第六十六話 名づけえぬもの(6)

――ちっ、迷惑掛けさせやがってよ。


 ズデンカは駈け寄って、それを引き剥がそうとした。


 手が肉のなかに入った。


 生温い、底が知れない空間へ指先が引き摺り込まれていく。


――なんだこれは?


 ズデンカは己の腕を引き千切った。


 切られた部位はすぐ肉の中に吸い込まれていく。 


 物凄い勢いで肉塊は脹れ上がり、うねりながら地を這って、蛇のようにとぐろを巻いた。やがて人の形をなす。


 シュティフターだ。


「ハウザーさまの大望を実現するため、ルナ・ペルッツはここで頂いていきます!」


「させるかよ」


ズデンカは回し蹴りを放った。しかしまたシュティフターは身体を溶解させ、それを受け流す。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


身体の肉をたくさん奪われた大蟻喰は荒く息をしながら、なお自分の身体に繋がったされたままのシュティフターを睨み付けていた。


「あなたの肉も全て腐らせて、私の言いなりにさせて頂きますよ!」


 大蟻喰の腹部の肉がやがて、どす黒く濁っていく。


 腐敗が進んでいるのだ。


「誰が……お前なんかに」


 大蟻喰は言葉をなんとか吐きだしていた。


「あなたのような不完全な存在に、私が倒せるわけはありません。ところで、ズデンカさん、不思議に思いません? ブレヒト……パニッツァ……コワコフスキ……そして、私……いずれもあっけなくやられたとお思いではないでしょうか? ところが、これ全てハウザーさまの深謀遠慮なのですよ。私は腐肉人形にした者を操ることが出来ます。死にもしませんし、むしろ生きている時よりも強くなる」


 また人の形に戻りながら、シュティフターは早口で喋った。


 それに呼応して、黒い影がどこからか現れた。


 全身に赤黒い肉が張り付いた四つの不気味な姿。


 だが、ズデンカはそれが『詐欺師の楽園』でかつて倒した連中だと言うことに気付いた。


――遺骸を回収してやがったんだな……。


 ズデンカは跡形もなく燃やしてやっていればと後悔した。


 だが今の状態で四人を相手にするのは難しい。


 絶望的な状況、なのかもしれない。


「ルナ」


 ズデンカはルナを抱き寄せた。


「ジナイーダもだ」


 後ろで震えるばかりだったジナイーダの方へよって、手を掴んだ。


 ズデンカは空へ浮き上がった。


 本来は使いたくなかったが、もう仕方がない。


「ステラはどうするの?」


 ルナは不安そうに訊いた。


「今は仕方ない、シュティフターはアイツの身体に繋がっているんだ」


「そんな! だめだよ! 助けないといけない!」


 ルナは慌て始めた。


「もうこれ以上わたしのせいで人が死んじゃいけないんだ! 誰一人だって!」


「大蟻喰なら大丈夫だろう」


 実際大丈夫じゃないかもしれなかったが、今ズデンカにとってルナが捕まるほうが大きな損失と考えたから、置いていくしかない・


「いや、そんなことないよ! ステラはああ見えて繊細なんだ! 独りぼっちにしたくない!」


 ズデンカの知らない大蟻喰の側面をルナは知っているようだった。


 そこを多少妬ましく思ったがそんな日まではない。


「とりあえずカミーユたちと合流だ。すぐに助けにいくから今は離れよう」


 ズデンカはルナを見詰めて言った。

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