第七十九話 雌豚(9)

 ズデンカにも、止めようがなかった。


 どうやって止めろというのだろう?


 ディナの液状化した身体を引っぺがすなど、とてもじゃないが出来ない。


 メルキオールもカスパールも黙っている。モラクスも――悪魔に智恵を借りるなど論外だが――智恵を貸してくれるはずもない。


 他の豚たちも怯えて奥のほうへ退去している。


 やがてディナの液体の波が引いていき、元の円錐形のかたちへ戻った。


 柵のなかに残された『何か』に、ズデンカは目をやった。


 しかし、すぐに背けた。


 直視出来なかった。


 豚の剛毛と人の肌がまだらに交じり合い表皮を蔽っている。


 瞳の色はレギナと同じ青だった。もう片方はドロタと同じ黒だ。


前脚は右が豚のもの、左が人のものだった。混乱しているのか、頭を押さえてその生き物はいなないた。


「いだい! いだい!」


「わはははははは! 可愛いですよ!」


カミーユは笑い声を上げた。


 何とも言えない感情にズデンカは囚われた。 ただ一つだけ思ったのは。


――ルナに見せちゃいけない。


 それだけだった。


「いだいよおおおおおおおお!」


 人豚は泣き叫んでいた。


 喉の奥から響く、くぐもった声。目は血走って涙を流している。


「いいじゃないですか。これでレギナさんはドロタさんとずっとずっと一緒ですよ! さあそれじゃあ行きましょう。荒野をさまようところまで再現しないとだめです!」


 カミーユはさきほどドロタに結び付けてあった縄を探してきて、人豚の首へと結びつけた。


 そして無理強いして引っ張っていく。


「頼みがある。……ルナには絶対見せるな」


「ルナ、ルナ。そうですよね。ズデンカさんはいつもルナさん一本槍ですからね。ジナさんはどこ行っちゃいました? またほっぽり出しちゃって」


「いいから、裏口から、行ってくれ!」


 ズデンカは叫んだ。


――まるで自分がそんな汚らわしいものを見せるなとでも言っているようじゃねえか。


「ルナさん、きっと悲しむだろうなあ。お話を聞いて上げられなかったせいだって、自分を責めるに違いないですよ。飄々としているようでいて、寂しがり屋ですもんね。いまもあなたがどこにいる気にしてるはずです」


「早く!」


 ズデンカは叫んだ。


 人豚は悲しげな眼でズデンカを見ると立ち上がり、カミーユに引っ張られるまま歩き出した。


 カミーユは裏口から出ていった。


「ズデンカ」


 近くにあった藁の間からジナイーダが顔を出した。


 カミーユはきっとジナイーダが隠れていることを見抜いていたのだ。


「ズデンカはルナ・ペルッツを一番大事に思ってるの?」


「……ああ、そうだ」


 ズデンカは言った。もう、隠しだてなどできはしない。


「お前も大事だ。だがルナが一番好きだ。それは否定出来ない。まえ、お前とルナ、どちらか一人しか助けられないなら、誰を助けると聞いたことがあるな。もちろん、ルナだ。今まであたしは良い子ぶっていた。ごめんな」


 改めて言葉にすると、何とも嫌な感じがした。ズデンカはジナイーダを吸血鬼ヴルダラクにした。最後までその責任を果たさないといけないというのに。


「そんなこと、わかってたよ」


 ジナイーダはそっぽを向いた。


「さあ、カミーユさんを追おう」


 先を歩き出した。


 ズデンカは並んで横を見た。


 意外にその顔は明るかった。

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