第二十九話 幻の下宿人(3)

「僕が経験したものの中に、ペルッツさまのお気に召しそうな、不思議な話が一つありまして……」


「ほほう! それは興味深い」


 ルナは関心を惹かれたようだった。


「やめとけ」


 ズデンカは注意した。ルナの身体に障らないか気を遣ったからだ。


「なんでだよー。わたしは訊きたいんだよ」


 ルナはちょっとムキになってズデンカに食ってかかった。


――全く、話を蒐集できそうとなれば、いつもこれだ。


 ルナはこの世の中の何よりも話を聞くことが好きなのだ。


「お前は疲れている。それにカミーユも」


 とズデンカは視線をカミーユに送った。


「い、いえ、私は……」


 カミーユは答えようとしたが、その声は力なかった。お腹も空いているようだ。


「仕方ないなー。それじゃあ、食事の後ってことで! ヤナーチェクさん、肉、肉が食べたいのでよろしくお願いします!」


 と喚きながら、ルナはふて腐れて椅子に坐った。


 ヤナーチェクは厨房に引き下がって料理人に注文を伝え戻った。


「気になるなぁ。どんな綺譚おはなしなんだろ?」


 ルナは上を向き、夢見心地にぶつぶつ言っていた。


「本当に大丈夫か?」


 ズデンカは思わずカミーユの肩を抱き寄せた。今にも蹌踉よろけそうに見えたからだ。


「は、はい! でも、お腹が空きすぎて……」


 カミーユは顔を赤くした。


――結局、あたしは世話焼きなんだな。


 ズデンカは心の底からそう思った。先程までルナと親しそうにしているカミーユに苛立っていたのに。


「寄りかかってよいぞ」


「……はい」


 カミーユはズデンカから離れず、ズデンカの腋の下に頭を預けた。


――こんなに小さいんだな。


 身長の違いにも驚いてしまう。


 ルナも女としたら少し高い程度だが、カミーユよりは身長があるので、普段はここまで先に気付くことはない。


 だが、先ほどナイフを巧みに投げて自分を守ってくれたカミーユが、こんなに小さいことに気付いて、申し訳ないような、情けないような変な気分になった。


――今度はあたしがを守ってやらなければ。


 それは庇護欲を掻きたてられた、と言うことかも知れない。


 よく火で炙られた肉を載せた皿が何枚も運ばれてきた。


 ルナはナイフで捌いてどんどん口へ放り込んでいく。肉汁が口の端から溢れるのを手の甲で拭きながら。


「行儀がわりいな」


 ズデンカはたしなめた。


 ルナは答えずに黙々と食べ始めた。


「自分で食えるか」


「はい……」


 カミーユはナイフを使い慣れているはずだ。しかし、持つ手が震えている。


――あんだけ戦ったしな。


「あたしが切り分けてやる」


 ズデンカはカミーユの肩に回していた腕を退けて、ナイフを奪い、肉を綺麗に切った。


「すごい、ズデンカさん、お肉食べれるんですか?」


 カミーユは訊いた。


「いや、喰わない。慣れだ。ルナに何度も切ってやってるからな。料理自体上手く作れない。ルナは普通の人が出来ることも出来ないから、何でもやってやらなけりゃいけないんだよ」


「ルナさんって……ほんと面倒を見るのが大変って言うか……」


 カミーユは呆れたようだった。


「そうそう、どうしようもないほど世話が焼けるぜ」


 ズデンカは自分の声がすっかり弾んでいることに気付いた。


「ちょっと君、カミーユに何吹きこんでるんだよー」


 肉を一皿分平らげたルナが、声を荒げる。


「おいひい!」


 肉をやっと一切れ頬張った口を押さえながら、カミーユは歓喜していた。

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