第7話 神様は頼りにならない?

 一瞬、熊が出たのかと思ったけれど、服を着ている熊はいない。熊のおじさんは旅装束みたいな恰好だった。麻でできた袋を肩に掛け、手にしていた長い杖をどん、と床に突いた。


「娘がふたり……ひとりは何者だ?」


 威圧するように、わたしたちを見下ろす。

 その背後からひょっこり出てきた臭いおじさんの姿を目にして「この人が花街の売人だ」と気が付いた。


「なんだ。この娘は……ああ、さっきの」


 臭いおじさんは、わたしとおすずちゃんを見て目を鋭くする。


「なんだ。さっきの娘はおりんではなかったのか。お前はちゃんと大人しくしていたようだな、おりん」

「叔父様……この子は関係ありません。縄を解いてあげてください」


 おすずちゃんは涙目のまま、臭いおじさんに訴えてくれる。


 おすずちゃん……!


 こんな状況で、他人を気遣えるなんて。なんて優しい子なんだろう。

 おすずちゃんの優しさに感動していると、臭いおじさんは「ふん」と鼻を鳴らした。


「どこの娘か知らんが、面倒だ。クマさん、まとめて連れて行ってくれ」


 この人、クマさんという名前なんだ。

 名は体を表すとは、こういうことを言うのかと感心……している場合じゃない! 


「神様! 見てないで助けてよ!」

「ボク、喧嘩はしたことがないんだよね」

「もうっ!」


 突然神様に話し掛けるわたしに、おじさんふたりは薄ら笑いを浮かべている。


「神様だってよ」

「神様が助けてくれたら、お前たちもこんな目にはあわんさ」


 くくく、とバカにしたように笑っている。

 おじさんふたりにバカにされて、さすがのブラック雫さんも面白くなかったようだ。むすっとした顔になるけれど、何かをするつもりはないらしい。


 もう! 頼りにならないない!


「この子は関係ないのです! お願いします!」


 おすずちゃんは、クマさんに訴え掛ける。臭いおじさんでは話にならないと思ったんだろう。クマさんは少し考えると、うむと頷いた。


「おすずという、この娘ひとりで十分だ。そうだ。いいことを思い付いた」


 クマさんはニヤリと笑う。


「たまには龍神様にお供えをしたらどうだ。横からくすねてばかりだとバチが当たるぞ」

「ほう、さすがはクマさんだ。名案ですな」


 悪者ふたりが、がはははと笑っている。

 神様にお供えって……つまり生け贄ってことだよね?


「お止めください! お願いします! お願いですから……」

「だまれ!」


 びちん、と大きな音と共に、おすずちゃんが吹っ飛んだ。壁にぶつかり、そのまま動かなくなってしまった。


「おすずちゃん!」


 おすずちゃんのところへ駆け寄よろうとしたら、臭いおじさんに足が飛んできた。足蹴にされて床に転がされ、なされるがままのおすずちゃんを見ているしかなかった。


「やめて!」


 ぐったりとしたおすずちゃんを、クマさんは目の粗い袋にすっぽりと入れてしまった。


「いやだ! おすずちゃん!!」


 このままだと、おすずちゃんが花街に連れていかれちゃう!


 おすずちゃんが入った袋を抱え、クマさんと臭いおじさんは小屋から出ていった。わたしはどうせ動けないからと、放ったらかしだ。


「お願い! おすずちゃんを助けて!」


 わたしの隣で胡坐をかいているブラック雫さんに訴える。


「……仕方ないなあ」


 様子を見ていたブラック雫さんは、ようやく重たい腰を上げた。


「おすずちゃんは助けてあげるよ。今までの恩もあるしね。で、キミはどうするの、おりんちゃん。このままだと、キミは魚のえさだよ?」

「わたしは……この手をほどいてくれたら、自分でどうにかする」


 どうにか出来るかわからないけど。おじさんたちから逃げたとしても、その後はわからない。

 だけど! 今はここから逃げるしかない!


「へえ、カッコいいね」

「だから、この手の縄をほどいて!」

「ハイハイ」


 ぷつり、と後ろ手に縛られていた縄が切れる感触がした。自由になった両手を、ぐーぱーして動くか確かめる。うん、大丈夫!


「おすずちゃんのこと、頼んだからね!」


 多分、おすずちゃんはわたしのご先祖様だ。

 おすずちゃんが花街に行ってしまったら、お父さんもわたしも生まれてこないだろう。

 おすずちゃんが無事なら、多分大丈夫。大丈夫だと思いたい。


 そろりと起き上がると、床に転がった杖を手に取った。クマさんが持っていた杖だ。


「その杖で何をするつもりだい?」

「とりあえず、いざって時のために武器があった方がいいでしょ」

「おりんちゃんは、武道の心得があるの?」

「一応ね」


 わたしは逃げなきゃいけないのに、ブラック雫さんは呑気なものだ。


「おりんちゃんは女剣士だったんだ。剣を振るうところ見てみたいなぁ」

「わたしはいいから、早くおすずちゃんを助けてあげて!」


 ブラック雫さんはにっこりと笑う。


「大丈夫。実はもう手は打ってあるから」

「本当に?」


 嘘を言っているようには見えなかった。


「うん、本物のおすずちゃんは、ほらここに」

「え?!」


 ブラック雫さんは腕を突き出しすと、袖の中をちらりとめくる。

 そこにはおすずちゃんの顔が! 心霊動画で見たような光景に、危うく悲鳴を上げそうになる。


「……おすずちゃん?」


 ひと息ついて、恐る恐る尋ねると。


「はい……」


 ちゃんと返事が返ってきた。


「本物のおすずちゃん?」

「はい、驚くでしょうが本物です」


 着物の袖の中から聞こえるおすずちゃんの声は、確かに本物のようだ。どうやら四次元ポケットは、昔から実在したらしい。


「じゃあ、さっき連れていかれたのは……」

「おすずちゃんの身代わり。おすずちゃんを守りたくて、自ら名乗り出てくれたんだ」


 誰が、と聞きたいところだけど、なんとなく知らない方がいいような気がした。


「もう二度と、花街から売人は来ないと思うよ。びっくりするだろうなぁ……あのクマさん」


 くすくすと邪気たっぷりに笑う。身代わりになった人の正体は、やっぱり知らなくて正解のようだ。


「そうだ。せっかくだから、おりんちゃんの剣の腕前を見てみたいな」

「剣じやなくて、なぎなただけどね」

「ほう、じゃあその杖をもっと長くしようか」

「え、わ! わわっ!」


 手にした杖が、にょきにょきと伸びる。わたしの身長より高い位置で止まったところで、戸が開く音がした。


「な……! 小娘、縄を切ったのか!」


 やだ! 臭いおじさんが戻ってきた!

 慌ててなぎなたサイズになった杖を構える。


「よーし! そのおじさんをやっつけてよ。殺さない程度に頼むね!」


 高みの見物と決め込んだブラック雫さんは、手を叩いて喜んでいる。


 冗談じゃない! リアルバトルなんてしたことがないよ!

 でもジリジリ間合いを詰めてくるおじさんの形相が……怖い! これはやらないとやられる……不味いやつだ!


「ブラック雫さんのバカ!!」

「小娘が! ふざけるな!」

「もう! こないでよ!!」


 飛び掛かるおじさんに、反射的に杖を振り上げる。

 こうして臭いおじさんとの戦いの火蓋が切られた! もうやだ!!




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