第二十六話 挾み撃ち(6)
こちらからも血の臭いはすぐに漂ってきた。
敏感なズデンカだからこそ遠くからでもわかるのだが。
駆け回っていた兵士たちの数もだんだん少なくなっていく。
「ルナァ! 大丈夫か?」
さっきいた天蓋付きの馬車を通り過ぎた時、アデーレが窓から身を乗り出して話しかけてきた。
ルナは挨拶しようとした。
「鬱陶しいから無視していくぞ」
ズデンカは叫んだ。
「おいメイド、誰に向かってものを言っている?」
アデーレは怒りに声を震わせた。
「隊列の後方が大変なんだよ。お前も降りて指揮を執れ!」
「予は軍医なのでな」
アデーレは冷静に言った。
「軍医だろうがなんだろうが、お前の部下が戦ってるんだ。少しは上官らしいとこを見せろよ」
――やれやれ。なんであたしがこんなことを言わなくちゃならないんだ?
「予の命は一つしかない。大事なところで使いたいのだ」
「臆病なやつめ」
ズデンカは吐き捨てて歩き出した。
「あれでやる時はちゃんとやるんだよ、アデーレは」
黙っていたルナがしゃべり出すのも鬱陶しく感じる。
さらに後ろを眺めると、カミーユが怖ず怖ず尾いてくるのが見えた。
ルナの言うとおり、ルツィドールが本当に退散したのかよくわからなくて不安要素ではあったが、ズデンカは後退を続けた。
剣を構えた兵士たちと、地面に引き倒されている軍馬が多く見えた。
「馬も倒すのか」
ズデンカは呟いた。よほど力の強い敵だろう。
前ハウザーは『詐欺師の楽園』の面々以外は戦力を持たないと語っていた。
大軍を擁することができるはずはないのだ。
――とすると、こっちも一人だろう。
「ルナ、カミーユ、ここにいろ。先は危険すぎる」
二人を残してズデンカは歩き続けた。
内心では、先ほど恐怖を感じた自分自身が嫌でたまらなくなっていたからだ。ルナに対する苛立ちと相反する気持ちだけに厄介だった。
あたりはいっそう血生臭くなっていく。
血煙の中に、大柄な影が現れた。ズデンカよりも頭一つ分は高い。
兵士たちは剣を構えながらもその両足を震えさせている。
周りを見回せば理由はわかる。四肢を分断された無数の胴体から、絶え間なく噴水のように血がほとばしり出続けているのだから。
ズデンカは正直食欲がそそられた。だが、それよりも怒りの方が上回っていた。
「お前が残る『詐欺師の楽園』の一人だな」
ズデンカは屍の中に立つ異様な風体の男に話し掛けた。
このような場所には不都合なほどめかしこんだ燕尾服と、シルクハットをかぶり、手には一本の傘を持っている。顔色は葡萄のように青ざめていた。
これがどうやら武器らしい。
「これは話が早い。初めまして、よろしくお願いします。我輩は『詐欺師の楽園』席次一、ヘクトル・パニッツァと申します」
男は深々と礼をした。
ズデンカはそこに爪を振り下ろそうとした。
ズデンカも見切れないほど激しい速さで、パニッツァは移動していた。
――くそっ。こいつも早いのか。
ルツィドールに劣らない動きだ。しかも、
「おやおや、せっかくの自己紹介の途中ですのに」
パニッツァはなおも笑みを絶やさなかった。
「自己紹介なんていらねえよ。お前はここで殺す!」
ズデンカは犬歯を鋭く伸ばして、相手の喉元目掛けて飛びかかった。
しかし、パニッツァは傘を開いた。
「お話は最後まで聞きましょう」
とたんにズデンカの眼が眩んだ。
激しい閃光が周囲に広がったのだ。
紫色の光だ。
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