第三話 糟糠之妻

 父は婿だった。


 私が幼い頃の父の顔は、いつも小さく背を丸め、祖父や母の顔色を伺う卑屈な笑顔だった。私を胡坐あぐらに乗せた回数よりも、轆轤ろくろを抱きしめた回数の方が多かっただろう。


 ある日の夕餉時ゆうげどき、祖父がえらく紅潮こうちょうして父を叱責したことがあった。幼かったので内容はよく覚えていないが、工場こうばから父の作品を持ってきて、怒鳴りつけた後に父の頭に叩きつけた。


 狼狽うろたえる父を尻目しりめに、素知らぬといった面でいそいそと破片を片付ける母の顔を強く覚えている。


         ❀❀❀


 仄暗ほのぐらい蔵の中、棚に並んだ父の歴代の作品を手に取る。


 窯元を継いだ今だからわかる作風の変遷へんせん。ある時を境に無骨な作風へと切り替わっている。あの夜からだろうか。正確な日時は分からないが、手中の茶碗が「是」と小さくうなづいたように見えた。


「あら、お姿が見えへんとおもたらこんなところに居てはった」


 ドキリとして振り返ると、薄萌黄うすもえぎ色留袖いろとめそでに身を包んだ妻が居た。


「どないでっしゃろ」「ウチには少し派手やろか」

「お義母さん、可愛らしいお顔してはったから」


 そう言われて、その着物が亡き母のものだと気づいた。何か言わなければ。

 言葉を探す内に気取られたのだろう、妻は小さく息をつくと踵を返しながらうやうやしく言って去ろうとする。


「お前はんも早よお仕度してくださいね」


 分かっている。分かっているのだ。この時、この場所で気の利いた美辞麗句びじれいくの一つが出てこない事。こんな小さな積み重ねが、祖父、あるいは自分自身を曲げてまで祖父にならった父の作風を、ただただ模倣するしかない今の自分、そしてこの現状を作り上げているのだということを。


「……あぁ」


 項垂うなだれながら父の無骨な茶碗を静かに棚に戻す。


 コトリ。大振りで兀々ごつごつとしたその茶碗は、寡黙かもくに茶をすする野武士のような風合いで、元の位置へと鎮座ちんざした。



         ❀❀❀

  


 不釣り合いなほど雅な場だった。うぐいすの鳴き合わせがそこかしこで行われている。朱色しゅいろ野点傘のだてがさ毛氈もうせんに、籠の中の鶯が良く映えていて、腰かける色とりどりの色留袖が、まるで極楽浄土に舞い踊る蝶の如く可憐に華を添えていた。


「あら、麗風窯の親方」「ようこそおこしやす」


 場違いな所に足を踏み入れてしまったという気後れ感と、見知った顔に声を掛けられたという安心感。続け様の揺さぶりの高低差に、思わず捉えられて間もない鶯のような素っ頓狂すっとんきょうな声が出てしまった。


「こ、こ、これはこれは實松屋の」「本日は夫婦共々お招き頂きありがとうございます」


「まぁホンマに極楽浄土の賑わいですよって」「野点と毛氈に鶯が映えて、それに皆さんのお着物とようお似合いどす」「ウチの着物なんてお義母さんのお古で、なんや恥ずかしいわぁ」


 そう続く妻の合いの手が助け舟になった。思い描いた景色は同じなのにつむぐ言葉はこうも違うのか……。


「まぁ、お公家さまとはいきまへんけど、精一杯のおもてなしいうやつですわ」

「何も気兼ねせんと楽しんでいっておくれやす」


 威厳のためにも何か言葉を振り絞ろうとした矢先、實松屋の主人に返されてしまい、思案中のは虚空をひらひらと舞う他なかった。湿気しけって漂う言の葉の行く先をまんじりと見上げる。無意識ながら口がほぞを噛もうと身体全体がうつむいていくのを感じた。


「さ、お前はん」「ウチらもご相伴しょうばんに預からしてもらいましょ」


 桂川の水底みなぞこの小さな石塊いしくれ。實松屋の庭にある大きな一枚岩と対照的に、なんとも矮小的な自己評価しか出来なかった自分の手を引くように、妻の後を大人しく付いていく。三歩後に倣おうとする家内と歩調が合わず、ギクシャクとした足取りのまま庭内を進む。


 所掌窯の見目麗しい茶碗が目に入ったのはその時だった。

 

 顔を見やる自信がなく、俯き加減といった具合で客人の女性の手元が良く見えた。

 

 花のあしらわれた露草色つゆくさいろの色留袖と、まるで高めあうように手元に収まるつややかな肌の小ぶりな茶碗。中の抹茶との塩梅あんばい相俟あいまって、まるで七宝のように燦然さんぜんと輝く景色に思わず目がくらんだ。


「綺麗なお茶碗やねぇ」「どこでうたん?」「お着物も可愛らしゅうてよぉ似合におってはるわ」


 嬌声きょうせいをあげる甲高かんだかい一団。中心の女性は意気いき軒昂けんこうといった具合を隠そうともせずに微笑む。


「旦那はんにして買うてもろたんです」「お着物べべはんも揃えよう思たんどすけど寝間着で恥ずかしぃわぁ」


「あら羨ましいわぁ」「ウチンとこもお願いしてみよかしら」


 ここ数年成長著しい所掌窯の拵えを横目に、気づかれないようにそそくさと通り過ぎる。世の中の需要の変遷に、益々ますます両の肩が下がるのを感じた。


「お前はん」「気ぃ落としたらあきまへんえ」


 ハッとして妻を見やる。


「ウチはお前さんの拵える作品に惚れ込んで嫁いできたんどす」


 留め袖の奥の身体が、小刻みに震えていた。


「お前はんの焼き物は京都はおろか日の本一や」

「もっと胸張らなアカンえ」


 そう背中を張られて、招かれた庭の梅の花が満開だと、初めて気がついた。

 

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