第四話 過ち
ジリリリリ。
僕はけたたましい目覚ましの音に起こされ、一日の始まりを全身で感じた。まだ眠気はあるものの、習慣付いた動きで制服に着替え、父と母と年齢が二つ上の兄がいるダイニングに行き、僕は家族三人に「おはよう」と挨拶する。
「おはよう」
「はよう」
「うぃーす」
挨拶が終わって僕は白い四脚の椅子に座る。眠い目を擦り、テーブルの上を見ると、すでに朝食が用意されていた。
ワカメを主とした海藻サラダにスクランブルエッグとカリカリのベーコン、そして食パン。我が家のいつも通りの朝食だ。
僕は一つ大きな欠伸をして、お母さん特製のマーマレードを手に取り、たっぷりと食パンに塗り込む。
「ごちそうさん」
僕が食パンにマーマレードを塗り終えると、ちょうど兄が朝食を食べ終わった。
ダイニングから出ていく兄の姿を横目で一瞥し、僕はマーマレードで重さが増した食パンを口に運びながら、昨日、少女との会話のやり取りに思いを巡らす。
*
「友達? キミは他者との交流を望んでいるのかい?」
「…………」
「そうか。分かった。学校にいる彼らには悪いけど、キミのために彼らの記憶と思考をもう一度弄らせてもらおう」
「え……。でもさっき、何もしないって」
「ボクの方からはね。ボクはキミの望みを叶え、『負』を消すために力を使うんだ。キミの望みはもう自分自身でどうにもできないんだろう?」
「…………」
「明日、学校に行ってみるといい。きっとキミの望み通りになっているだろう」
*
口の中でマーマレードの甘酸っぱさを感じながら、僕は頭の中で少女の言葉を反芻する。
――自分自身でどうにもできない。
〝友達が欲しい〟これは確かに僕の嘘偽りない願いだ。間違いない。
……でも、本当にこれで良かったのだろうか。
学校は友達もいなくて苦しい事が多いけれど、給食が美味しかったり、授業中、先生がたまに話す雑談が楽しかったりと、それなりに平凡な学校生活を送って来た。家に帰れば、好きなウェブ小説を読んだり、こうやって朝食と夕食を美味しく食べることができる。そんな日々の何が不満なのだろうか。これでは別に現状を変える必要はないように思えてくる。むしろ変えてしまうことこそが、逆効果なんじゃないか。
…………。
そもそも、昨日の僕は少しおかしかった。衝動的に異世界に行きたいと思って、車に轢かれようとする。あからさまに異常な行動だ。
そしてたまたま入った公園で謎の少女と出会って、僕の望みを叶えてくれると言われ、僕は少女の言葉に何の疑問も抱かず「友達が欲しい」と言ってしまった。一体昨日の僕はどうしたのだろうか。
まるで少女と出会うために何らかの力が作用したのではないのだろうか。
…………。
僕はスクランブルエッグを一気に口にかき込む。
昨日の出来事は全て夢だったのだ。
あまりにウェブ小説ばかり読んでいるから、現実でもそういう事が起こるんじゃないかと思っていただけなのだ。
そう。全てが嘘だったんだ。
僕はお母さんが用意してくれた朝食を全て食べ終え、食器を流し台に持っていきお母さんに「ごちそうさま」と食後の挨拶を交わす。その後、顔と歯を洗い寝ぐせでボサボサの髪を整え、リビングのソファーに寝っころがってスマートフォンを取り出す。
学校に出発するまでの時間、僕はスマートフォンで、途中まで読んでいたウェブ小説を専用アプリケーションから開く。
僕が読むウェブ小説のジャンルは決まって、社会的弱者である主人公が異世界に飛ばされて他生物を圧倒する話だ。その話を読むと、僕は心のモヤモヤが吹き飛び、気分爽快、心が優越感に満たされる。
ウェブ小説を読んでいる間だけ、僕は強者になれるのだ。
「アキラ。そろそろ行く時間よ」
僕が画面を見ながらにやついていると、お母さんから出発の時間を告げられる。
「はーい」
僕はスマートフォンをポケットにしまい、通学鞄を持って、家から出発する。
通学路で、僕は昨日と同じようにスマートフォンを取り出し、ウェブ小説を読み始める。
やっぱりウェブ小説は面白いなぁ。
スマートフォンの画面をフリックしながら読み進めていると、いつの間にか学校前の横断歩道に着いていた。
そこで僕は肩がぶるっと震えた。
昨日、僕はここでおかしな行動をしたんだ。今日は気をつけなきゃ。
僕はスマートフォンをしまい、意識を集中させて歩行者用信号機が『青』になるのを待つ。
どうか何も起きませんように。
僕は自分でも変だと思うことを願い、歩行者用信号機が『青』になったので、早歩きで横断歩道を渡り始めた。
車のエンジン音や、同じく学校に向かう人達の会話がいつもより耳に入りながら僕は横断歩道を渡り続ける。
学校側の沿道にさしかかり、何事もなく渡りきれたことに、僕はほっとした。そうやって僕が胸を撫で下ろした瞬間、後ろから誰かに肩をポンと叩かれた。
肩を叩かれた経験が無かったせいか、僕は全身がビクッと反応し、おそるおそる後ろを振り向く。
「あー! やっぱりアキラじゃない!」
僕の目の前には、学校一の美少女と名高い『清水亜希』がいた。
「…………」
何で清水さんが僕に……?
「何で、今日の朝、起こしにきてくれなかったのよ。おかげで寝坊しそうになったんだから!」
頬を膨らませながら、僕の目を見て話す。
どうやら本当に僕に話しかけているみたいだ。
僕はあまりの緊張で体が強張りながらも、顔を動かしゆっくりと目を逸らす。
「ほら! 目を逸らして! ごまかす時はいっつもソレ! ホントもうズルいんだから!」
違う。僕が目を逸らしたのは、ただでさえ女子に慣れていない僕が清水さんという美少女に話しかけられるのは、とても耐えきれないからだ。
「まぁ、いいわ。とにかく、明日はきちんと起こしに来てよね。アンタがいないと私、学校に遅刻しちゃうんだから」
清水さんが僕の腕に取って、学校へと向かう。
僕の頭は真っ白になっていた。
*
清水さんに腕を引かれながら、教室に入る。教室内ではさらに異様な雰囲気を醸し出していた。
僕達が教室に入るなり、クラスの皆は「ヒューヒュー」と言ったり、口笛をピューピュー鳴らしたりして、冷やかしの合奏が教室内に響き渡っていた。
「ちょ、ちょっと、みんな、な、何やってんのよ!」
「隠さなくたっていいじゃんよー。みんな知ってるんだぜ! 川越と清水がつき合ってるんだってな」
「ア、アキラ……川越君は、た、ただの幼馴染よ! 別につき合っているわけじゃない!」
清水さんは僕から腕を離して、距離をとる。僕はクラスの喧騒が静まるのを待って、体を細かく震わせながら、一歩ずつ歩き出し席に着く。
「ようよう川越。お前は羨ましい奴だな。何せあの清水と幼馴染なんだからな」
僕の前の席に座っている鈴木君が話しかけて来る。こんな事はめったにないし、僕自身も清水さんと幼馴染なんて初耳だ。
「しっかしなぁ。何で清水はお前みたいな、何の取柄もない奴と仲が良いのか全く分かんねーんだよなぁ」
それは僕自身も分かっていない。
「それになぁ……」
「鈴木さん。それ以上、私のアキラ様に近づかないで下さいます」
鈴木君が一方的に喋っている最中、これまた学校で清水さんと双璧を為す美少女の桜井さんが話に割り込んできた。
「何でだよ。いいじゃんかよ。なぁ、川越」
鈴木君から話を振られても、僕は目を白黒させるばかりで声も出ない。
「あなたのような下賤な者と話していると、アキラ様が汚れてしまいますわ。ねぇ、アキラ様、誰もいない所で私とモーニングトークをしませんか?」
…………。
「川越!」
「アキラ様!」
「うわぁあぁぁあぁあぁぁ!」
僕は奇声を上げながら、教室から飛び出した。
おかしい
絶対におかしい。
鈴木君は何も用事もないのに僕に話しかけるわけはない。
清水さんは僕の幼馴染だなんて絶対ない。
そもそも桜井さんはあんな言葉づかいをする所なんて僕は聞いた事がない。
廊下を走りながら、僕は急いて下駄箱に向かい、上履きから外履きへと履き替え、学校から出た。
一限目のチャイムが校庭まで鳴り響くが、もうそれどころではない。
もう一度、昨日の少女に会わなきゃ。
この悪夢が終わらせるためには、それしかない。
僕は昨日、少女と初めて会った場所、学校近くの公園へと向かった。
*
ハァハァと息を弾ませながら公園に着き、腰を屈めて膝に両手を置きながら周囲を見渡す。
少女の姿はどこにもいない。
僕は口の中に溜まっていた唾液を飲み込み、大きく深呼吸をする。徐々に頭が冷静さを取り戻し、置かれた自身の現状を整理する。
まず家族には問題がない。僕は起きてからいつも通りに行動し、何も違和感はなかったのだから。
次に学校だ。これは問題だらけだ。学校の横断歩道を渡り切ってから、清水さん、鈴木君、桜井さん、そしてクラスの皆も僕に対してあんな風に接するのはどう考えても不自然だ。それにあまり話したことはないけれど、清水さん達の性格はあんな感じじゃなかったような気がする。
いや……絶対に違う!
こうなると、僕は先ほどから頭に燻っていた一つの考えへと帰結する。
――友達が欲しい
これは僕が昨日、謎の少女に願ったことだ。
つまり学校でのおかしな出来事には確実にあの少女が関係している。
少女の存在は僕が見た夢物語ではなかったのだ。
僕は昨日、少女がいた同じ位置の公園の中央に立ち、出来るだけ身体を弛緩させるように何度も深呼吸を繰り返す。
そして今一度、大きく息を吸い込み、
「ねえ! 聞こえてるんでしょ! だったら出てきてよ! 皆をあんな風にしたのは君でしょ! なんであんなひどい事したの!」
と生まれて初めて出す大声で空に向かって叫ぶ。
カラスのカァカァと鳴く声が虚しく響き、僕は目をしばたたかせながらため息を吐く。
僕は何て事を……。
と思っていた。その時、
僕の目の前の空間がぐにゃりと曲がり、光の粒子に包まれる。やがて光の粒子は公園中にはじけ飛び、その中から昨日の少女が現れた。
「あ……う……」
僕の呼びかけに応じて少女に来てもらったのはいいものの、情けない事に僕はその少女の姿を見るなり言葉が出なくなってしまった。
「ボクに用かい? 川越アキラ」
少女は昨日と変わらない無表情のまま、僕を見据えた。
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