第三十七話 愛の手紙(5)

「阿呆か」


 ズデンカはルナの頭をポカンと叩いた。


「いてて! っぷ!」


 ルナが声を上げそうになった口をズデンカが塞ぐ。


 いつもながらのお馴染みの光景だ。


「行ったことはないが知ってるぞ。バーゾフ公国の三男っていやあ……」


「そうだね。三男ミロスワフは貴族年鑑の千二百頁に八才で夭折とある。ただ、長らくバーゾフ公家は秘密主義を保ち、情報は開かれていなかった。年鑑に載り始めたのだってここ数年の話だ。実権を失ってからのことで、生活費の足しにするため出版社に情報を売ったのだとも囁かれてる。でも、好事家しか読まないような本だから、ヨハンナさんが目にする機会は、まあないだろう。もちろん、現地に行けば早晩わかることだけど」


 ルナはスラスラと情報を並べ立てた。


 しかし、ズデンカはそれに感心していられない。


「幼くして死んだ三男がなんで、ヨハンナに手紙を送れるんだ。そいつは詐欺師に違いない!」


 ズデンカは憤って叫んだ。


「だろうね。随分手間暇掛けた詐欺だなあって思うけど。でも、ヨハンナさんに教えたとして、どうなるんだい? まず、信じないだろう。逆に気分を害するかも知れない。自分の目で確かめて貰うしかなさそうだね」


「いままでずっと貢いできたものが、幻だったなんて気付いて、やつは大丈夫だろうか」


「幻。それこそがわたしの得意分野さ」


 ルナはクイッと指で帽子の縁を持ち上げた。


「はぁ、どうなることやら」


 ズデンカはため息を吐いた。


 ルナが颯爽とベッドから飛び出して歩き出した。


 ズデンカは従ったが、今頃目覚め出したねぼすけな人が、ビックリしたような顔で自分たちを見詰めていることに気付いて恥ずかしくなった。


 車室に舞い戻ると、ルナはちょこんとヨハンナに一礼した。


「ありがとうございます! あなたの綺譚おはなし、最高でした! そこで、あなたのお願いを一つだけ叶えて差し上げたいのです。わたしに出来る限りではありますが」


「私にお願いは決まっています。出来るだけ早く、すぐにでもミロスワフさまにお逢いしたいと言うことです」


 ヨハンナはルナを見据えて静かに言った。


「わかりました。たぶん、じきにきっと逢えますよ!」


 ルナがそう言ったのと同時に跫音が廊下に響き渡った。


 ドアが引き開けられる。


 初老の男性が立っていた。


 どこか高貴な雰囲気を感じさせる。


「ヨハンナさん!」


「ミロスワフさま!」


 お互いあったはずのない二人のはずだが、一度眼を交わしただけで即座に分かったらしい。


 二人は立ち上がって、初々しく見つめ合った。


「なぜ、あなたさま自らこちらにやってこられたのですか?」


 ヨハンナは驚きながら言った。


「実はあなたを探してコジェニョフスキまで行ったのです。ところが既に旅立たれた後と訊きまして、急ぎ引き返した汽車の中で、偶然にもあなたとすれ違いました。列車中を探し回ってやっとここにいらっしゃるとわかったのです」


 ミロスワフは雅さすら感じさせる振る舞いで説明した。


「そうなのですね! でも、逢えてよかった。バーゾフまで行ってしまっていたらまた擦れ違いになっていましたよ」


 ヨハンナは安心したようだった。


「ところで、こちらで話すのも他の方のご迷惑になってしまいますので、積もる話もありますし、僕の車室の方でお話ししませんか?」


「もちろん!」


 そして、ルナとズデンカに深く礼をしてヨハンナは立ち上がった。


「願いを叶えてくださってありがとうございます。不躾ではございますが、これにて失礼させて頂きますね」


「こちらの方々は?」


 ミロスワフは不思議そうな眼をした。


「私の恩人です。それも、車室で詳しく話しましょう! では」


 二人は車室を出ていった。


「どういうからくりだ?」


 ズデンカは首を捻った。


「ミロスワフさんだけじゃなく車室まで一つ作り出したんだ。もちろん、扉は二人しか開けられないようにして置いたから、他の人が入ってくる恐れはない。ちょっと駅でトラブルになるかも知れないけど!」


 ルナは悪戯っぽく言った。

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