《中編》結婚
異国からやって来た新国王は人は良いけど、ぼんやりしていてマイペース。ごわついた髪で顔を隠した恥ずかしがりや。
誰もがそんな印象を持ったのに、到着した晩に催された歓迎会では快活で美しい青年に変貌していたので、みな仰天した。
私だって改めて支度をしたジェレミアを見たときは、そのあまりの美しさに僅かだが気後れしたほどだ。何しろごわごわの髪がさらさらの金髪に変わっていたのだ。
あの不恰好な髪は、顔を隠すためにわざわざ色々なものを混ぜて固めていたらしい。髪色を隠すための炭の粉末まで入れていたそうだ。
「僕は兄にそっくりらしい」とジェレミアは悲しげな顔をした。「もし彼とベレタが懸命に僕の素顔を隠し、間抜けに仕立て上げてくれていなかったら、きっと僕も義兄たちから酷い仕打ちを受けただろう」
そう話す彼の傍らに、トリスターノの姿はなかった。ジェレミアに尋ねると、彼はますます悲しげになった。
「兄は自分のような姿の者は公の場に出るべきではないと言うのだ」
身体のことだけでなく衣服も含めてだそうだ。トリスターノは着替えや動きが楽であるから、あのような服を着ているという。
それならばと人を介してトリスターノに、『私だって全身が模様まみれで顔を隠している。あなたの見た目など全く気にしない』とは伝えたけれど彼が会に出てくることはなかった。
ジェレミアの母も長い幽閉生活の影響で、大勢が集まるところは怖がるそうだ。だから彼はたったひとりで歓迎会に出たのだけれど、あっという間に我が王宮に馴染んでしまった。
驚く私にジェレミアは、市井で学んだコミュニケーション力があるからねとウインクをした。
――彼はきっと、顔を隠して生きてきたから自分の笑顔が年頃の娘に与える衝撃を知らないのだ。
◇◇
ジェレミアは、女王を亡くした私たちの気鬱を吹き飛ばした。
到着した翌日から精力的に国と政治、呪い対策について学び、かと思えば城中を歩き回って少しでも早く新しい住処に慣れようとした。
そんな活力に溢れた彼の姿に新しい希望を見出だすのは当然のこと。
彼が婿に来たのはきっと亡き女王が天から導いてくれたからだ、なんて説まで出るようになった。
「それなら僕は君の母君に最大限の感謝をしなければね」とジェレミア。「素晴らしい王だったそうだから是非お会いしたかったけれど」
その隣で大きくうなずくトリスターノ。
「兄を苛める下衆もここにはいない。僕たちにとっては楽園のような世界だ」
滅亡予定まで一年だというのに晴れ晴れとした顔で言い切るジェレミアに嘘はなさそうだ。
彼は平気で私の手も取る。
「普通、私に会ったばかりの人は私に触れたがらないのよ」
私がそう言うと、彼は
「普通って何だい?」
なんて質問を返して笑っていた。
「あなたみたいな人は初めてだわ」
「何しろ『普通』の王子ではなかったからね」
真顔で言って、また笑うジェレミア。
彼は自由が嬉しくてまだ浮かれているんだなんて言っているけど、きっと私の婿に来て浮かれる人なんて世界でジェレミア、ただひとりだけだろう。
◇◇
「国内から婿をとろうとは考えなかったのかい?」とジェレミアが尋ねた。
滅亡予定の我が国だけど、母のカリスマ性のおかげで優秀な人物が幾人も残っている。ただ、皆が顔見知りだ。そんな彼らに、呪われた姫の夫になるなんて重責を負わせたくなかった。それに――。
「自分勝手なの。見知らぬ人のほうが割りきって私と国を押し付けられるでしょう?」
「そうか、自分勝手か」
そう言ってジェレミアは何故か私の頭を撫でた。幼児にするみたいに。
「自分が死んだ後の国のために、会ったこともない異国の余り者王子を婿にもらう。大変な自分勝手だ」
「……褒めどころではないのよ。本当に私のワガママなの」
そうかいそうかいとジェレミアは笑顔で言うものだから、呪われている私は結婚のことを考え気が重くなる。
「実は僕も自分勝手だ」と笑顔を引っ込め、彼は言った。「父は横暴な王でね。批判する者気にくわない者は容赦なく粛清する。僕が庶民のふりをして親しくしていた中にも立場が危うい人が何人かいた。こちらで僕が王になったら取り立てるから、是非来てくれと勝手に約束してしまっているのだ」
「滅亡すると言われている国には来ないと思うわ」
「父の支配が続く限り、あちらでも生きられないから同じだよ。来てくれたら重鎮候補として採用していいかな」
「あなたのお墨付きなら大歓迎よ」
それからジェレミアは声をかけた人たちについて、実に楽しそうに話して聞かせてくれた。それからどうやって城を抜け出していたかや城下町で巻き込まれたトラブルとか。
彼のする話はとても面白い。
◇◇
トリスターノに彼が着ているものと同型の、だけど色合いと刺繍が美しい衣服を贈った。すると彼はこちらが思っていた以上に喜んでくれた。一緒に選んだジェレミアも嬉しそうで、
「僕の妻になる人が兄を厭わないでくれる人で良かった」と言った。「大抵の女性は彼を気味悪がるのだ」
「あら。顔を隠すことにかけては私のほうが先輩だと思うわ。トリスターノ様は何年かしら。私は十二年よ」
ぷっと吹き出す兄弟。
「引き分けだ。彼も十二年だ」
「あら、残念。ちなみに何月からかしら?」
「エウフェミアは負けず嫌いなんだ」
ケラケラと笑うジェレミア。
ふと、負けず嫌いの女は可愛げがないだろうかと考えた。子供の頃に読んだお伽噺のお姫様はみんな、控えめだった。
それから私は彼に可愛いと思われたいのだと気がついた。
顔も見せられないのに。
◇◇
余計なことかと躊躇いつつも、ジェレミアの母君ルイーザ様のことを口出しさせてもらった。
「現実を見たくない、幸せな世界にいたいという気持ちは分かるのよ」
ジェレミアとトリスターノは私の話に困惑しているようだった。
「だけど彼女の息子たちは素晴らしいの。姿は変わってしまったけれど優しくて弟思いのトリスターノ様に、行動力があって兄を大切にするジェレミア。それを知らないままというのは、大きな損失だと思う」
「……今の母はそれなりに幸せだよ。自由に好きなところに行けて、弟や馴染みの侍女も従僕もそばにいる」
「そうね。戯れ言だと思って聞き流してくれていいわ。ただ、私はそう思うというだけ。だって素敵な兄弟ですもの」
ふたりは顔を見合せると、視線だけで何やらやり取りをしているようだった。
◇◇
「君の呪いについて、鍵になると思われる書物のことだけど」
ジェレミアの問いにうなずく。
魔女組合の考えでは、私に呪いをかけた女性は恐らく魔女ではない。というのも彼女たちは定期的に集会を開くそうなのだがその女性を見たことがないからだそうだ。
一方で事件が起きた頃から、齢千年と噂されていた大魔女の姿が見えなくなったという。本人がそろそろ寿命だと話していたので恐らくは亡くなったのだろう。
この大魔女は他の魔女が知らない古い魔法を知っていたし、新しいものを作り上げることも得意だったという。
そしてそんな彼女の蔵書が、大魔女宅からごっそり失くなっているのだそうだ。
組合の推理では件の女性が、書物を譲り受けたか盗んだか。
とにかくそれがみつかれば、呪いを解けるのではないかと考えられている。
もちろん独自に解呪の研究もしている。
「あと一年で書物を見つけられる可能性は低いと思う。もう十年以上、探しているのだろう?」
そうなのだ。女性に関係する場所も流通しそうな経路も稀覯書コレクターも闇市場も調べつくしてしまった。
「それよりも魔女たちに呪いの発動を先送りにする魔法を考えてもらうのはどうだろう」とジェレミア。
「もう試したわ。ダメだった」
原因はどうやら魔法の強さではない。女性の怨念の強さが呪いを強固にしているようで、本物の魔女たちは手を焼いているのだ。
「それなら呪いを他人に移すのはどうだろう」
「移す?」
「そう。ちょっと可哀想だけど、赤ん坊に。そうしたら十八年の猶予ができる」
ジェレミアがそう言うと、控えていた侍女たちから歓声が上がった。
私は手袋に隠れた手を見る。他の人に呪いを移したら、この模様もその人が受け継ぐのだろう。
「よし。明日僕が国王に即位して最初にする仕事は、この研究を命じることだ」
ジェレミアはそう言って、私の手を握った。
◇◇
ジェレミアが王宮にやって来て五日目。彼と私は大聖堂で挙式した。その直後には彼の戴冠式も執り行った。聖堂の中は長年私と母を支えてきた人でいっぱいで、その中にはトリスターノと彼らの母ルイーザ、その侍女ベレタの姿もあった。
ルイーザは当初、何故幼い弟が結婚するのかと心配をしていたけれど、私がどうしても我が国には彼が必要でけっして不幸にはしないからと説得をしたら納得してくれたのだった。式の間は弟の晴れ姿に嬉しそうな顔をしていた。
全てを終えて聖堂の外に出ると群衆が待ち構えていて花を投げて祝ってくれた。
溢れる歓喜は明るい未来を信じてのもの。ジェレミアはその場で新国王としての所信表明を堂々として、歓声はますます高まったのだった。
◇◇
出会ってまだ一週間も経っていないのに、私とジェレミアは夫婦になった。
祝いの宴は盛り上がり誰もが新国王を歓迎する。
それに反比例するかのように私の気持ちは沈んでいき、唯一それを分かっている侍女のグウェンが時々手を握ってくれたり肩を抱いたりしてくれた。
何度か彼女は、
「やはり私がジェレミア様にお話しましょうか」
と尋ねてくれて、その度に私は首を横に振った。
そうしていよいよその時がやって来た。
初夜だ。
新国王用に調度品を一新した美しい部屋。入ったときから私の心臓はうるさく鳴っていたけれど、グウェンたちが下がりジェレミアと二人きりになると今にも爆発しそうな勢いだった。
お互いに夜着姿で所在なく部屋の真ん中に向かいあって立っている。なんて切り出そうか、沢山シミュレーションをしたのに思い出せない。結局最初に口をついたのは、
「安心してね」という言葉だった。
「『安心』?」と不思議そうに繰り返すジェレミア。
その美しい顔を見ていられなくて視線を反らした。どうせ私はヴェールをしているから、どこを見ているのかなんて分からない。
「あなたには王になってもらえれば、十分なの」
ジェレミアが
「どういうことかな」と一歩前に出る。
つられて二歩下がる私。
「その。呪われている私に触れるのは嫌でしょう?」
「いいや。手を握っているじゃないか」
また進むジェレミア。下がる私。
「手袋の上からね」
「君は何が言いたいのかな。まさか僕は初夜を拒まれるのかな」
「だって嫌でしょう。私の体には呪いの文様があるの」
まだ幼児だったときですら、私を見る人の目に畏怖があるのを感じとっていた。
親しい人ですらも、だ。だから物心がついて以来、素肌は母とグウェンにしかみせていない。
周りの中から結婚相手をみつけなかったのも、そのためだ。親しい友人が私に触れることを躊躇う姿を見たくなかった。呪われて二十年近く。ある意味呪われのエキスパートだけど私だって花も恥じらう乙女だし、傷つく。
そのためもあってわざわざ見知らぬ王子を選んだのに、私は彼を好きになってしまった。
「ひとつ、確認をしていいかな」
「何かしら」
「君の呪いの文様に触れると死ぬかい?」
「いいえ」
「だよね。グウェンは元気に生きている。では僕が触れても」ジェレミアは素晴らしい笑みを浮かべた。「何の問題もない」
「あるわ。とても忌まわしいものなのよ」
どんなに平気だとジェレミアが思っても、いざ目にしたら怯むかもしれない。そんな姿は見たくない。嫌われるのも、怖がられるのも嫌だ。
「僕がここに到着したとき」とジェレミアが距離を詰めてくる。「転んだ。まだ国の連中がいたから、いつもの間抜けな王子を演じたんだ。勿論、誰も手は貸さない。そこに君が来て手を差し出してくれた。『いらない第八王子』の僕に他人が優しくしてくれるのは初めてだった」
「あれは」
彼の国の人間は誰も動かず、うちの国の人間は対応に迷っていた。ならば私しかいないとそう思っただけだ。
「君にとって普通のことでも、僕は嬉しかった」
「……私はあなたが呪われた私の手を掴むとは思わなかった。ただの礼儀のつもりだったのよ」
「それから兄や母を厭わなかった」
ジェレミアがあんまり進んで来るので後ろに下がり続けていたら、ついに背中が壁にくっついた。
「僕がどれ程兄に感謝して大切に思っているか、言葉では言い表せないほどなんだ。その兄に君は礼を尽くしてくれている。性格も可愛いし。そんな君に惹かれないことがあると思うかい?」
「惹かれてくれたの? 私に?」
そんなことがあるだろうか。呪われているのに。
だけど「そうだよ」と答えるジェレミアの笑顔が何故か怒っているように見える。
「今夜を楽しみにしていたんだ。それなのに君は勝手に僕の気持ちを決めつけて拒むのか。傷ついた」
とジェレミアは体が触れそうな位置にまで迫る。
「とはいえ君の気持ちは分からないでもない。トリスターノも火傷のことで沢山辛い思いをしてきたからね」
彼が私の手を取る。
「エウフェミア。失礼するよ」
するりと手袋を取られる。黒い模様まみれの手が現れた。
「綺麗だ」
ジェレミアはそう言って、躊躇なく唇を押し当てた。
「っ!」
「これで僕はこれっぽっちも嫌だと思っていないと分かってくれたかな」
「あの。ええと」
思いもよらない展開に、頭がうまく回らない。呪いが解かれない限り私の方から申し出て、白い結婚の状態でいるつもりだったのだ。なのに……
「エウフェミア」
ジェレミアがヴェール越しに私の顎を掴んで自分の方を向かせた。
「君は僕をどう思っているか、聞かせてくれないかな」
にこにことしているのに、やはり目が怖い。
「この五日間、良い雰囲気だと思っていたのは僕だけ? 勘違いだった? 答えてくれないなら」
と彼は私の目を見たまま、手の甲に平にと口づけをする。
「ずっと続ける。さあ、言って。エウフェミア」
心臓が破裂しそう。
だけど。
「あなたが好きよ」
彼の目を見て、はっきりと言う。
ジェレミアはにっこりとして私のヴェールをめくった。
黒い呪い文様だらけの私の顔。口から心臓が飛び出る。緊張で吐きそうだ。
「ようやく君の顔を見られた」
笑顔を変えることなく彼はそう言って、キスをした。
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