第8話 恋人

 翌日学校で桜内先生に会うと、いつものテンションで、「おっはよう、深谷野」と声を掛けてきた。「おはようございます」と低く言うと、すぐにその場を去った。


 昨日のあの人とは別人だ。あの人が、よくこういう人を演じられるな、と感心した。

 その日は生物の授業があって、やはり面白いなと思った。今年は成績トップになれるかも、とすら思った。真面目に黒板の文字をノートに写し、先生の発言で気になる所は書き込んだ。なんでこんなにやる気を出しているんだろう、と自分で感心する。


 授業を終えて教室を出て行く先生に声を掛けた。振り向くと先生は、

「何だよ、深谷野。オレに告白しようっての?」

「先生。告白じゃないけど、話がある」

 私の表情から何かを読み取ったのだろう。素の桜内俊也になって頷くと、

「じゃあ、放課後、偶然に例の場所で会うってのはどうだ」

「わかった。じゃ、またその時に」

 先生に向かって小さく手を振った。先生は少しの間私をみていたが、背を向けて去って行った。


 放課後になって、すぐに例の喫茶店に向かった。今日も『なかたさん』がいて、微笑みながら「いらっしゃいませ」と言った。

「また、例の人とここで会うことになってるんだ。すごく仲いいみたいだよね、例の人と私。違うんだけどね」

「そうですか。では、奥のお席へどうぞ」

 促されるままに席に着くと、メニュー表を渡された。


「例の人が来てから注文しますか。そうですよね。では、ごゆっくり」

「本当に中田さん、きれいだよね。びっくりするくらい。さすが、バンドのヴォーカルだね」

「ありがとうございます」

 否定はせずに受け止める。言われ慣れてるのかもしれない。


 中田さんとやり取りをしている内に先生がやってきた。私に気が付くと軽く手を上げて、「待たせたね」と言った。私の正面に座ると、中田さんが先生にお冷を出した。

「今日はコーヒー豆を切らしているので、コーヒーはお出しできません」

「えっと、そんなはずないでしょう、中田くん」

「すみません。今日は本当に豆を切らしているんです。他の物を注文してください」


 先生にブラックコーヒーを飲ませたくないんだな、と思った。が、先生は中田さんの思惑を理解せず、不思議そうに彼を見てから、

「じゃあ、ダージリンティー」

「あ、私も。それから、何かケーキをもらおうかな」

 今日は絶対食べる、と道々考えていた。

「この前母が食べていた、フルーツケーキにしようかな。おいしそうだったから。あ。イチゴのタルトは、本当においしかったですよ、中田さん」

「ありがとうございます」

 そう言ってから、注文を復唱しカウンターの方へ戻って行った。


 中田さんがいなくなるとすぐに先生は、「それで。話って何?」と訊いてきた。

「えっと。昨日、私が住んでいる家のことを言ったら、先生、すごく驚いてたから。それでさ、昨日家に帰ってからいろいろあって」

 具体的に何があったとは言わないでおいた。


 そこまで話した時、中田さんがお茶とケーキを持ってきてくれた。

「ごゆっくり」

 中田さんは、私たちに礼をすると静かに去って行った。私は食欲に負けて、

「先生、ごめん。とりあえず、これ食べたい」

 先生はふっと笑って、「どうぞ」と促してきたので、遠慮なく食べ始めた。

「これもおいしい。優しい味がする」

 先生は微笑みながら、私がケーキを食べているのを見ていた。食べ終わって満足すると、今度は紅茶を飲んだ。お腹が落ち着いた。


「じゃあ、先生。話すよ。昨日家でいろいろあってさ。先生。下の名前、何だっけ?」

俊也としや

「だよね。先生に聞きたいんだけど。嶋田しまだ良子よしこを知ってるよね?」

 質問だが、もう、確信していた。嶋田の名前を聞いた時の驚きよう。よっちゃんと同じ年頃なこと。先生もこの辺の人だということ。決まりだろう、と勝手に思っていた。


 先生の顔色が青くなったように感じた。

「やっぱり知ってるんだよね。そうだろうね」

 一人で納得していた。


 先生は紅茶を何口か飲むと、

「恋人だったよ」

「だよね。だって、よっちゃんが先生を呼んでる声が、何ともせつない感じだったから。あ。私、馬鹿だ。言わないつもりだったのに」

 先生が驚きの表情に変わったのを見て、心の中で舌打ちした。


「良子と、話したのか? 昨日」

「えっと。はい。そう。話したと言うか、彼女の声を聞いただけだけど」


 先生は、混乱した表情で私を見ていた。

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