第七十九話 雌豚(10)
――そうか。こいつは強いんだ。
考えてみればあたり前だ。ジナイーダはさまざまなところに流離い、時には盗みをしたりして暮らしてきたのだ。
――あたしが守らねばという考え自体が、
暴力が生じる争いならともかく、ジナイーダはズデンカがいなくても独りで生きていける。
――むしろあたしが弱いんだ。
ズデンカも前を向いた。人豚を連れて歩くカミーユの後ろ姿を睨む。
――カミーユを殺すことも考えなくちゃいけない。
ルナが悲しもうが誰が悲しもうが、行く先で害を撒き散らすような存在は捨て置けない。
――それじゃあ、カスパー・ハウザーと同じじゃねえかよ。
ハウザーを倒したかと思ったら、ジムプリチウスが出てきた。そして、今までずっと一緒に旅をしてきたカミーユまでもが、恐ろしい側面を見せ始めた。
たぶん、世のなかから人を殺そうとする者はなくならないのだろう。
殺そうとする誰かを滅ぼせば、またその意志を継ぐ者が現れ、滅ぼそうという考えそれ自体がまた殺しを生む。
つまり、殺す者は永遠にいなくならない。今日もまたどこかで誰かが殺されている。
だが。
ズデンカはもしカミーユの刃がルナに向くようであれば躊躇わずに殺す決心をした。
――あたしはあたしの守りたいものだけを守る、それでいいじゃないか。
旅の目的がはっきりした。
カミーユのことだって守りたかった。元に戻って欲しいが、方法がわからない。だがルナを殺すようであればもう容赦はしない。
「可愛いね! もきゅもきゅ言ってる!」
慈しむような視線を人豚に向けながら、カミーユは微笑んだ。
人豚は眼球から黒い液体を溢れさせて、道上に尾を引いていた。血なのか何なのかもよくわからない。
長くはないように思われた。獣と人間が合成された人間――バルトロメウスのような――とは違い、これはかなり雑に両者を接合した失敗作だ。
――失敗作。
と呼ばなければならないのが、ズデンカには辛かった。つい、さっきまで目の前にいたレギナが、そしてドロタがあのような姿に変えられてしまった。
「荒野ってこの近くにあるのかな? よく知らないからね」
そう人豚に話し掛けるカミーユがとても白々しく思える。
もう少しばかり歩くと、草が荒れ、砂地が覗く谷底が見えた。
「ここにしよう」
カミーユは縄を解き、人豚を斜面から蹴っ飛ばした。
「さあ、ズデンカさん。戻りましょう?」
「お前は何がしたいんだ」
「何って、お話通りにしたんですよ。合成された二人は荒野を憐れにさまよう。感動的じゃないですか!」
カミーユは言った。
ズデンカはもう何も言わないことにした。他者の痛みを生まれつき感じられない人間はいる。カミーユはそうなのだ。素のカミーユはと言い換えるべきかもしれないが。
例えそれが作られたものであっても今まで旅した優しく人を慈しむカミーユは美しかった。
「さて、ズデンカさん行きましょうか」
カミーユは振り返って歩き出した。
「もう行くのか」
ズデンカは拍子抜けした。人豚が苦しんで死ぬのを愉しんで見るのかと考えていたからだ。
「あの子がどうなるかはわかりません。のたうちまわって死ぬか。村の人に撲殺されるか。どちらにしても私は興味がないです。ただお話を聞くことが出来たんですから」
やはりカミーユの言っていることは意味がよくわからない。
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