保健室登校の理由(わけ)
水曜日の昼。先輩が体育の前の昼食を、更衣室が近いからと私と一緒に保健室で食べる習慣は続いていた。
「なあ」
先輩が言った。
「ずっと聞きたかったんだけど」
「何ですか?」
「なんで、保健室登校になったんだ?」
その、きっかけとか、なんかあったなら……。と先輩は尻すぼみになりながら言った。
「あー」
人からしたら、なんてことない話なのだ。それに、前に進むためにも、頭の中を整理するのは良いかも知れない。
「大したことじゃないんです」
私は、高校最初のテストで赤点を取ってしまったことを話した。
次のテストでなんとか平均以上だったので無事に単位は取れた。実際、今2年生になれている。ただ、赤点を取ってしまった自分が恥ずかしくて、赤点が怖くなってしまったのだ。自分は決して頭は良くない。どの教科でも、赤点をとる可能性がある生徒だった。
1年では3学期の中間試験でも、別の科目で赤点を取った。赤点を取っちゃいけない。高校は義務教育じゃない。赤点があって、単位が取れないこともある。みんなと一緒に次の学年に上がれないかもしれない。私は必死になって勉強した。周りの子は必死に見えなくて、真面目に日々勉強して、その積み重ねで簡単に、ではないだろうが私ほど切羽詰まって勉強しなくても赤点の心配は無いような子に見えた。3学期の期末試験は赤点は無かったが、全教科赤点ぎりぎりだった。首の皮1枚繋がった感じだった。
私は何をしているんだろう。なんでここにいるんだろう。周りにどう見られているんだろう。自分があまりにも出来の悪い生徒に見えて、周りの視線が怖くなった。
頑張っているのに。結果が出なくて、馬鹿だと思われる。頑張っているのに馬鹿だと思われるのは心外で、頑張っても良い点数の取れない可哀想な子と思われるのも怖くて、私は教室に行けなくなった。
他人に何を言われても、私は自分を認められない。だから、先輩は何を言ってくるだろう、と身構えていた。そういうこともあると、いつも通り流すのだろうか。気にするなと気休めを言うのだろうか。馬鹿にして、態度を変えてくるだろうか。
「立花、先生と仲良いもんなあ」
急に先輩はそんなことを言い出した。
「立花が頑張ってるなら、俺も頑張るわ」
先輩はそれだけ言って、去って行った。
ほとんど何も言われないのは逆に良かったけれど、先輩が何を考えているのかもわからなくなった。
後日。先輩はメッセージを送って来た。
俺はお前を応援する、と書かれていた。そんなことを言われると思っていなかった。それに、何を頑張れとも明言されていなくて自分の都合の良いように解釈することにした。多分、その都合よく解釈する余白みたいなものを、先輩は残してくれていた。そういう、優しさだった。
先輩の応援メッセージは、確かに私の背中を押した。
だから私は、保健室で先生に伝えた。
「石田先生、次のテスト、教室で受けてみようと思います」
「え」
石田先生は素直に驚いて、わかった、頑張って、と真っ直ぐ応援してくれた。
私は、岡山先生にプリントを渡した時のことを思い出して、大丈夫、
それから、先輩にもメッセージを送り、報告した。以来、先輩はテスト週間中こまめに連絡をくれて、勉強でわからない所を教えてくれた。先輩とつながっているトーク画面が、精神安定剤になっていた。
テスト前日の日曜日、私は天音の家でテスト勉強をしていた。天音が、勉強会をしようと言い出したのだ。天音にはテスト期間の明日から3日間教室に登校することを伝えてある。同じクラスのなので、フォローは任せて! とノリノリだった。頼りになる親友だ。けれど、今日は様子がおかしい。口数が少なく、元気が無いように見える。
「天音、なんかあった?」
「え?」
私は、相変わらずテスト範囲で分からない所を質問すると、すぐにわかりやすい解説を返信してくれる先輩とのメッセージのラリーにキリを付けて言った。
「何も無いよ?」
そういう天音は心底不思議そうで、本当に心当たりが無い様だ。
「少しね、心配なだけなの」
少し考えてから、天音はそう口を開いた。
「何が?」
天音は黙って首を横に振った。私に話す気は無いらしい。
「ねえ、早弥」
「うん?」
「早弥は抱え込みすぎるところがある」
なんだ、急に? でもその通りだ。
「うん? そうだね」
「だから、約束して。これだけやって貰ったのに申し訳無い、って絶対に言わないで」
ああ、そうか。天音が心配していることがわかった。私がたくさんの人に協力して貰って、教室でテストを受けて、その点数が良くなかった時のことを心配しているのだ。それは、確かに口にしたら本当になりそうで言いたくない天音の気持ちもわかる。
そして、これだけやって貰ったのに申し訳無い、とは去年赤点を取ったときに天音に言ったことがある言葉だ。あの時は天音には協力して貰ったり、勉強会をしたわけでも無かったから天音に言えたんだ。
その時の私は、放課後学校に残って、熱心な先生に苦手な教科で分からない所を質問して教えて貰っていた。その先生に申し訳無いと思った当時のことを思い出す。あれだけ協力してくれた先生達にどう思われるか怖い、と天音に話したことも思い出す。
「私、勉強会して思った」
そう、天音が言った。
「私が、早弥と勉強したかったの。楽しいし。なのに、申し訳無いなんて、思って欲しく無いってわかった」
きっとみんな同じだよ、と天音は言う。先生たちに申し訳無く思う必要は無いのだと、天音は教えてくれた。
ふと、先輩の以前の言葉が蘇る。
『立花、先生と仲良いもんな』
あれって、このこと?
仲が良いから気にし過ぎてしまうのだ、と。そんなに気負わなくて良いと思うぞと、先輩は言いたかったのかも知れない。
確かに、悲しいなと私は納得した。
もし天音が私と勉強会をしたとして、と逆の立場で想像してみた。仮にテストの成績が良くなかったとして、そのことを申し訳無いと思われるのは、距離を置かれたようで悲しい。そんなこと気にしなくて良いから、一緒にいようよ、と思う。
気にしないのは無理だと、自分の今の立場で思うけれど、申し訳無いとまで思ってしまっては相手に悪いな、と思った。メッセージ受信の通知が来ている。先輩だろう。きっと先輩も、純粋に私を応援してくれていて、質問に答えて勉強を教えてくれるのもその一環なのだろう。申し訳無いと思うのは、逆にここまでしてくれている人に対して失礼だ。
「そうだね」
私は素直に話した。
「わかる気もするし、でもわからない自分もいるの。気にしちゃうもんは気にするよって。でも、申し訳無いって、言いたく無いなって、なんとなくだけど思えたよ」
天音は頷いた。多分、天音は私のネガティブさや気にしいな性格を知っているから、すぐにわかってくれる私だと思っていないのだろう。
「十分だよ」
天音は約束ね、と言って笑った。
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