第11話 アタシに祈って
山を越えればライニーズが見える。
馬車で時間をかけて通った距離を、ラグナはわずか十数分で踏破していた。人では迷い込んでしまうような森であっても、登ることが不可能な山であっても、人の十倍近い背丈を誇る巨人にとっては障害物にもなり得ない。
山道を駆け上がり、その山稜を飛び越えると、視界が一気に開けた。
普段は見ることのない外からの自分の街が見える。しかし、見慣れる景色であっても、そこに異常が生じていることは明らかだった。
『人型兵器十五、敵性体三十四、確認。街の外周防壁に破損個所および侵入痕があります』
視界に重ねるように
跳躍による数秒の落下を荒々しい着地で終えたウィナは、すぐさまラグナを走らせた。
「くそっ……!」
『内部の状況を確認するため、霊子探査波の発振を提案します』
「わからないけどわかった!」
言うや否やラグナの左腕につけられた羽のような部品が開き、風車のように整列される。
言い放った通り、それが何であるかウィナは全くわからない。だがどうすれば良いのかだけはわかっていた。
躊躇なく前方に風車を向ける。
『【マーク】』
ミコトの声と同時に風車が光り、視界の歪みと共に、大鐘のような打音が鳴ったように感じた。だが、見えない力がそう錯覚させたのだと理解する。
視界では発せられた波のようなものが一気に前方を駆け抜け、壁の向こう側の敵と味方の姿を映した。わずかな時間ではあるが、そこには入り乱れながら忌獣と取っ組み合う
『
低い唸りのような警告音が前方から響く。鉱山で倒したものと同じ種の忌獣がこちらに向き直っていた。だが、相手は広大な田畑を隔てるほどの距離である。
ウィナは思わず声を上げた。
「あんなに遠くから!?」
『はい。先ほどの探査波を感知したと思われます。敵、攻撃――』
言葉が終わる前に甲高い警告音が鳴り、反射的にウィナは桿を傾ける。わずかに軌道を変えたラグナのすぐ横に、何発もの光弾が飛来した。敵の砲撃は正確無比とまでは言えないが、真っ直ぐ走っているだけではいい的だろう。
『ウィナフレッドの反射神経は非常に優秀であると評価します』
「唯一の取り柄だからね!」
『分析予兆測による回避時機を伝えます』
「タイミングがわかれば避けてやる!」
『はい。ウィナフレッドの能力であれば可能です』
ウィナはさらに鐙を踏み込んだ。ラグナの速度が上がり、装従席に押し付けられるが、歯を食いしばって耐える。
小刻みに音程を上げる警告音が連続し、敵の攻撃を予測を伝えてきた。音程がピークに達すると同時に、ウィナは滑らかにラグナの体を振る。
前方にいくつかの小さな閃光。周囲の地面を光弾がえぐり取り、土煙が上がるがウィナは構わない。当たらないという確信があった。
『新たな
「相手してらんない。飛び越えちゃおうかな!」
『メインスラスター出力不安定。四コンマ八秒の限定使用であれば可能です』
話している間にも続けての砲撃がくる。
ジグザグな移動でそれらを避けながら、密集して砲撃を放っていた集団に向けてラグナを跳躍させた。忌獣の尾が一斉に上を向き、うち一体の砲撃を空中で身をよじって回避する。
「どりゃああっ!」
着地する先は忌獣の背中。足で卵の殻を割るような感覚があり、眼下で内臓と思しきものが地面にぶちまけられた。
『メインスラスター、いけます』
「いけるね!」
周囲を囲む忌獣が、今まさに至近距離での砲撃を叩きこまんとする間際、背部推進器が火を噴く。そこに高高度からの着地に耐える脚力が加わり、ラグナの巨体は矢のような速度で壁上へと押し上げられた。
勢いのまま壁を飛び越える――はずが、装従席に衝撃が走る。
「痛ったぁ!」
目算を誤って壁上部に激突してしまったのだ。ウィナの体を固定する結晶の鎧がなければ前に投げ飛ばされていただろう。
だが、縁を突き破ったおかげで壁上にはたどり着くことができたようだ。瓦礫を押しのけて立ち上がり、ラグナの目を通して街を見渡す。
『高脅威度目標を確認』
ミコトが発した警告音。街の教会近くで暴れまわる、ひときわ大きな忌獣の姿があった。
だが、ウィナの視線は忌獣ではなく、もっと小さな反応に奪われる。
――忌獣のすぐ近くに、子供たちを背に庇った主の姿があったのだから。
◇
「きゃああっ……!」
地面を揺らす轟音に、そばに座っていた少女が悲鳴を上げる。恐怖に声を出したのは彼女だけではない。教会に避難した人々からもどよめきが上がった。
フィロメニアは震える少女を抱えて、その小さな頭に手を置く。
「大丈夫だ。外壁はそう易々と破られはしない」
「ほんとう……?」
「ああ」
目に涙を溜めて顔を上げた少女に、フィロメニアは笑いかけ、片方の手を握ったままの少年に声をかけた。
「今に街の騎士たちが忌獣を退治してくれるさ。私たちはここで彼らの力になれるよう、祈りを捧げよう」
「騎士の人、つおいの?」
少年がフィロメニアの手をぎゅっと握って、問いかけてくる。フィロメニアは深く頷くと、声を高くして答えた。
「もちろんだ。
「歩いてるのみたことある」
そんな思考を振り払うように頭を振って、言葉を続ける。
「ならわかるだろう? ギアードの賢人たちが集まって作り上げた、忌獣を討つための巨人だ。負けるわけがないさ」
「うん……!」
少年が強く頷いた。気づけば周囲の子供たちもフィロメニアの下に集まって、話を聞いている。
「ぼくも騎士になって戦いたい」
「あ、あたしも……!」
子どもたちが口々に話し始める。祈りの妨げにならないよう、人差し指を唇に当てながら声を落としてフィロメニアは答えた。
「そうか。でも大事なのは皆を守りたいという気持ちだ。皆、近くの者の手を取って」
言われて、周りを見回した子供たちが互いに手を取る。フィロメニアにも何人かの子供たちが手を伸ばしてきて、その小さな手を自分の手のひらに置かせた。様々な温度と感触が伝わってきて、そのひとつひとつが愛おしく感じる。
「こうすると、目を瞑ってもそこに誰かがいるのがわかるだろう? 自分のためだけじゃない。触れ合ったその者のために祈るんだ」
フィロメニアの言葉に、子供たちは口の結んで目を瞑った。
「私たちは一人ではない。たとえ手を触れられなくとも、この手の記憶があれば想うことができる。家族とはぐれてしまった者も、そうやって触れ合った感触を思い出して祈るんだ」
ぐずっていた子も含め、子供たちは落ち着いてゆく。フィロメニアが手を名残惜しそうに引き、自分の胸の前で合わせると、子供たちもそれに倣った。
その時、ひと際大きな轟音が響く。教会の壁を何かが打つような音が続き、天井からも埃が舞い落ちた。
フィロメニアはこの建物自体が崩れることを懸念し、ゆっくりと立ち上がった。
「フィロメニア様……?」
近くにいた大人たちが声をかけてくる。
「外を見てくる。場合によっては建物の中からも移動した方がいいかもしれん」
そう言って、足元に縋る子供たちを大人たちに任せ、教会の扉を静かに開けた。辺りには人の気配はなく、壁の外からは爆音と金属を打ち合う音がこだましている。
フィロメニアは教会から数歩離れて建物の外観を確かめるが、崩れ落ちるような心配はなさそうに見えた。恐らく小石か何かが屋根から落ちたのだろうと思い、街の方に顔を向けた瞬間――。
――視界の横から錆色の化け物が飛び込んできた。
異形が街道に敷き詰められた石畳を削り、土砂を巻き上げながら着地する。なによりその畏怖を感じさせたのは、今までフィロメニアがいた教会とほぼ同じ大きさという巨躯だった。
全身の毛が逆立ち、息が凍る。鼓動が大きく跳ね、体中を悪寒が駆け巡るのがわかった。
「ひっ……!」
赤く光る複眼がこちらに向きかける。
その時、街道を踏み鳴らす足音が響いた。見れば片腕を失った
『あああぁぁぁぁぁッ!』
乗っている女性騎士のものと思われる絶叫が上がり、巨人は速度を落とす事なく異形と激突する。
横合いからの大質量の衝撃に、さすがの化け物も甲高い悲鳴を上げて身をよじった。
恐怖に身を凍らせていたフィロメニアはその声で正気を取り戻し、弾かれたように走り出す。巨体同士が体をぶつけ合う衝撃を背中に感じ、首筋にぞわりとした感覚が走った。薄く開いたままの教会の扉に身体を滑り込ませると、すぐさま木製のそれを閉める。
「――かはっ……! はぁっ! はぁっ……!」
忘れていた呼吸を再開し、空気を求めて肺が激しく動く。扉に触れる手が、石の床についた足が小刻みに震えていた。
教会の外の格闘戦の振動で、天井から石片が落ち、乾いた音を立てる。外からの振動が段々と大きくなっていることに気づいたフィロメニアは、瞬時に判断した。
「奥に走れっ! 急げっ!」
叫びに人々は足をもつれさせつつ、教会の奥へと逃げ込む。理解できずに呆然と座ったままの子供たちを担ぎ上げようとしたフィロメニアは、背後で唸るような低音に気づき、咄嗟に振り向いて防御魔法を展開した。
教会の扉が周囲の壁もろとも吹き飛ぶ。氷のような魔法壁ごしに、
なぜなら、建物のすぐそこから、赤い複眼がこちらを捉えていたからだ。
全身を弛緩させ、抵抗しなくなった巨大な人型が放り投げられる。千切れた太い腕が宙を舞い、きらきらと光る液体を撒き散らしながら近くの民家に落下した。
「あ……あぁ……」
フィロメニアの両手がだらんと垂れ下がる。自分の体とは比べ物にならないほど巨大な異形に抗う術はない。それでも、無意識に後ろ手に隠した子供たちをかばっていた。
化け物の尾が先端をこちらに向けてもたげる。眩い光が灯り、雷光が散るさまを見て、これから来るものは痛みすら奪うほどの暴力だと直感した。
心が堰を切ったように生への執着を叫び散らす。生きたい。助けてほしい。
「ウィナ……!」
フィロメニアは自分にとっての騎士の名を呼んでいた。
視界を閃光が塗り潰す。熱が空気を焦がす音と共に、体が浮きそうになるほどの衝撃波が来た。頬を伝う涙が暴風に飛ばされる。
フィロメニアは目を閉じて、死を待った。
だが、予感していた痛みも、熱さも感じない。
代わりに声が聞こえた。
『しょうがないなぁ……!』
「えっ……」
それは今日が始まってから、ずっと聞きたかった音色だった。
何かが自分の前に立っている。誰かが自分に背を向けている。溢れてきた涙で前が見えない。
けれど、フィロメニアは確信していた。
『本当にアタシがいないとしょうがないんだから……!』
前へと手を伸ばす。救いを求めるように、祈りが届くように。
「――あぁ、そうだ……!」
幼いから、フィロメニアの前にあるのは一人の背中だった。誰よりも優れるように、誰よりも先を行くように育てられた自分が唯一前を譲る背中。それが心地よかった。それが自然だった。きっとそれが私たちの形なのだろうから。
だから――。
「私を助けろ……!」
『アタシに祈って……!』
精一杯の祈りを込めて、再びその名を呼ぶ。
「ウィナぁぁぁっ!」
『フィロメニアっ!』
光に立ちはだかる巨人から、騎士が主の名を呼ぶ声が響いた。
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