第8話 二度目のキス

 みんなが帰った後、わたしとしずちゃんは母屋へと戻っていた。縁側に肩を並べて腰を下ろし、しずちゃんが落ち着くまで庭を眺めることにした。

 うちの庭は大きな木が多いので、日陰になって割と涼しい。どこからともなく柔らかな風が吹き、軒下にぶら下げた風鈴が、ちりりんと涼しげな音を立てる。


 ようやくすすり泣きの声が止み、しずちゃんは手元の麦茶に手を伸ばす。喉が渇いていたみたいで、麦茶を一気飲みした。


「しずちゃん、麦茶、おかわりどう?」

「もう『雫さん』でいいよ。麦茶おかわり、お願いします」


 姿はしずちゃんのままで、赤くなった目を細める。


「だったら、もう元の姿に戻ったら」

「……もうちょっと、この姿のままでいる」

「そう?」


 空になったグラスに、麦茶をなみなみと注ぎながら、気になっていたことを思い切って聞いてみた。


「雫さん。さっきだけど、どうしたの……?」

「あー……」


 雫さんは恥ずかしそうに目を伏せる。


「そうだね……腹が立ったのもあるんだけど…………なんだか思い出しちゃって」


 今度は麦茶をちびりちびりと飲みながら、雫さんは苦く笑う。


「昔はね、家で最期を迎えるということが多かったのは確かだけど、死にゆく家族を看取るということがどういうことか、りんにはわかるかな?」


 わたしの身の回りで亡くなった人は、まだいない。友達ではおじいちゃんやおばあちゃんが亡くなったって子もいるけれど、うちはどちらも元気だし。

 でも、想像してみる。もしお母さんが病気になって、どんどん弱っていく姿を見るのは辛いし……。


「……まだ、そういう経験がないからちゃんとわからないけれど、大変で辛くて、怖いなって思う」

「怖い?」

「うん……だって、死んじゃったらもういなくなっちゃんだよね? もう二度と会えないんだよね。どんどんその日が近づいてくるのを見ているのは……怖いんじゃないかな」


 自分の家族や大事な人を亡くしたことがないから、想像でしかないけど、あんまりそういうこと想像したくないな。


「そっかあ……わかったよ」

「? なにが?」

「あの子が消えてしまう日がだんだん近づいてくるのが怖かったんだなぁって。今になって気が付いた」

「あの子?」

「うん。君のひいおばあちゃん」

「ひいおばあちゃんのこと知ってるの?」

「もちろん。だってボクはこの家の屋敷神だよ?」


 そうでした。こういう話を聞くと、本当に神様なんだなって思う。

 ひいおばあちゃんか。たまにおばあちゃんの口から「ひいおばあちゃん」という単語は出てくるけれど、どんな人だったのかは聞いたことがない。

 雫さんは知ってるんだと思うと、好奇心が疼いてしまう。


「ひいおばあちゃんって、どんな人だったの?」

「そうだなあ……」


 雫さんはどこか遠くを見つめる。


「……生真面目で、ちょっと気が強くて。でも情にもろくてさ……」


 わたしを見て、雫さんは懐かしそうに目を細める。


「あと、りんによく似ている。りんに会うまでは、ボクの姿を見ることができた唯一の人なんだ」


 わたしを通して、ひいおばあちゃんを見ている。そんな目だった。

 ちく、と胸が痛い。なんだろう。胸がちくちくする。


「今日はごめんね。遠をこっぴどく振るはずだったのに」

「ううん。やっぱり他の友達を呼ばない方がよかったね。わたしの方こそごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げると、頭をよしよしと撫でられてしまった。

 しずちゃんの小さな手だけど、その手の優しい感触が雫さんって感じがする。どうしてか、今度は胸の奥がぎゅっと苦しい。


「それにしてもさ、遠ってりんのお姉ちゃんが好きだったんじゃないの? なんでボクに鞍替えしたのかな?」

「ああ、お姉ちゃんには彼氏がいるから。遠なりに、あきらめなきゃって思っていたんだと思う。それにね、しずちゃんって少しお姉ちゃんに似てるの」

「え、似てる?」

「うん。顔が似てるわけじゃなくて……髪が長くてさらさらで、折れそうに細くって、おしとやかに見えるけど、結構たくましいところかな」

「じゃあ、ボクって遠の好みそのものってこと?」

「そういうこと」


 髪が短くて、筋肉質で、全然おしとやかじゃないわたしとは正反対。

 自分で言っていて悲しくなってきた。


「ふーん。恋人から奪っちゃおうとは考えないんだね、遠は」

「そうだね。真面目だしね、遠って」

「面食いで惚れっぽいけどね」

「あはは、ホントだ」


 でも、そういうところが好きだったんだよね。

 遠を思っても不思議と胸が痛まない。なんでかな?


「じゃあ、ボクにも恋人がいることにしようかな」

「それいいかも。実はしずちゃんに恋人がいるって知ったら、遠も諦めるだろうね」


 笑っていると、ずいっと雫さんが顔を近づけてきた。


「わかってる? りんのことだからね」

「え」


 わたしの頬に軽く触れると、 あっと言う間に二度目のキス。

 しかも今回は女の子の姿で!


「し、雫さん!!」

「あはは、スキあり~」


 転げるように雫さんから数メートル距離を取る。

 まったく悪びれた様子がない雫さんは、美少女姿のまま微笑む。


「わかってる? ボクが好きなのはキミだから。忘れないでね『おりんちゃん』」


 なんて、なんて危険な屋敷神様なの!?

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