第四十九話 吸血鬼の家族(8)

 ノックもせずに家の扉を開け、ずかずかと上がり込んで来やがる。


 跫音だけで気付いた。


 なぜなら、耳はかつてと比べて小さな物音でも聞き取れるようになっていたからだ。 


 あたしは待った。家族の連中とは話さないんだ。相談しようがない。


 デュルフェの野郎の手稿にはゴルシャが人間の肉を喰らっていたと書いているが、親父は外に出て喰っていたんじゃないか? 


 どちらにしてもあたしは関心がなかったので詳しくは知らない。


 当事者の証言なんざあてにならんもんだ。


 ともかくえらくびびった様子でデュルフェが部屋に入ってきたことだけはよく覚えてるさ。


 どうされましたか、とか言ってやってもよかったんだが黙っていると、


「ズデンカ、きっ、君は無事なのか」


 って引き攣った声でわめきやがる。


「元気ですわ」


 ってあたしは答えたと思う。よく覚えちゃいねえが。


 笑うなよ。変な顔すんなよ。あたしだって生まれた時から『こう』だったわけじゃない。


 長い年月をへて『こう』なったんだ。


 デュルフェの言うことに従うのは正直癪だが、あいつの言うことを素直に訊いているような側面があったことは否めない。



「よかった。二人で外へ出よう」


 デュルフェは手を差し出してきた。


 なぜかその手が重く鈍く鉛のように見えた。


 噛みつく気すら起こらない。全く食欲をそそらない相手だ。


 なぜ、そんなことが決まるのかよくわからない。


 だが、悪い奴でも血が吸いたいやつがいれば良い奴でも吸いたくないやつがいるのは確かだ。


 何で決まるのかそんなこたあわからねえよ。


 あたしは学者じゃない。


 ともかく、あたしは黙ったままデュルフェを見詰めた。


 いや睨んでいたか。


 気分がよくなかったのは間違いない。


 見る間にデュルフェのやつ、怯え始めた。


「きっ、君は、もっ、もう人間ではないのかい?」


 日頃から居丈高な態度だったやつが、見下していた女が少し様子を変えただけで、急に怖ず怖ずと接してくるのが滑稽だった。


 あたしは態度を崩さなかったよ。


「はい、まるでかつてあったように、そしてこれからさきもそうであるように」


 なんて言葉が吐ければ良かったんだが、こりゃ明らかにデュルフェの創作だ。


 あたしとしちゃあ言葉はほとんど吐かなかったんだよ。


 ただ、睨み続けていただけだ。


 やがてデュルフェは尻尾を巻いて飛び出して行った。


 物音で親父と甥たちがその後を追ったらしい。だがあたしは正直それを知らない。


 少なくとも、甥たちは軽騎兵に寄って集って嬲られて、その夜に消滅したことは確かだ。


 デュルフェなんかどうなってもいい。あんな奴の人生なんぞ知ったことか。


 あたしは夜明けを過ぎてしばらく、まだ家の中にいた。


 部屋の壁が輝くばかりの光で照らされた。焦げ臭い臭い。燃える音が聞こえてきた。


 軽騎兵どもが家に火を放ったのだ。ゲオルギエは既にどこかに行っていた。


 その妻は一人残っていた。炎が身体に纏い付いて必死に払っていた。


 あたしはそれを見ても何の感情も起こらなかった。


 虐げられた者が同じ状況のものに同情を寄せるなんて夢物語だ。お互い無視するか、激しくいがみ合うのが普通だ。


 同情できるようになるまでには長い、長い時間が掛かる。


 黙って通り過ぎたさ。


 吸血鬼は皮膚が焼かれても再生する。だが、ずっと焼かれ続けたら再生の力が弱い吸血鬼は追い付かない。


 何度も再生して焼かれると言う地獄だ。


 今なら助けていた。でも、その時あたしはゲオルギエの妻を見捨てた。


 炎の中陰が舞踏し、叫びだけが響いていた。


 まだ耳の中に残っている。


 もういいだろ。


 こんな話は。

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