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「割引チケットあるんだけど、彼氏が急に行けなくなっちゃったんだよね。でも勿体ないし。折角だからあんたを誘おうかと思って。大丈夫、彼氏にはちゃんと言ってあるから――ってあれ? どうした?」


 なのにその一言で天まで上がっていた僕は足を掴まれ一気に引きずり落された。


「――ん? いや。何でもない。ありがとう。凄く楽しみ」

「遊園地ではしゃぐなんて可愛い奴め。なんてアタシも楽しみなんだけど」


 僕は夏姉のすぐ近くにいると思う。友達や先輩後輩なんかよりもずっと近くに。

 でもそれでいてずっと遠くにいると思う。彼氏や夏姉が好意を抱いてる人とかよりもずっと遠くに。小さい頃から一緒に居る事で夏姉に近づく半面、僕は夏姉からどんどん遠ざかって行っていた。

 でももしこの想いが知られてしまえば傍にいた夏姉も遠ざかってしまう気がする。何気なく肩を組み手を引いて触れる程までに近づく事も、何の抵抗も無く抱き付いてきたり凭れかかってきたりする事も無くなってしまうんだろう。

 いや、夏姉にそんな気はないのに僕が一人で意識してしまってる時点でそんな事はなくなった方がいいのかもしれない。って分かっているのに。気持ちを隠して騙し、夏姉の僕への気持ちを利用して――僕はなんてズルいんだ。それが分かっているのに、そんな自分が嫌なのに僕はまた何食わぬ顔で夏姉の前に居る。

 ――それが苦しくもあった。

 だけどそれ以上に内に秘めたままのこの想いの方が苦しい。僕は恋心というのは物理的に存在するんじゃないかって思う。誰かを想い生まれた恋心はちゃんと発散しないとどんどん胸に溜まっていくいんだ。言葉にしたり、行動で示したり。そうしないと溜まり続ける一方で段々と胸が圧迫され苦しくなっていくんだ。

 だとしたらこの胸にはどれくらい溜まってしまってるんだろうか? 少なくとも夏姉を思う度に酷く胸が苦しくなってしまう程にはもう満杯なんだろう。どうにかしないといつか僕の胸が押しつぶされてしまうのかもしれない――。

 でも結局のとこ僕は相変わらず。

 一方で大学を卒業し社会人となった夏姉は家を出て一人暮らしを始めた。それからはより一層、会えなくなった。

 正直に言って寂しかったけど、その距離は僕にとって悪いものでもなかった。一緒に居ない分、少しずつ夏姉に対する気持ちの整理が付き始めていた。どうやってこの気持ちを口にし伝えるか――がいつの間にかどうやって気持ちに区切りをつけるかへと変わっていったのもこの距離があったからなのかもしれない。

 でもまるでそんな僕を弄ぶかのようにある日突然、夏姉は家にやってきた。


「やっほー。元気してる?」


 お酒を片手に家にやってきた夏姉は家へと上がった。


「な、夏姉? どうしたの急に?」

「いや、ちょっとした休みが出来たらちょいと戻ってきたってわけ。あれ? おばさんは?」

「出張中。数日はいないよ」

「えー。残念。久しぶりに会いたかったのに。まぁでもあんたに会えたからよしとしますか」


 そうして既に酔ってるんじゃないかってぐらい陽気な夏姉は次々とお酒を開けては口を絶え間なく動かした。昔の話や愚痴やらなにやらと。

 でもそうやってソファに並んで座りお酒を呑む夏姉は相変わらずで、懐かしくて……。

 すると大分お酒を呑みやけに静かになったなと思ったその時だった。肩へ叩くように伸し掛かる重み。微かに聞こえる一定リズムの呼吸。僕が隣を見遣ると、そこには肩へ凭れ掛かるすっかり眠ってしまった夏姉の顔が。昔から何も変わらない無防備で愛らしい寝顔に、僕はお酒なんて一滴も飲んでないはずなのに顔が熱くなり始めた。

 少しの間、誰に見られているわけも無いのに僕は考える振りをしてその顔を見つめてた。

 でもやっぱりと僕は夏姉の肩に手を伸ばす。


「夏姉。寝るなら家に帰らないと」

「んー。……泊まる。帰るのめんどくさい」

「めんどくさいって隣じゃん」

「めんどーなの。寝るから連れてって」


 溜息を零しながらもこうなっては何を言っても無駄だと観念した僕は肩を貸しベッドまで連れて行ってあげた。

 僕はソファか。まぁいいか。なんて思いながら夏姉をベットに下ろしその場を去ろうとした僕だったが、手を掴まれ足が止まる。


「なに?」

「久しぶりに一緒に寝よーよ」

「え? やだよ」

「いいじゃん。そう恥ずかしがらなくても。昔みたいにさ」


 結局、僕はそのまま引きずり込まれベッドへ横になっていた。夏姉に背を向け少し丸くなって寝転がっていた。そんな僕を後ろから少し熱いぐらいの体温が包み込む。


「んー。懐かしい」


 僕はこの状況が嫌だった。折角、軽くなっていったはずの胸にまた重みが加わっていくのを感じる。その声を聞く度に、その温もりを感じる度に、息が首筋に当たる度に、包み込む手が位置を変える度に……。夏姉を意識する度にずっしりと想いは重く。


「大人ってどう?」


 気を紛らわせるように僕はそんな思っても無い質問をした。


「めんどう。でも悪くも無い」

「そう。なら僕も早く大人になりたい」

「そのうちなれるよ」


 その後、唸るような声を出した夏姉は動かした両腕へ力を入れ少し強く抱き締めた。


「こーやってると昔みたいだね。でもあんたはすっかり大きくなって体も男らくなっちゃって」


 ふふっ、と零すような笑いが聞こえた。


「昔とは随分と変わっちゃったね」

「――そうだね」


 そうだ。あの頃とは随分と変わってしまった。何も考えずにただ好きだから大好きって伝えて、一緒に寝て、抱き付いて、そんな事が平気で出来ていたあの頃とは。

 でも、一番変わって欲しい部分は何も変わらない。いや、僕だけが変わってしまったんだ。

 その事を酷く痛感しながら、夏姉の声が静かに寝息へと変わっていっても僕は一人シーツを握り締めていた。


 * * * * *


 結婚式当日。式は順調に進み、ブーケトスの為に女性達が花嫁である夏姉の前に集まった。

 でも――。


「みんなには悪いけど、アタシはみんなよりもいずれ結婚して幸せになって欲しい人がいるから、これはその人に渡したいと思います」


 えー、という声の中を進み夏姉が立ち止まったのは僕の前だった。


「どう?」


 そう言って少し手を広げる夏姉。

 聖女のように穢れ無き純白のウエディングドレスに身を包んだその人は……僕の方へ彗星みたいに見惚れしまう双眸を向け喜色満面の表情を見せた。その姿は、天使や女神――どんな比喩表現でさえ足元にも及ばぬ程に愛々しく煌びやかだった。

 僕はどれだけこの瞬間を待ち望んだんだろう。僕はどれだけこの瞬間を夢見たんだろう。


「とっても――綺麗だよ」


 でもその隣にいるのは僕じゃない。誓い合うのは僕じゃない。


「ありがと。それじゃあ、はい」


 そう言って渡さたブーケ。


「アタシみたいにいい人見つけて、結婚して、幸せになるんだよ?」

「――僕もなれるかな?」


 すると夏姉は僕を強くそれていて優しく抱き締めた。


「きっとなれるよ」


 いつの間にか始まっていた僕の初恋は、一番大切な人を祝福する鐘の音と共に、誰にも知られる事なく静かに終わりを告げていった。

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静かな初恋 佐武ろく @satake_roku

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