恋がしたい彼等
揺井かごめ
アキラ×イズミ
「なあ、恋バナしていいか」
俺は、思わず咥えていたアイスを噛み砕いた。風呂上がりの火照った身体にありがたい冷たさと、メロンソーダのフレーバーが口いっぱいに広がる。
「どうしたよ、裕太。急に似合わねぇコト言うじゃん」
「似合わねぇかな」
「似合わねぇよ」
座椅子でくつろいでいる裕太の隣に腰掛けると、裕太が勝手に俺の髪をドライヤーで乾かし始める。裕太はいつも俺の髪を乾かしたがる。触り心地が良いらしい。最初は抵抗があったが、裕太の押しの強さに負けて以降好きにさせている。俺も手間が省けるのでWin-Winだ。
裕太とは、大学入学前に下宿先の内見で知り合って以来の付き合いになる。同じアパートに住んでおり、互いの部屋に入り浸っているので、ほとんど同居人だ。
大学二年生の貴重な夏休み、映画鑑賞に丸一日付き合ってくれる奇特な友人。
まだ知り合って一年ちょっとしか経っていないが、俺達は周囲が引くほど仲が良かった。そこら辺のカップルよりも多く互いの家に泊まっている自負があるし、サークルも取った講義もほぼ同じだったので、トイレと風呂以外の時間は大方一緒に過ごしている。自分でもドン引きのべったり具合だが、その関係が一年も続いているのだから不思議なものだ。
それだけ長く一緒に居たので、裕太の性格も、人間関係も、何となくだが察しているつもりだった。
裕太は彫りが深く整った顔をしている。身綺麗で寡黙で顔が良い、おまけに歌がすこぶる上手い。喋ってみれば面白い奴なので、男女問わず友達も多い。モテない訳がなかったが、これまで裕太の生活に女性の影は無かった。
「え、好きな人できたとか?」
「亨はその短絡的すぎるところをどうにかしてくれ。少し考えてみたくなっただけだよ」
「ふーん?」
そうは言っても、あまりにもらしくない。
互いに彼女ができたとして、今の生活を続けることはまず不可能だろう。俺に遠慮して素直に相談できないのかも知れない。一抹の寂しさを誤魔化したくて、俺は溶けかけのアイスを一気に平らげた。
「はー、このアイスやっぱ美味いわ」
「お前それ好きな。沢山有るけど一本にしとけよ、腹壊すから」
「お母さんが言う奴じゃん。分かってるって」
アイスの棒を咥えたまま、手持ち無沙汰にピコピコと動かす。裕太はドライヤーを止めて俺の髪をひとしきりかき混ぜ、よしと小さく呟いた。
「話、続けて良いか」
「続けなかったら俺が怒るよ。こんな気になるところで止めやがって! って」
「気になるか」
「気になるっしょ」
「そうか」
裕太は俺の背後に座ったまま、平坦な声で言った。
「亨って今、好きな子とかいるか」
「は?」
え? お前の話じゃないの? 俺に訊くんだ? と言いたくなったが、すんでのところで言葉を飲み込む。裕太は恋愛相談とは言っていない。
恋バナの口火を切るには、それは定番のフレーズだった。
「え、言わなきゃ駄目?」
「出来ればで良いよ」
「うーん……」
中学時代に二年だけ付き合った彼女を思い出す。家庭内が酷く荒れていて、俺は話を聞いたり一緒に過ごす時間を増やしたり、そのくらいしか出来なかった。結局、卒業式の日に別れを切り出された。
あれきり一度も彼女ができないまま、もう二十歳も目前である。思わず自嘲気味な空笑いが漏れた。
「今はいないかな」
「今は?」
「いたことあったけど、俺には幸せに出来ない子だったから」
「もう吹っ切れてるのか」
「区切りはついてるよ。俺の知らないところで幸せになっててくれたら良いなと思う」
「そうか。じゃあ、亨が今一番仲良い子でイメージしてくれ」
今一番仲良い子、と聞いて、俺は思わず隣に座っている男を見た。どう考えても、今一番仲が良い相手は裕太だった。
慌てて正面を向き直り、一番最近喋った女子を思い浮かべる。サークルの後輩。小柄で細身だが大食らいで、芯があって良く喋る愉快な子だ。
「ん、イメージしたわ」
「じゃあ、その子に告られて、一ヶ月だけお試しで付き合ってくださいと言われて、それを承諾したとする」
「具体的~……え、もしかしてお前の話?」
「もしもの話だよ。ここまで大丈夫か」
はぐらかされてしまった。しかし、この流れは十中八九『自分の話』だ。気付かないふりくらいはしてやるが、今の裕太には彼女がいるのかと思うとなんだかいたたまれない。
……違うな。なんで最初に教えてくれなかったんだ、だ。
俺は、自分が思っているより心が狭いらしい。
「うん、わかった。とりあえず一ヶ月付き合うのな」
「ああ。その一ヶ月で、今後も付き合っていくかどうか決めるとする。その期間中、亨が絶対やりたい事ってあるか?」
やりたい事。
「……下ネタ?」
「下半身野郎って呼んでやろうか」
「冗談だよ。絶対やりたい事か」
「その子とは元々ある程度仲が良くて、金銭感覚や好き嫌いは何となく察しているとする」
「前提増えたな」
具体性が増した。改めて、裕太にそこまで仲の良い女子がいた事に少なからずショックを受けている自分がいる。そんな女子が誰も思い当たらない、その事実も腹立たしい。この子かな、とアタリくらい付いても良くないか? これだけ一緒に居たのに見当も付かない。
気を取り直して、後輩の顔を再び思い浮かべる。ひょうきんだが生真面目な良い子だ。遊びで付き合う、という状況は想像できなかった。
「まあ、お互いの家庭環境とか将来設計とか、そういう話は最初に済ませるかな」
「最初からヘビーだな」
「恋愛は元々ヘビーじゃね?」
「コミュ障かよ」
「コミュ障だよ、悪いかよ」
「悪かねぇけど、お前の彼女大変そうだな」
「ほっとけ」
背後で微かに笑い声がする。俺は膝を抱え、裕太の脛を肘で小突いた。
「ごめんって。他には?」
他、と言われて、俺は再び膝を抱え直した。これ以上話すのは、流石に少し気まずい。
「あー……裕太、ガチめのシモい話は平気か」
「やっぱり下半身野郎じゃん」
「そういうこと言うなよぉ、避けては通れないだろ? 聞きたくないなら喋るのやめようか?」
「嘘嘘、悪かったって。続けてくれよ」
「……引くなよ? お前が始めた話だからな?」
「引かないよ、安心しろ」
「俺が喋ったらお前も喋れよ?」
「わかったって。そんなに恥ずかしいこと言うつもりなのか?」
「……」
こういう話でも口ごもらずに言えれば苦労しない。童貞にこういった話は荷が重い。沈黙に耐えられず、俺は渋々と続きを口にした。
「……恋人じゃないと、出来ないことをする」
「例えば?」
「過度なスキンシップとか、腹割ってお互いの気持ち話すとか、そういうやつ?」
「ボカすなよ、具体的には?」
「言えるかよ馬鹿」
「言えないようなことするんだな?」
「言えないようなことするんだろうよ。言わせたいの? 正気?」
「酒が欲しけりゃ冷蔵庫にあるよ、お前の好きなカクテル」
「まーなんて男なの、酔わせようとするなんてサイテー」
冗談を交わしつつ、混乱する頭を「こいつ、俺に何言わせたいんだ?」が占拠する。
「なんでそこをチョイスしたか訊いてもいいか」
懲りずに言及してくる裕太を前に、俺は考えるのをやめた。いつもの軽口なのだから、最初から気にする必要は無い。どうせ俺の話は、裕太の本題の前座だ。俺が喋り終わったら、裕太が種明かしをするだろう。正直そちらの方が気になって仕方ない。自分の話は適当に済ませてしまえば十分だろう。
「普通に、恋人じゃないと出来ないことは、『恋人じゃないと出来ない』からだよ。それが出来なかったら、恋人でいる意味が無い。だから確認する必要がある」
「セックスできなければ恋人じゃない、か?」
「お前こそ下半身野郎なんじゃないか?」
素で低い声が出た。
「お前の言葉を噛み砕いたらこうなるだろ」
「全然違ぇよ……まあ確かにセックスでも良いけど、キスでも、ハグでも、何なら『愛してる』って言うだけでも良い。意識して長く時間を共にする、ってだけでも良いかもな」
例えば、俺は裕太の恋人ではない。成り行きで一緒にいるだけの俺がいくら寂しかろうと、恋人と過ごす時間を裕太から奪うことはできない。俺も気分悪いし。
「恋人じゃないと出来ないことがあるから恋人になるんだろ。お互いがそれを見つけられて、気持ち的にそれを確認できるってのは、絶対必要じゃないか?」
「……ドライだな」
「ドライかな」
「ドライだよ。理屈で恋愛を捉えようとしているのがもう駄目だ」
「駄目かぁ……女に困ってないお前が言うんなら駄目なんだろうな」
「彼女はいたことないけどな」
「お前それ絶対嘘だろ」
そろそろ頃合いだろうか。
「俺は喋ったかんな。約束だろ、お前も喋れよ」
「あー……まあ、そうだよな。分かった」
言い辛そうな声色だった。やっぱりそうか、と小さく溜息を吐く。まるで別れ話を待つ彼女のような心地だった。そういえば昔、彼女に振られる直前もこんな風に胃の奥がすぼまる思いをした。いや、なんだ、先ほどから例えが悪いな。これじゃあ、まるで俺が──。
裕太の両手が、俺の頭の両側に添えられた。顎の下に差し込まれた指に促されて上を向くと、ベッドに腰かけた裕太が俺の顔を見下ろしていた。
「俺、お前のこと好きなんだけど、一ヶ月お試しで付き合ってくれないか」
俺は、どんな顔をしているだろう。間抜けな顔をしているに違いない。
「お互い、将来設計も家庭環境もある程度把握してるし」
裕太は、言葉が出ない俺の目を真っ直ぐ見つめる。顔が熱を持つのが分かる。逃げようと思えば逃げられるはずなのに、身体が動かない。
「長く時間を共にする、ってのも大分クリアしてると思うんだけど」
その先を言われたら、もう戻れない気がした。
「してみるか、恋人じゃないと出来ないこと」
恋がしたい彼等 揺井かごめ @ushirono_syomen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。恋がしたい彼等の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます