第四十七話 みどりのゆび(8)
女はとたんに顔を青ざめさせた。
大方、自分の言う通りになってくれないのなら死ぬとでも言ったのだろう、とフランツは考えた。
この点に関しては、何百年経とうが変わらない。当時を生きていたわけでもないのに、フランツはわかったつもりになっていた。
自分が死ぬと脅す男は案外いるということをフランツはルナから教わった。
お前も脅されたことがあるのか、と訊くといつものように鼻で笑って答えなかったが。
フランツは気分が悪かった。
人間はなぜ同じようなことをいつまでもやり続けるのだろうか?
諦めてしまうには、まだフランツは若すぎた。
――何とか干渉できないものか。
無理なのにそう思ってしまうのだった。
男は自分に剣を突き付けながら女に迫り続けた。
声は叫ぶような怒鳴るような凄まじいものに変わっていた。
だが、フランツはよく聴き取れない。
諦めたように、女は男の元に近付く。男はすぐに剣を収めてその手を引いた。
――もともと死ぬ気などなかったのだろう。
相手が眼の前で死なれるなど耐えられない優しい人間だと見抜いてやったのだろうなとフランツは考えた。
優しいことは、ときに正しいとは言えない。怒りを込めて拒まねばならないときはあるのだ。
男の顔には歪んだ笑みが浮かんでいた。まさに自分の望んだものが得られたとでもいった風だ。
と、そこに跫音。
もう一人の男が階段を登ってきたのだ。
先ほどの男は敵意を剥き出しにして斬って掛かる。
だが、男はたくみにそれを躱し、先にいた男の胴体を両断した。
血が満ち広がる。
女は血を浴びて絶叫した。
――女を助けにきたのか。
フランツは考えた。
だが、そうではなかったようだ。
「結婚」
の言葉が聞き取れる。早い話、この男もさっきいた男と似たり寄ったりで、女をものにしたかったのだろう。
フランツもその気持ちは幾らか理解できた。猟人になりきったつもりでも、中味は健康な青年なのだから。
だが、嫌がる相手を前にというのはいささか躊躇してしまう。もちろん、結果として相手を嫌がらせることは自分だってあるかもしれない。
眼の前で女はまだ怯え続け、滔々窓の縁から身を乗り出して落下した。
男の叫び声があがった。身も世もあらぬ嘆き方だ。
フランツは逆にそこに軽薄さを感じた。
女の頭は路上に叩き付けられ、柘榴のように割れて血が滴った。
やがて時間は進む。
多くの人が集まっていて、先ほどの男が何か話していた。
何年かが経過したようで、その顔には老いが押し寄せてきて、髭も生やしている。
そして、塔の頂上を指差した。
見ると、そこにはあの夕陽を反射して緑色の光を放つ縁取られた硝子が取り付けられていた。
「永遠の愛」
みたいなことを男は熱心に語っていた。
フランツは頭を抱えそうになったが、そこで目覚めた。
もう、すっかり朝だった。
まだしばらく考えてしまった。
薫り高い匂いが漂ってくる。ファキイルはまだずっと焜炉の前にいた。
「まだやっていたのか」
「うむ」
ファキイルは頷いた。
「夢を見たぞ」
「やはりか」
「やはりってなんだ」
フランツは少し怒った。
「あの蔦には夢を見せる効果もあるらしい」
「癒やすだけじゃないのかよ」
実験台にされたことの不快感でまだ残っていた眠気はすっかり吹き飛んだ。
「ごく稀で、普通は起こらない。フランツが特殊な体質だったのかもしれない」
ファキイルは適確に説明した。
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