呪われた王女と見捨てられた王子のお話
新 星緒
《前編》出会い
顔を覆うベールに大粒の
手で払い重苦しい灰色の雲に覆われた空を見上げる。
「降ってきたのかしら」
私の呟きに、隣に立つ大臣のひとりが
「あと少しもってくれ」
と祈るように答えた。
王宮の正面玄関前に一斉に並ぶ私たち。最後の王族である私や大叔母たち、ほぼ全ての大臣に宮廷に仕える者たちまで、総出で遠い異国から来る王子を待っている。目に見える形で『これほどまでにあなた様を歓迎している』と表しているのだ。
何しろ私は呪われた王女で、この国は私と共に滅びる予定だ。その期限はきっちり一年後。王子はそんな私の婿になり、そして新しい王に即位するために来てくれる。歓待は当然のこと。彼に至るまで何十という男性に婚姻を断られた。
たとえやって来る王子が残念としか評しようのない人でも構わない。
三月前のこと。滅びを宣告された国を滅亡から守るため、力強い決断と実行力で国を率いてくれた女王が病に倒れ亡くなった。彼女がいたから我が国はパニックにも陥らず人口流出もわずかで済み、国力なんて衰えるどころか増強したほどだったのに。
カリスマを亡くした民は不安におののいている。だから少しでも未来を感じさせる明るい話題が必要なのだ。それが残念な王子だとしても、国民に知られないよう立派な青年に演出すればいい。
「来た」
誰かが声を上げた。
耳を澄ますと、遠くから蹄と車輪の音が聞こえてきた。
「良かった」と先ほどの大臣。
対して私は急に不安になって、彼を見た。
「王子には、私の文様のことは伝わっているわよね」
はいとの返事。
「顔を見せられないことも」
「先方には婚姻の打診をしたときに伝えてありますし、ジェレミア殿下ご一行を迎えに行った宰相が改めて口頭で説明しています」
「そう。何年探しても見つからなかった婿がこのタイミングで来てくれるなんて夢のようだから、伝えていないのかもしれないと不安になってしまったわ」
「問題ありません」
大臣の力強い声にほっとする。
私は呪われているだけでなく、その呪いが黒い文様として全身に刺青のように浮き出ている。あまりに不吉で恐ろしいそれは他人を不安にさせるので、私はけっして肌を晒さない。高襟の服に手袋、顔にはヴェール。物心がついてから、ずっとこの出で立ちだ。
我が国の人には見慣れた格好だけど、異国の人々は顔を隠して迎えなぞ失礼だと立腹するかもしれない。
「万が一、それでもあなたに失礼な態度を取るような王子ならば」と大臣は言葉を継いだ。「我々は一丸となって傀儡政治に励みますから、ご心配なく。それが亡き女王陛下への最後の奉公です」
思わず吹き出す。
「頼もしい。さすが、お母様が選んだ精鋭だけあるわ」
こちらを向いた大臣がニヤリとする。
この国に古くからいた貴族の多くは、滅亡する国にはいられないと他国へ逃げた。残ったのは呪いに打ち勝ってやるという豪気な者たち。
滅亡期限まであと一年。
私の命もあと一年。
やがて王子一行がやって来て、私たちの前に止まった。
出迎えに出た宰相の早馬がもたらした情報通り、馬車も護衛も非常に少ない。相手国はそれなりに国力があるはずだから、この規模であるのは推して知るべしだ。
目前の馬車の扉が開き、青年――らしき男がひとり、降りてきた。私と同い年の17歳のはずだけど、どことなく足元がおぼつかなくて体がふらふら揺れている。
顔はおかしな色をした長い前髪で上半分が隠れてて見えない。その髪は洗っているのかごわごわとしていて、首の後ろでひとつ結びにしているのだけど形が整っていない。
これが私の夫となる人。
胸を張り、王女としての挨拶の構えをしたその時。
青年は何もない地面にけつまづいて転んだ。あちらの人間は誰も王子に駆け寄らない。
ほんの短い間だけ悩み、私は進み出てかがむと
「大丈夫ですか」
と手を差し出した。
「ああ、うん。いつものことだから」
間延びした声。
良く言えば、邪気がない。優しそうな声だ。
「ありがとう」王子は呪われた私の手を躊躇なく取り、ゆっくり立ち上がった。「僕はリューゲ国の第八王子、ジェレミアだ。君が呪われた王女様かい?」
想定していた挨拶を全てすっ飛ばしての、自己紹介。しかもストレートに『呪われた王女』だなんて言われるのは初めてだ。
残念な王子でも、案外楽しく過ごせるかもしれない。
「ええ、そうよ。私が呪われた王女エウフェミア。ようこそ、我が国へ」
◇◇
ジェレミアの母国リューゲと我が国の間には、大きな国をみっつも挟む。それほどまでに遠い。なぜそんな遠方の王子が婿に来たのかといえば単純に、近隣諸国の王族には私との結婚を承諾してくれる者がいなかったからだ。
それほどの遠い国から日数をかけてやって来たリューゲの使節は、王子の荷物を城に運び込むと挨拶もそこそこにさっさと帰って行った。よほど呪われた姫と滅亡する国が嫌なのだろう。それからジェレミアも。
彼と共に城に残ったのは三人。気の狂った母親とその侍女。実兄で第四王子でありながら、ジェレミアの侍従をしているトリスターノだ。
トリスターノは質素倹約を旨とする修道士が着るような簡素な服を着て、頭には目の部分がくり貫かれた頭巾をかぶっている。左腕はおかしな方向に曲がりその手は皮膚がただれて親指以外の四本がくっついている。更に右足を引きずってもいる。
リューゲの王はきっとジェレミアたちを厄介払いしたかったのだろう。
使節が去ったのは、広間でジェレミアにひととおりの必要事項の説明を終えた頃合いだった。
夜には歓迎会がある。それまで少し休んでもらおうと小さなサロンに移ったのだが、彼は座ることもせずに窓を開けて雨の中を遠ざかる一行を見ていた。
空気の読めなさそうな残念王子でもやはり心細いのか。
彼の背中を見ながら私はそうしんみりしていたのだけど、振り返ったジェレミアは突然、
「トリスターノはあまりに美しかったから王妃と義兄たちに妬まれて、たった12歳のときに火炙りにされたのだ。面白半分、見せ物として。その前に暴行も加えられていて、腕と足はあの通り。喉も潰され声も出ない」
と言った。はきはきとして明瞭な声音。ジェレミアの間延びした口調ではない。
混乱した私は、誰か他の人が喋ったのかと部屋を見回した。いるのは私たちの他にはトリスターノと私の侍女グウェン、侍従長と、他何人かのよく見知った使用人たちだ。
「喋ったのは僕だよ、目の前にいるジェレミアだ」
彼はそう言って前髪に手をやるとさっとまとめてピンで留めた。現れたのは意思の強そうな青い目。とんでもない美形だ。
「僕たち兄弟の母は妾の中でも、身分がだいぶ下でね」と美形。「暴行を受けたからといって文句も言えない。無残な姿の息子を目にした彼女にできたのは、気を狂わせて夢の世界に逃げることだけ。城ではこの十年、幽閉生活だった。
母に代わって瀕死の兄を助けてくれたのが侍女ベレタだ。その時にベレタは僕が兄の二の舞にならないよう、マヌケを装うことにさせたんだ」
美形――ジェレミアは嬉しそうににっこりとした。
「人前で演技をしなくていいのは十二年ぶりだ。僕を婿にしてくれてありがとう」
ふんふんという荒い息遣いが聞こえて振り返ると、トリスターノが首を大きく縦に降っている。
「兄も礼を言ってる」
まさか婿になる人から礼を言われるなんて思わなかった。どうやら些かぼんやりした青年のようだとは聞いていたけど、『来てやったのだ、ありがたく思え』的な態度しか想定していなかった。
「……婿入りを喜んでくれるの?私は呪われているし、国は滅亡予定なのよ?」
「生まれた三日後に呪われて、以来十七年間解呪の方法を探している。国の滅亡を防ぐためにあらゆる努力も重ねて、結果として農業産業とも生産力は右方上がり。天変地異に備えてインフラは完璧、食糧の備蓄も十分。あらゆる流行り病に対処できるよう、医師薬師を国費で育て各地に配置。僕はそう説明されたけど、違うのかな?」
「その通りよ」
「ならば、何か問題があるかい?」
「……普通の王子ならば、それでも滅亡不可避と判断するのよ」
「残念。僕は普通ではないから、解決目指して一緒に頑張ればいいと思っている」
ジェレミアは軽やかに言ってのけると、目を反らして頬を掻いた。それから私のそばまでしっかりとした足取りでやって来た。はにかみの表情だ。
「すまない、僕はちょっとばかり自由になったことに浮かれているのかもしれない。決して事態を軽視しているのではないよ」
ええ、とうなずく。
「周囲にアホウ者と思われ、母が狂人の僕が王子のまま生きて来られたのは何故か。他国と緊張関係に陥った際の人質として差し出すためだ」
そうジェレミアが言うと、トリスターノがまた大きくうなずいた。
我が国の周辺は平和だけれど、リューゲ周辺は時おり国家間の衝突があると聞いている。ジェレミアはそのような事態に備えての捨て駒だったというわけだ。
ちなみにこの婚姻において、我が国がリューゲ国王に膨大な結納金を支払っている。あちらはさぞかし高笑いしていることだろう。
「母は実家にも見捨てられていてね」とジェレミアが続ける。「僕が大人になったら皆を連れて逃げ出すつもりで算段は立てていたのだけど、そろそろ実行をと思っていたところにこの縁談が来た。おかげで僕たちは大手を振って、奴らから離れることができた。
君にもフトゥーロ王国にも感謝しかない。何より僕は僕たちの居場所を失くしたくないからね。必死に滅亡回避に勤しむつもりだ。
――信じてくれたかな?」
「ええ。頼もしい人が来てくれて、私も感謝しかないわ」
「良かった」
にこりとしたジェレミアはとても美しく、胸の奥がツキンと痛んだ。
◇◇
私たちは長椅子に向かいあって座った。ジェレミアの隣にはトリスターノ。彼は従者だからと座ることを固辞したけれど、見たところ引きずっていない足だけに重心をかけているようで、こちらが心配になるのでお願いして座ってもらった。そもそも従者である前に、ジェレミアの兄なのだ。
捨て駒王子として存在を許されたジェレミアだったけれど、ある意味それが幸いした。他国に人質に出したときに王子であることに疑いを持たれては意味がない。だから教育はきちんと受けることができたのだそうだ。
兄のトリスターノはその見た目から当初、母と一緒に幽閉されそうになったのだが、弟の従者になることでそれを免れた。そうして母子と侍女の四人は華やかな王宮の片隅でひっそりと生きてきたそうだ――表向きは。
早いうちから四人揃っての城脱出と自立を考えていたジェレミアはのけ者扱いされていることを逆手にとって、城を抜け出し市井で庶民を装いあらゆる経験をしてきたそうだ。
著名な学者や引退した騎士、鍛冶師や商人、果ては裏社会のボスから知識や技量を授かった。王宮からちょろまかした(本人談)宝石を売って元手にして闇賭博で増やし、秘密の貯蓄もした。
なかなかにパワフルで、思わず『本当に同い年なのか』と確認してしまったほどだ。
些かぼんやりどころか、ずいぶんと逞しい。
「母は気がふれてしまったけれど、トリスターノのことにショックを受けたせいで、ただ過去に生きているだけなんだ。自分は十歳の少女で僕を弟、ベレタを乳母、兄を従僕と思っているだけでね」とジェレミア。
「彼女の望みはただひとつ、庭園を散歩したいということだけ。それに兄はあの外見のせいで死んだことにされてしまった。義兄弟は兄を見つけると必ず嘲り暴力をふるった。
だから僕はどうしても皆を連れて城を出なければならなかったのだ」
「もし良ければだけど、トリスターノ様は従者を辞めてあなたの兄君として暮らすのはどうかしら。リューゲは遠すぎて、どの王子が落命しているかなんて私たちには分からないわ」
そう提案をするとジェレミアは驚いた顔で瞬いたあとに、にこりとした。
「どうだろう、兄さん」
トリスターノは身振り手振りで、恐らくは『考える』と示した。
「『悩む』そうだ」と弟が通訳をする。「あとでゆっくり兄の意見を聞いてみる。ありがとう、エウフェミア」
笑顔のジェレミアはキラキラと輝いて見える。第一印象とは大違いだ。
ときめきながらも痛む器用な胸。それを抑えて、こちらの事情を話すことにした。
私の呪いの元凶は父だ。ろくでもない女たらしのクズ男。
私の祖父で二代前の国王ロベルタ三世は子供に恵まれず、無事に十歳を越したのは長女ベルティーナだけだった。当時の我が国の制度では家長を継げるのは男性のみ。そこでベルティーナは婿を取ることになった。
この婿取り。私とは違い、申し込みが殺到し大変な人気だったらしい。陰で日向で激しい争いがあり、時には血が流れることもあったとか。
その激戦を勝ち抜いたのが隣国の王子カッサーノだった。彼は大変に優秀で博学、王の器もあり尚且つ見目麗しい青年だったけれど大きな欠点があった。とんでもない女好きだったのだ。
それにさえ目をつぶれば、あとは百点満点。ゆえに祖父は、ベルティーナの子、もしくはその伴侶しか国王にはさせない旨と、異性とのトラブルを王家に持ち込まない旨の宣誓書を書かせた上で婿入りさせた。
それから一年後、ロベルタ三世国王夫妻は肺炎を拗らせ相次いで逝去。異国から来たばかりのカッサーノが即位した。その半年後。ベルティーナは珠のように美しい女児を産んだ。私だ。
城中が喜びに沸き、あちこちから祝う人々が訪れた。
そんな歓喜溢れる祝いの場で。客人であるひとりの女性が衆目の中、堂々と私に呪いをかけた。
先走った近衛兵がすぐさま彼女を刺し殺したのだが呪いは完成したあとで、今際のきわの女性は懐から一通の手紙を取り出し「これを王妃へ」と言って死に絶えた。
その手記によると、彼女は来国したばかりのカッサーノに口説かれもて遊ばれ捨てられた。赤子に呪いをかけたのはその恨みから、ということだった。
そしてこの呪いを解く方法は、ふたつ。ひとつは彼女が解くこと。だがこれはもう不可能となった。残りのもうひとつ。それはカッサーノが、全てを懺悔し自らその諸悪の根元を切り落とすことだった。
そうして私に掛けられた呪いは、18の誕生日を迎えたら命を落とす、更には私の命と国の命が繋がるというものだったのだ。
当然、母も大臣たちもみな怒り心頭で父に懺悔と処理を迫った。その最中、先走って女性を殺した近衛兵が、それはカッサーノの指示だったと告白もした。
追い詰められたカッサーノ。彼の下した決断は――。
懺悔ならいくらでもするけど、切り落としはしない。
そんな仰天の決断だった。
父は色魔ではあったけれど、頭脳は優秀だった。私の呪いを解くために必要なものは自分であるゆえ、周囲がどれほど怒り狂っても自分を殺すことは出来ないと判断したのだ。
彼は、向こう十八年弱は今まで通りに享楽的に過ごし、期限ギリギリで処理すれば問題なかろうと主張した。
だが誰も父を信じなかった。きっと十八年後、この下半身に脳味噌がある阿呆は国を捨て他所へ行き、女漁りをするだろう、と。
父を見て国の滅亡を確信した者は、財産を持って他国へ逃れた。
一方で静かに怒った母は残った者たちと連携して憲法を改正して女性も王位につけるようにした。父をその座から引きずり落として幽閉するつもりだったのだ。
ところがその直前にカッサーノは死んだ。別の女性に刺し殺されたのだった。
彼女は地方に住む娘で、半年前に視察に来た国王に無理強いをされてその恨みとのことだった。私の呪いについては全く耳にしていなかったそうで、それを知ったときは号泣して母に謝ったという。とはいえ全て後の祭り。私の呪いを解く方法は失くなってしまった。
「そこで母は御触れを出して魔法を使える人、呪いの知識がある人を募集したの」
世の中には魔法が使える魔女がいると言われているが、実際に存在するのかは私が呪われるまで不明だった。彼女たちはきっと人に知られないよう、ひっそりと暮らしていたのだろう。
だから御触れを出したところで名乗り出る者は皆無だったのだが、母は諦めなかった。根気強く募集に好条件をつけ続け、やがては十一人もの魔女が集まった。今では組合を組織して、私の呪いを解く研究をする傍ら、薬師としても大活躍している。
「言い換えると、それでも私の呪いは解けなかった。残り一年。諦める気はないけれど、間に合わないかもしれない。たとえ間に合わなくても、国だけは救う」
呪われた誕生日に何が起こるのか。
私が母の後を継いで即位しても、もし死んでしまったら王としての務めが果たせない。だから夫になる人に国王になってもらうのだ。
そう説明するとジェレミアは、
「君に会ってまだ数時間だけど、死んでほしくないと心底思うよ」
と優しい声で言ってくれたのだった。
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