第13話 おかえりなさい

 黒に染まった視界の中心で、淡く青白い光が灯った。その光はしばし瞬きを繰り返す。そして、光は硝子玉を砕いたように視界いっぱいに散らばり、自分と自分の周囲の情報を映した。


 ウィナはゆっくりと瞼を開く。


 見慣れない天井は、普段の自室よりも高く豪奢な装飾が施してあった。


 脱力感を纏う体をベッドから起こすと、全身が針金で出来ているかのように軋む。随分長く寝ていたのだろうか。ゆっくりと首を回せばバキバキと小気味良い音が響いた。


 周囲を見回す。ここは自室ではない。しかし、同時に既視感のある風景に眉をひそめた。


 しばし考えて、ああと思い当たる。


 ここは来客用の寝室だ。何度も掃除をしているはずなのに、いざ自分がベッドに寝てみるとわからないものだ。


 薄手の寝巻に身を包んだ自分の姿を見る。左腕の袖が滑り、そこにしっかりと腕輪が嵌め込まれていることを確認した。


 脳裏に鮮やかな記憶が蘇る。死にかけて、ラグナに乗って、フィロメニアを助けた。ウィナの人生において恐らく最も長い一日だった。刻まれた恐怖と高揚は、それが夢ではないことを訴えている。


 ウィナはブランケットから抜け出てベッドから降りて、扉に向かった。


 体が重い割に頭がはっきりとしていて、目に映るものすべてが鮮明に見える。


 妙な感覚を不思議に思いつつも、ふらふらと館の廊下を歩いていくのだった。





「うわぁ……」


 館のバルコニーでウィナは街の変わり様にため息を漏らす。


 記憶が途切れたその後に街がどうなったのかを確認するため、ここに来た。


 かつては横一線に高さを揃えていた外壁は凸凹とした不恰好な輪郭を晒し、規則正しく並んでいたはずの家屋は歯の抜けたのように所々が倒壊している。特に教会周辺は被害が大きく、多くの建物が獣の引っ掻き傷のように鋭く抉られていた。


 その中心で膝をつく青色の魔装ティタニスを見て、鼓動が高く脈打つ。


 ふと気配を感じた。視線を横に投げる。そこには手すりに腰掛けるように浮遊するミコトの姿があった。


『おはようございます。ウィナフレッド』


「おはよ。寝過ごしちゃった。もう日が高いや」


 頭上を仰ぎ見ると、すでに太陽は真上に近い。


『はい。ウィナフレッドは六十三時間四十八分の間、睡眠状態にありました』


「寝過ごしたどころじゃなかった!?」


 大袈裟に驚くと、ミコトは口元を抑えて笑う。


 どうりで調子がいいわけだ、とウィナは体を伸ばした。


「あの後どうなったの?」


『ウィナフレッドが気を失った後、非敵性勢力が到着。彼らにより残存していた敵性体は撃破されました』


 問われたミコトが軽く手を振ると結晶板が現れる。そこには外壁上を走り回る、見慣れない魔装ティタニスの姿が映っていた。


 非敵性勢力というのは隣の領地などからの援軍だろう、と思い至り、胸を撫で下ろす。


『現在、領民は都市機能の復旧作業に追われていますが、意欲的な雰囲気であると当方は感じました』


「……そっか。そうだよね。落ち込んでばっかりいられないもんね」


 ウィナは手すりに肘を置いて、街を眺めた。


 すると、疑問を表するような短音が鳴り、ミコトの顔が目の前まで近づいてきた。小首をかしげて、心配そうにこちらを見つめてくる。


 どうしてそんなに悲しそうなのだ、と問いかけられている気がした。


「街を見てたらなんだか悲しくなっちゃって」


 言葉にすると視界がわずかに霞み始めてしまい、ウィナはゴシゴシと目を袖で拭う。


「ラグナに乗って忌獣を倒せば、ハッピーエンドにできると思ってたんだ。けど、やっぱり死んじゃった人もいて、壊れちゃった家もいっぱいあったから」


 正面からミコトの顔が退いて、黒髪が後を追った。肩に暖かい感触があって、抱きかかえられたのだとわかる。


「だから、お父さんとお母さんなら上手くできたのかなって。そう思ったんだ」


 言い終えたウィナは鼻水を啜った。


 死力を尽くしても、奇跡のような出会いがあっても、守れなかったものがある。そして、心のどこかで割り切れと思う自分がいる。


 それが悔しかった。


 回された腕に力が入り、耳元で無機質な声が響く。


『街の意欲的な雰囲気の一端は、ウィナフレッドの行動により被害が最小限に抑えられたことによるものと、当方は推測します』


「慰めてくれてる」


 下手に視線を動かすと涙が零れてしまいそうで、ウィナは前を向いたまま苦笑をもらす。


『はい。ウィナフレッドが自身で確認することを推奨します』


 そう言い残して、ミコトの温もりがふっと消えた。同時に、背後で扉を開ける音がして振り向く。


「ウィナ」


「メイド長……」


 そこにはこの館を取り仕切る、落ち着いた佇まいの女性が立っていた。





「どうして玄関へ行くのに庭を通るんです?」


「静かだからです」


 メイド長に問うと、そう短く答えが返ってきた。出迎えがあると連れ出され、着替えも必要ないとのことで、着の身着のまま彼女に従う。


「……カルメラさん」


 花に囲まれた道をゆっくりと歩きながら、ウィナは恐る恐る昔の呼び方で話しかけた。なぁに、と返事があって、ほっとして続ける。


「アタシ、これからどうなるんだろう?」


「さぁ――ここが世界の全てである私には想像がつかないわ」


 柔らかな手が頭を撫でる感触。もうそんな子供ではないが、その懐かしさにカルメラの思うままにさせた。


「実は私自身は大して驚いてはいないの。貴女が魔装ティタニスに勝手に乗って、色々と破天荒なことをしてきたと聞かされてもね」


「なんかアタシがやらかしたみたいになってるよ」


「良い意味でです。やり方が派手すぎるところが、本当にそっくり」


 昔に思いを馳せるような言い様に、ウィナは首を傾げる。誰に、と聞こうとして玄関の前で歩みが止まった。


 扉の前には二人のメイドが待ち受けていて、こちらに向けて静かに頷く。肩を掴むカルメラの手に力が入るのがわかった。


「ウィナフレッド。この先、何が貴女を待ち受けるのかは私にはわかりません。けれど、常に胸を張りなさい。顔を上げて、前を見続けるのです」


「はい。メイド長」


 微かに声を震わせるカルメラにはっきりと答える。すると、背中をとんと突き放すように押された。しかし、ウィナは歩みを止めず、振り向かずに扉へと向かう。


 メイドたちによって恭しく扉が開かれる――その間際、ウィナは己の背中に向けられた声を聞いた。


「おかえりなさいませ。私たちの騎士様」


 それは出迎えの言葉だった。カルメラはずっと待っていたのだろう。何年も前に見送った騎士の背中を。


 彼女の声をかき消すように――扉の先で嵐のような打音がウィナを包む。


 玄関ホールはたくさんの人で埋め尽くされていた。館に勤めている使用人たちと、兵士たちも混じっている。彼らはその手を鳴らして、微笑みや涙を浮かべていた。


 視線の先である者は頷き、ある者は頭を垂れ、ある者は労いの言葉をかけてくる。


 そこにいる人たちは皆、ウィナを迎えてくれていた。


 ――ウィナフレッドが自身で確認することを推奨します。


 ミコトの言葉を思い出す。


 悲しいことばかりではない。辛いことばかりではない。だからこそ、カルメラは胸を張れと言ったのだろう。幾度も両親を見送り、出迎えた彼女が故に。


 階段から一人の少女が降りてくる。


 銀の髪できらびやかに日を照り返す少女を、ウィナは仰ぎ見た。人々は静かに道を開ける。


 導かれるように階段を登ると、踊り場で待つ少女は手を差し出した。


 その仕草をウィナは愛おしく思う。幼い頃から何度もその手を取った。友人として、侍女として。しかし、今度は違う。


 ウィナは騎士として主の手を取った。


 暖かくて、柔らかい体が腕の中に納まる。


「フィロメニア」


「ウィナ」


 噛み締めるように名を呼んだ。それ以上の言葉はいらない。


 言ったとしても聞こえなかったかもしれない。ひときわ大きな喝采が自分たちを包んでいたのだから。

 

 かつて幼い自分も小さな手を鳴らして加わった出迎えの音。それはここにいる人たちの思いだ。


 自分が鈴を鳴らしたように、みんなが自分のために心を鳴らしてくれている。


 ウィナは祈った。


 ――アタシの神様。ずっと見守っていてください。アタシが守りたい者を守り切るその日まで。


 左腕に揺れる鈴が、しゃらんと揺れた。

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