第4話

 最悪の別れ方をしたあの日から1週間が経ち、再び水曜日がやってきた。

 いつもなら昼休みのドッジボールが楽しみで仕方ないのに、今日は違う。


 あれから中石とは話していない。目すら合わせなかった。

 中石もこちらを気にしている様子はなかったし、お互いにとってこれがベストな形なんだと思う。


 しかしドッジボールの際、中石は相手チームなので、必然と向き合わなければならない。


 まあ、いつも通りやればいいんだ。

 そう自分に言い聞かせる。



 いつもは長くて苦痛な授業時間が、今日はあっという間に過ぎていき、とうとう昼休みになった。



「リョウガ、今日も頑張ろうな!」

「おう……」


 僅かな不安はあったが、いざ試合が始まってプレーに熱中していると次第に忘れていった。


 投げる。取る。投げる。避ける。投げる……


 コート内の人数は徐々に減っていき、気がつけば自分のチームのコートには俺一人。

 そして相手チームのコートには、速水と……中石が残っていた。


 中石は速水の後方に立っている。


 ふたりは少しずれた場所にいるので、俺はダブルアウトを狙った。

 速水を狙ったかのようにして、中石にもボールを当てることができれば、違和感なく、平穏に、かつかっこよく勝利できるからだ。



 俺はボールが取りづらそうな、速水の腰の下を狙い、中石にも届くようにボールを投げた。

 しかしさすがのスポーツマン速水は、ボールをぎりぎりのところでキャッチした。


 と思った瞬間


「あっ……!」


 速水と外野の人たちの声が重なる。


 手を滑らせたのか、速水はボールを足元に落としてしまった。


「速水マジかーどんまい!」

「わりー!」


 速水はチームのメンバーに頭をぺこぺこ下げた。

 そして足元に落ちたボールを拾い上げると、最後の一人である中石に手渡す。


「ごめんね、中石さん。気負いせず、気楽に投げてくれればいいよ」

「……うん」


 ちっ、なんだよ。速水のやつ、すかしたようなこと言いやがって。

 そんなことを思ったのも束の間、状況は最悪だ。


 俺と中石のタイマン勝負。


 手に持っているボールを見つめていた中石は、意を決したように顔を上げた。

 中石と目が合う。こうして向き合うのは、あの日の帰り道以来。


 思わず顔を背けたくなったが、平然を装った。



 中石は静かに深呼吸すると、右手にボールを持った。

 そして左手と左足を前に出し、右腕を大きく振ってボールを押し出した。



 速くはないけれど、真っ直ぐなボールが、俺を目がけて飛んできた。

 これは確実に取れるボールだった。


 そのはずなのに。


 キャッチしたボールは、俺の手からするりと滑り落ちた。




 その日の放課後。

 俺は宿題を提出していなかった罰として、居残りをさせられた。今日は夕方から見たいアニメがある日だが、鉛筆は一向に動かない。


 頬杖をついて窓の外を眺めた。昼休みにはジリジリと照らしつけてきていた太陽が、今は静かに空をオレンジ色に染めている。


 そのままぼっーとしていると、教室の扉がガラリと開く音がした。

 まずい!先生が来たか!?

 そう思って扉の方に目を向けると、そこには中石が立っていた。


「……なにしてんの?」


 驚いたせいか、思わず心の声が出てしまった。

 中石は目線を逸らして答えた。


「委員会の仕事があったから……」

「あ、そう……」


 なんともぎこちない会話だった。

 その後はしばらく沈黙が流れた。その沈黙さえもが気まずくて、俺は必死に頭をひねって話題を考え、帰り支度をする中石に話しかけた。


「今日のドッジ……すごかったな」

「え?!あ、ありがとう……ボールを回転させる方法を勉強したからかな?」

「勉強 ?」

「うん。私、体力ないからさ、技術面を鍛えようかなって……そうすれば松木くんも思いっきり戦えるでしょ?」


 そう言うと、中石はそっと微笑んだ。


 中石は先週のことをずっと気にしていたんだろう。

 俺のためにわざわざそこまでする必要ないのに……。


「そっか……ありがとな」


 俺はなんて返せばいいかわからず、お礼だけ述べた。


「うん……じゃあ、またね」」


 ランドセルを背負った中石は、教室を後にしようとした。


「中石!」


 いきなり名前を呼ばれた中石は、振り返って目を丸くしている。


 呼び止めるつもりなんてなかった。でも、俺には言うべきことがあるはずだ。

 中石は自分にできることをやっているのに、俺だけ逃げるなんて。


 それはドッジに負けるよりも悔しい、もやもやしたものだった。


 正解なんてわからない。でも何か伝えたかった。


「その……ごめん、色々。あと、名前……昔の呼び方でも別にいいから」

「えっ?……うん」


 返事をしながらも、中石は戸惑っているようだった。


「お、お前が言いたくないんだったら、俺が呼ぶぞ……のんちゃん……とか」


 のんちゃん。

 その文字を口にしたのは、いつぶりだろう。


 慣れないものを食べたような違和感が口に広がり、お腹の中がくすぐったくなった。


 なんとも言えない恥ずかしさに襲われ、今にも顔から火が出そうだ。


「……ふっ、あはははっ!」


 突如として、教室に笑い声が響いた。


「今のリョウくんが『のんちゃん』って……なんか変な感じ」


 そう言いながら尚も中石は顔を赤らめ、お腹を抱えている。



 その姿が夕陽に照らされて、キラキラと輝いて見えた。

 まるで映画やドラマのワンシーンのようで、思わず見惚れてしまう。


 そして何よりも笑っている中石は、すごく、かわいかった。



 俺だけが知っている。

 中石花音かのんのいいところ。

 優しいところ。頑張り屋なところ。笑った顔がかわいいところ。


 他の男子に知られたら、中石を好きな人が増えそうだから、これは秘密にしておこう。



「じゃあまた明日ね、リョウくん」

「うん、また明日」



 ドッジボールがある水曜日だけが楽しみだったのに、これからは毎日が楽しみになりそうな気がする。










































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アドレセンスドッジボール あろはそら @blue_sky99

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ