第六十六話 名づけえぬもの(14)
ズデンカは物凄い勢いでシュティフターにぶつかっていった。しかし、普通に相手にすれば、腐肉の海に取り込まれてしまう。
実際シュティフターのスカートから先は、赤黒くうねった腸に似た肉塊がとぐろを巻いている。
足を踏み入れればお終いだろう。
ズデンカは寸前で地を蹴り、宙を舞った。大きく身を引き剥がす。
するとシュティフターの下に巻かれていた肉塊が一気にかさを増していき、ズデンカと並ぶほどの位置にまでなった。
――薄気味悪いな。
「ズデンカ! 観念しろ!」
その時だ。
ヴィトルドが再び光線を放った。
ズデンカは内心それを見越していたのだ。シュティフターの胴体は完全に焼き焦がされていた。
だが。
切断面から再びシュティフターの顔が浮かび出たではないか。
同時にさきほどまで形を保っていたコワコフスキの全身が解け、路肩に散らばり物凄い勢いでシュティフターの根本にある肉塊へと回収されていった。
――なるほど、やつも無尽蔵で再生できるわけではないらしいな。
パヴィッチの南街区からは多くの住人が中央部へ退避した後だ。腐肉の材料は払底しているに違いないだろう。
――ヴィトルドのやつが例の光線を何度も撃てるならな。
しかし、他にも戦力は残っている。
バルトロメウスだ。
実際、ブレヒトとパニッツァの腐肉人形を相手に、巧みに距離を取りながら応戦して、ズデンカに攻撃が向かないようにしてくれている。
バルトロメウスは爪の先を鋭くし、相手を抉っている。
恐らくそのために腐肉に触れることはないのだろう。
示し合わせもしていないのに、はなから信頼関係もないような連中なのに、不思議な共闘をしている訳だ。
だが、ズデンカは深く考えている余裕はなかった。
シュティフターは頭部だけから次第に元の姿へ復旧を果たそうとしていたからだ。
――あたしもバルトロメウスに倣おう。
ズデンカは爪を長くした。
シュティフターを切り裂こうと再び向かっていった刹那。
カラン、カランと、音がした。
ケバケバしい色糸と
――誰だ? まさかまだ人がこんな地域に残っていたのか?
ズデンカは驚いた。
だがすぐにわかった。
ハウザーが作り上げた宗教団体の『パヴァーヌ』だ。
元々は、指揮者のイワン・ペトロヴィッチが娘を悼むため作ったものだったが、ハウザーに乗っ取られたと言われている。
「自分からのこのことやってくるとは、感謝の至りだよ、メイドさん」
行列の先頭にいる白衣が頭巾を取った。
カスパー・ハウザーだった。
「お前! ここで殺してやる!」
ズデンカは叫んだ。
「いや、それには及ばないよ。俺は――いや、ペトロヴィッチ氏亡き後の『パヴァーヌ』を代表してと言うべきかな――今日こそ、待ちに待ったパヴァーヌが奏でられる、重要な日だ。そして、『名づけえぬもの』が償還されようとしているのだよ」
ズデンカはその意味がよくわからなかった。
「お前ら、気付け! ペトロヴィッチを殺したのはそいつだ! お前らはここに残っていたら腐肉の餌食だぞ!」
それよりも、カスパーに連なる行列へと呼びかけるほうが先決だった。
だが、誰も返事をしない。頭巾を被っているため表情は読めないが、ひたすら行進を続けるばかりだ。
「言っても無駄さ。宗教は恐ろしいね。彼らはみんな俺の暗示に掛かっている。一歩だって動かないよ」
ハウザーは自慢げに話した。
そして、すぐ後ろにいる錫杖を持った白衣に囁きかける。
錫杖はまた地面を打ち、カランカランと鳴った。
「さあ、演奏の始まりだ!」
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