第五十二話 ひとさらい(2)
道の遙か先で中年の女が叫んでいた。
「ここにいろ、ここにいろよ。ここにいろ! 絶対だぞ!」
と繰り返し言い置いてズデンカは走っていく。
人垣が既に出来上がっていた。
「おい、誰だ、誰がひとさらいだよ」
何で走り出したのか。
無視すればよかったのに。
視線を感じたからだ。
女は何か自分たちを見て叫んでいるように思ったのだ。
気のせいかも知れない。
だが、ズデンカは多少の違和感でも覚えたなら、その正体を明かにし、危険を潰しておかないことには落ち着かない性分なのだ。
「ひとさらい! ひとさらい! あの人が私の娘をさらいました!」
中年の女はズデンカを指差した。
「はぁ?」
ズデンカは驚いた。だが同時に予想が的中したのも感じた。
「お前、見ない顔だな? さらったのか」
不審な目で、周りの野次馬が囲んでくる。
「あたしは何もしてねえよ! あいつが勝手にあたしを犯人だって言ってるんだ!」
「おいおいおまえら知らないのか? あのババアは……ひそひそ」
野次馬の一人が他に耳打ちした。
もちろん、耳の良いズデンカはその内容を全て聞き取ることが出来た。
早い話、心を病んだ老婆だということだ。道行く人を指差して、ひとさらい、ひとさらいと呼んでいるという話だ。
よくある話だ。
ズデンカは今まで長い旅の中でさんざん見てきた例だ。
道を歩けば、訳の分からないことをわめいて絡んでくる奴がいる。
悲しい理由があるのか、それとも何もなくてそうなったのか。
どちらにせよ、年老いて無様な様子を見せる人間は多い。
身体が衰える。だんだん歩けなくなる。物もろくに噛めなくなる。
それなのにまだ生き続ける。若者と同じような気分で。
ズデンカにとって、見ていてあまり楽しいものではなかった。
吸血鬼にならなかったら、自分もとっくの昔にああなっていたに違いない。
今、目の前にいる女はそれほど年を取っていなかったが、同じことだ。
結局死ぬまで似たような行いを続けることだろう。
人垣は次第に解かれていく。女がおかしいことが周知されたのだろう。
ズデンカと女だけが二人残った。
「あたしはお前の娘なんかさらっちゃいない。さっさと帰れ!」
ズデンカは怒鳴った。
「いるじゃないの。あたしの娘よ」
しかし女は遠くのカミーユの方を指差して言った。
「あれはあたしの連れだ。お前の娘なんかじゃない」
カミーユの生まれはトゥールーズだ。ゴルダヴァではない。
ズデンカはいい加減焦れてきた。
「どうしたの?」
ルナが歩いてきた。当然カミーユも突いてくる。
――あれだけここにいろって言ったのに。
ズデンカは内心呆れた。
「何でもない。この女がカミーユを自分の娘だとか言いやがるんだよ」
「ええっ」
カミーユは驚いていた。
「それは面白い」
ルナは早速手帳を探し始めた。
「面白くなんかねえ」
ズデンカは打ち消した。
――よくあることだ。
「カミーユにとっては面白いことだよ」
ルナが意外な発言をした。
「はぁ? どう言う意味だ?」
ズデンカは意味を解しかねた。
「カミーユの成長に繋がるかも知れないってことだよ。人生に訪れた難局をどうやって切り抜けるか。そこがまた一つの
ルナは興味深げに語った。
「お前が言うな」
ズデンカはその頭を撲りつけた。
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