第五十二話 ひとさらい(6)

「何に使うんだよ」


 ズデンカは訊いた。


「簡単だよ。足をあの板の上に置いて棒を持って動かす」


「あたしなら簡単だが、人間はけるだろ」


「ふふふ。人間はそこまでヤワじゃないよ。わたしもよく遊んでいた。昔の君だって乗りこなせたはずさ」


 ルナは笑った。


「そうかねえ」


 ズデンカは納得できかねた。


「いま、使ってみる」


「そんな埃だらけのもんは使わん」


「そうだよね。長らく使われてないみたいだし。くしゅん! くしゅん! くしゅん!」


 ルナはくしゃみを連発する。


「早く戻るぞ」


 ズデンカは歩き出した。


「うん。見たいものは見られたし。もういいよ」


「何を見たんだよ」


 ズデンカは呆れた。


 ルナはそれは無視して鼻をハンカチで拭いながら食卓へ戻った。


「さて、再開しましょうか。ドラガさんのお話ももちろん面白かったけど、わたしはドゥブラヴカさんの綺譚おはなしの方が訊きたかったりするんですよ」


 ルナはドゥブラヴカの方を向いて訊いた。


「あの子はまともに話すことが出来ません!」


 ドラガは手を上げて遮ろうとした。


「いえいえ、別に綺譚おはなしというのは雄弁な語り手だけが語れるものではありません。舌足らずな、木訥な語り手こそが、語ることはよくあります」


 ルナは飽くまでドゥブラヴカを指差した。


「ひとさらい……あたしの娘アナはひとさらいにさらわれました」


 ドゥブラヴカは憑かれたように繰り返す。


「それはどんな人でしたか」


「おっきいおっきいひとでした」


「それは興味深い。街の人もそう言うことを言っていたようですね」


「何を仰るんです? ドゥブラヴカはその現場を見ていないんですよ。言っていることが一致するのはおかしいことじゃないですしょう」


 ドラガが言い張った。


「まあ、そうなんですけどね。単なる事実の地固め、というやつですよ。すくなくともひとさらいは妄想ではなく、実在はしたわけだ」


 ルナはテーブルの上に置かれたまま燻っていたパイプを手にとり、また吸った。


「何が仰りたいんですか?」


 ドラガが訊いた。


「でもね、ドゥブラヴカさん、わたしがあなたに訊きたいのは、事実がどうとかってことじゃないんだ。もっとその……なんというかな。『感情の歴史』みたいなものです」


 ルナはそれは無視しながら、飽くまで母親に向かって語り掛けた。


「かんじょうの……れきし?」


 ドゥブラヴカは首を傾げた。


「アナさんをどう言う風に思っていたのか? ……たった、それだけのことです。変な小細工は要りません」


「もちろん……それは愛していました。幼い頃から育て上げて、お襁褓むつだって何度も変えて。学校に始めて通わせて日の朝も覚えていますよ。無事に帰ってこれるのかってドキドキして。ええ。今でも愛しています。掃除だって……部屋も……姉が……」


「もういいでしょう。ドゥブラヴカ、アナタは疲れているの、もう休みなさい」


 ドラガは心配そうに声を掛けた。


「よろしいよろしい。その一言だけで十分です。あなたはわたしにとって必要な綺譚おはなしを提供してくださった。お願いを一つ叶えて差し上げましょう。それは何でしょうか?」


――ほんとうに提供したのか?


 ズデンカは訝しんだ。


「もちろん、娘に……アナにあわせてください! あわせてください!」


 ドゥブラヴカは繰り返した。


「わかりました」


 ルナは煙を吐いた。


 たちまちのうちにそれは人のかたちを象った。


 少女だった。


「アナ!」


「母さん!」


 目を輝かせて、ドゥブラヴカはアナを抱いた。


「困ります! どんな手品を使ったかは知りませんが、幻術などでドゥブラヴカを瞞さないでください!」


 ドラガは叫んだ。


 とたんにアナはくるりと首をそちらに向けた。


 そして、驚くほど冷たい声で、こう言った。


「お前が犯人だ」

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