第六十七話 吸血鬼(10)

「ハウザーさんたちのお陰でたっぷり血を吸い尽くすことが出来ました。いまだに残っている人間は飼っておいて仲間で山分けする予定です。ほら、人っ子一人いないでしょう」


 ダーヴェルはあたりを見回した。


 確かに、その通りだ。人っ子、ひとりいやしない。


 ズデンカは苦い気分になった。


 特に――


 エルヴィラ、アグニシュカ……。


 旅先で知り合った、この広い街で生きていこうとした二人。


 どこに住んでいるかすらわからない。


――北部の方に逃げていなけりゃいいんだが……。


 だが、ハウザーと『ラ・グズラ』の思惑は多くの人間の囲いこみにあったのだ。ハウザーの一味が南部で暴れて、北部に人々が逃げるように仕向けたのだ。


 ズデンカがエルヴィラだったとしても、おそらくは北に逃げただろう。


 しかし、それが思うつぼだったとは。


――何とか知らせてやればよかったんだ。何で怠った。


 どうしようもなかった。テレパシーのように一瞬にして伝える能力――先ほどメルキオールとルナの間で会話を交わしたときのような能力があれば、可能だったのだ。


――なんで都合の良いときに都合の良い能力が使えないんだ。


 ズデンカは悩んだ。


 二人とは道中喧嘩かもしたが、確固たる仲間だという意識を抱いて別れた。


 そんな二人はルナとズデンカ一行に誘われるようにしてやってきたハウザーにより命を脅かされることになった。


 いや、ハウザーは既に『パヴァーヌ』という邪宗門カルトに入り込んでいたし、早晩パヴィッチを攻撃する計画を立ててはいただろう。


 だがこうも拙速に動いたのはやはりルナとズデンカのゴルダヴァ来訪が深く関わっていたのは確かだろう。


 ズデンカは責任を感じた。


「素晴らしいじゃないですか。これほどまで血を浴びるように飲んだのは数百年ぶりだ」


 ダーヴェルは少しも血を飲んだ痕を留めない唇で恍惚と語った。


「どれほどの人間を殺した! その一人一人に生活があったんだぞ!」


 ズデンカは叫んだ。


「あなたはおかしなことを言いますね。吸血鬼は人間の血を吸う。これは太陽が東から昇りに西に沈むのと同じぐらい自然なことではないですか」


 理路整然とダーヴェルは言ってのける。カスパー・ハウザーのその手の理屈はどこか「屁」が付く、間に合わせのものだった。部分的に同意出来る部分があるとして、本質的には賛同出来ない内容ばかりだ。


 対してダーヴェルは基本のキを言っているだけでしかない。当事者であるズデンカもそれはよくわかっていた。


 何度人を襲いたいと思ったことだろうか。その度に無辜の相手を殺してはいけないと思いとどまった。


 血を吸っている吸血鬼たちとズデンカは本の紙一重の差しかない。


 やるか、やらないかだ。


 そのズデンカも殺していいと決め付けた人間の命は平気で奪ってきた。だが、極悪非道な人間にだって家族はいる。


 もし、その家族が悲しい顔をしていたとしたら。


 そんなことを考えているとズデンカは乾涸らびてしまう。


 いずれかの時点で妥協は必要なのだ。


 そして、今回ダーヴェルたちが行った血の確保も決して、否定されるべきことではないかのように思われてきた。


 何しろ、人間が嫌な思いをするということだけが反論の理由なのだから。

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