「マナだ。モモの魔導のせい。マナを使いすぎている」

 サナはそろそろと皿を2つ持つと、テーブルへ運ぶ。

「え、私のせい?」

「そう、わたし・・・のせいだよ。もう少し効率的にマナが使えない?」

「んー、コーリツテキ? よくわかんない」

「疲れないか? 魔導を使っていて」

「疲れるよ。ちょっとね。でもぜんぜんへっちゃら」

「他人のマナの使い方は、教えるのは難しいけど、もっと具体的に式神に指示したら、もっと楽になるよ」

 モモは小首をかしげた。魔導は本人の認識しだいで効果が変わってくる。とはいえ、自分の感じている世界を相手に伝えることはできない。

「今、Bの式神が───」

「バサラ」

「ああ、バサラがしゃもじを持っているけど、『ご飯をよそって』とかじゃなくて、『柄を持って、下げて上げて』みたいに詳しく指示するんだ」

「うん、わかった」

 Aが茶碗をならべ、Bがよそっていく。そしてAがテーブルへ運ぶ。

「ちょっと楽になったかも!」

「その調子。さて、肉じゃがは完成、味噌汁もできた。モモ、みんなを呼んできてくれない?」

「うん、いいよ」

 モモがトテトテと子供部屋へ行って、

「もーカズキ、またマンガ読んでる! ハナ、ユメ、宿題は? もう、カグヅチおじさんも一緒に遊んでないで宿題させてよ! ヨシコ? うん、宿題したね。でも、漢字を間違えてるよー」

 母親代わりのモモ=声が台所まで届いてくる。

 ふと、サナを見ると、杖を構えていた=彼女なりの魔導の起因。

「何を、する気だ?」

「魔導。私だってできますから」

「でも、この前」

「この前、味噌汁が爆発したのは、ちょっと力の入れ方を間違えただけですから」

 天井のシミを見上げた=先週、サナが味噌汁の椀を運ぼうとして、なぜか沸騰、超高温の水蒸気が真上に立ち上った。

「魔導士だからって、何でもかんでも魔導でしなきゃいけないっていわれはないんだぞ」

 そう言いつつ、家事のほぼ全てを魔導で同時にこなしている自分の矛盾に気づいた。

「今日はできる気がします」

 意思ばかりは固い。頑固なところは記憶を失う前からの性格かもしれない。

 高速詠唱。声なき声の魔導を唱えた=魔導障壁。また水蒸気爆発を起こされたら家が吹き飛んでしまいそうだった。

 ニシは、椀に味噌汁を入れる/豆腐とナスの味噌汁。地主のオジサンから大量のナスをもらったせいで、3日間同じメニュー。

 サナ=ひどく真剣な表情で空気を呑んだ/「ふろぅ!」

 味噌汁の椀がひとつ 浮かび上がる/遅れて英語のFlowだと気づいた。

 どうせならラテン語のほうが呪文っぽいと思うが=あえて閉口。

 そして椀がふたつ、みっつと立て続けに浮かぶ/テーブルへ列をなして浮遊する。

 マナの流れ/正常。7つの椀が同時に、ゆっくりと弧を描く。むかし、こんな感じで自転車が飛ぶ映画があったなぁ、と思い出す。

 着地。爆発も炎上も無く、無事に味噌汁たちが到着した=にわかに拍手/歓声。

「サナおねーちゃんすごーい」「サナねーすごい」「うぉーかっけー俺もやる!」「あたしもやるもん」

 子どもたち×4=いつも通りのハイテンション。モモ=なだめる。いつも通りの母親役。

 そんなガヤガヤを眺めていると、突然の電話の呼び出し=名前は『市役所の松井さん』だった。魔導でスマホを空中浮遊/指でスライド操作=これだけは魔導ではできず。

「もしもし?」

『こんばんは、鳥獣対策課の松井です』

 知っている。

「何かあったんですか?」

『夜分遅くにすみませんねぇ』

 いや、まだ6時だ。

「また怪異が出たんですか?」

『ええ、まあ、出たというか、出ていたというか。ご相談したいことがありまして。市役所へ来ていただくことはできるでしょうか』

 物腰が低いというより、低空飛行しかできないとった習性だった。

「今からですか? 電話じゃだめですか」

『いえいえいえ、明日の、夕方とかどうです? 電話じゃちょっと話しづらいことなんです』

「まあ、明日……土曜日の17時ごろなら。でも市役所は閉まってますよね」

『いえいえいえ、問題ありません。では、お待ちしております。ご足労ありがとうございます。お忙しいと思いますがよろしくおねがいします』

 ニシは返事をすること無く切った=こちらが切らないと松井さんは電話を切らない/社会人の習性。

 明日=日曜の警備出動の予行練習。もちろん炎天下の駐車場で。魔導で温度を下げようかと思案/それより夕飯の支度をしておかないと思案。

 電話でできない相談=思案。機密性の高い話/無し。松井さんは単なる市役所の職員だ。命を狙われるとか、そういうことはしていない。ならば電話で説明が難しいこと/たぶんそうだろう。松井さんのくどい言い回しだと何を話しているかわからない。

「あの、お兄さん。お願いがあるんですが」

 サナ=もじもじ。言いにくいお願いの予感。

「ん、何? どうぞ」

 したいことは素直に言う=この家の家訓。

「水着、買いに行きたいんですけど」

「水着? あるだろ。学校の授業で使ってたやつ」

「ううん、それじゃなくて、海に行くときに着ていく水着を」

「学校のじゃだめなのか。俺が子供のときは学校のを着ていった」

「欲しいんです」

 どストレート。

「はいはい! 私も欲しい!」モモ=ハイテンション。

「私も!」「ハナも!」「俺も!」「ユメも」

 おねだりの嵐=分かっていた。

 1人だけに買い与えるのは良くありません。子どもは無意識に愛される量を気にしています───育児の本の文言/その著者は6人もの子どもを想定してはいなかっただろうが。

「わかったわかった。買うよ、水着」

「じゃあ、明日行きましょう」

「明日? 急ぎの用件?」

「はい。だって、ツカサちゃんとルイちゃんと、プールに行く約束をしましたから」

「明日は仕事なんだよな」

「私は1人でも大丈夫ですから。ツカサちゃんとルイちゃんも一緒」

「他の子たちも一緒に行くんだろ?」

「う、うん、そうだけど」

 後ろに控えている子どもたちを見た/先延ばしにしたら文句を言われそう/怪異駆除や急な常磐の仕事が入るかもしれない。

「カグヅチ、頼みがあるんだが」

 空間が揺らぐ/ゆっくりと姿形が実態を帯びる。身長2m以上の大男───自称・神/金髪&ハイビスカス柄のアロハ&浅黒い肌=さながら湘南にいるイケてる若者。今しがた、子供部屋でハナとユメと遊んでいた大男が転移してきた。

「ほう、面白い。聞こう」

「子どもたちの買い物に付き合ってくれないか。小間使いみたいになって悪いが」

「なに、面白いことなら何でもする」

「あと、お金だが」

 水着を買ってやる余裕は、ある。常磐からもらう報奨金/地主のオジサンからの支援もある。だが金額がわからない。水着なんて、ドン・キホーテで2000円くらいのしか買ったことがない。

 名案=スマホを出す。履歴からリダイアルした。

『もしもーし。あれ、ニシ、珍しいね』

「リン、いま時間大丈夫か?」

『うん、いいよー。どしたの? あ、もしかしてデートのお誘い?』

「子どもたちを置いて遊びにはいけないだろ」

『堅いなー』

「子どもたちの水着を買おうと思ってるんだが、普通いくらくらいか、知ってる?」

『値段? んーそうだな。女の子用よね。普通のなら1万円くらい。ちょっといいやつで2万円。ビキニタイプもそうかな』

「布が少ないのに、服より高いのか」

 たぶん、昨今のインフレのせい。

『そんなもんだよー。あたし、遠泳訓練用で買った水着なんて4万円したんだから』

「そうなると、6人分で7万円くらいか。まあ、大丈夫だろ」

『ふふん、お父さんだねー』

「一応、みんなお兄さんって言ってくれるんだが」

『ところで、なんであたしに電話したの? もしかして、体型が子供っぽいから』

「いや違う。そうじゃない」即答=しかし逆に怪しい。言ったた後で気づいた。「リンは、その、いろいろ知ってるだろ」

『まあねー。あたし、お姉さんだから。男を魅了する水着なんて、カナとか絶対知らないんじゃない?』

「それは分からないけど」

『みんなで海に行くの?』

「ああ。来週くらいに」

『お父さんだなー』

「だから、お兄さんだって。じゃ、ありがとな」

 電話を切った=なんとかごまかせた/薄い確信。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る