第五十四話 裏切り者(2)

 ルナたちの反応も顧みずにズデンカは走り出した。


 吸血鬼の脚力なら、数キロはすぐだ。


 前、メイド服で動きづらくないか、と訊かれたことがある。

 だが、「そんなもん、いつの間にか馴れちまったよ」と答えることにしている。


 実際そうだからだ。


 足が引っかかることもなく、縺れることもない。


 ズデンカはこの服を気に入っていた。着換え用を何着も持っているぐらいなのだ。


 道は急な勾配になったが、迷わず駆け下りる。


 夜は鮮やかで、星は踊った。


 ズデンカの速度では星虹の尾っぽのようにすら見えた。


 いや、幻灯機の真ん中に立ったとしたら、こんな感じになるのかも知れない。


――ふん。馬鹿らしい。


 一瞬目を奪われてしまいそうになったが、ズデンカは脚に力を込めた。


 灯りが見えてきた。


 角灯ランタンだ。


 酸漿ほおずきのように幾つも暗闇の中で揺れている。


 相手の姿すっかり見えた。


 もちろん、ズデンカは角灯がなくても見ることは出来るが。


 分厚い頭巾に蔽われた顔。顔。顔。顔。顔。


「何者だ?」


 ズデンカは鋭く問うた。


 頭巾の奥から、しわくちゃな老婆が顔を出した。


「流浪の民さ」


「リンドか」


 ズデンカは訊いた。


「そういうあんたはエリアに見えるけどね」


「一応、そうだ。混血だがな」


 リンド族はエリア族と同じようにトルタニア各地を流浪している連中だ。


 ズデンカも過去何度か嫌な眼に遭わされたことがある。


 もちろん、それは向こうだって同じだろう。


 騙しだまされでこの世界が回っていても良い。


「こっちもみんな混血だよ。まああたしから言わせりゃ、このトルタニアに住んでる人間は誰もが皆混血だがさ」


 老婆は言った。


「誰もが混血なら、なぜスワスティカはシエラフィータを根絶しようとした?」


 ズデンカは訊いた。


「あたしにゃわからんね」


 なぜだか知らないがズデンカはこの老婆を気に入った。


 だが、ズデンカは用心深い。飽くまでルナたちと来ていることは隠しながら話を進めた。


「あたしはズデンカだ。あんたは?」


「アグネスだよ」


「そうか。他の連れは?」


「あたしの娘たちだよ」


 人間として気に入っているのと、信用するかはまた別の話だ。


 ズデンカは信じなかった。


 おそらく寄り合い所帯のような感じで自然と集まってきた仲間たちなのだろう。


――リンドの連中はちょっとでも隙を見せると弱みにつけ込んでこようとするからな。気をつけねえと。


 一人が頭巾を脱いだ。


 目が醒めるように美しい、黒髪の女が現れた。


 まあズデンカも同じ色だが。


「こいつが長女のマレーナ。あたしゃもう年だからね。皆をまとめるのはこいつの役目なんだよ」


 アグネスが言った。


 マレーナの容姿は、やはりアグネスと少しも似たところがない。


「よろしくね」


 マレーナは挨拶した。


 ズデンカは軽く頷く程度に留めた。


「晩飯はまだかい? 一緒にどうだね」


 猫撫で声でアグネスが誘った。


「いや、もう食った」


 ズデンカは断った。


 大方その中に眠り薬か痺れ薬でも入れてくるのだろう。


 そのまま誰かに売り飛ばす魂胆なのは目に見えている。それか仲間に引き込もうというのか。


 どちらにしてズデンカは食べることが出来ないし、毒も口に入れたとして効かないが。


「なら、お茶でも一緒にどうだい。水は川で汲んでくればいい。あたしらはどこでも焚き火ができるんだよ」


 アグネスはやたらに親切だ。


「いや、いらん」


 ズデンカは断った。

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