第二十三話 犬狼都市(6)

 ルナは再び手を振った。高くに張られたテントを突き抜けるように、鋭い稲妻が轟音とともにルナの目の前に迫る犬たちへと落下した。


 たちまちその身は焼け焦げ、かたちも残さず崩れ落ちた。


「ちゃんと本で学習したよ」


 ルナの言っているのは『稲妻翁伝』だ。ランドルフィ王国のパヴェーゼにて、鼠の三賢者バルタザールより貰った書物だ。長い本だったが、短期間に独習して内容をすっかりものするとは、ルナの学識は確かなのだろうとズデンカは思った。


「これなら、わざわざイメージする必要もないから疲れない」


 そう言ってルナは息を吐いた。ズデンカはそこに少し咳が混じっていることを見逃さなかった。


――長くはもたねえだろうな。


 ズデンカは犬の群の中へと走り込み、何匹かの腹を真横に割いて臓物を掻きだした。生暖かいものがほとばしり出る。


 急に充満した血の臭いに次から次へと犬たちは集まってきた。


 またルナの雷撃が轟く。


 ズデンカは出来るだけルナに犬たちを近づけないようにしたかった。もし今身体にもしものことがあれば、ルナはたちまちに食い尽くされてしまうだろう。


「さあ! 幾らでもかかってこい!」


 ズデンカは血まみれになりながら、犬の頭を五つも素手で握りつぶした。怯んだのか、犬の軍勢は少し後退していた。


 ルナの雷が焼いたのは、犬たちだけではなかった。炎がサーカスのテントへも燃え移っていたのだ。


「み、みなさま、お逃げください!」


 バルトルシャイティスは叫んだ。


 驚いた獣たちが暴れ始めた。乗っていた団員の指示も聞かずに振り落とし、象は客席に雪崩れ込み、身を潜めていた人々を踏みつぶした。そのままテントを破り、外へと逃げていく。虎や獅子やチーターは真っ先に駈け出していくが、逆に犬に囲い込まれて噛みつかれていた。


 こんな状態では逃げるに逃げられない。人々はズデンカの後ろへと自然に集まってきた。


「ちっ」


 守るものが多すぎると弱くなるとズデンカは考えていた。


――本当に守りたいのはルナだけなのに。


 犬の中へまた切り込み、何匹も何匹も屠っていく。


 血、また血。


 目の前で流されるごとにズデンカは亢奮した。心臓すらとっくに腐り落ちたはずなのに、動悸がしているような気がした。


 手の甲にたっぷり付いた血を舐める。質の良いものではなかったが、ズデンカの動きはより俊敏に、力はより強くなっていた。


 テントはすっかり焼け、黒灰が剥がれ落ち、黒煙が満ちてくる。


――しまった。こう言う時、人は窒息して死ぬんだった。


 ズデンカは大丈夫だとしても、他はそうではない。


「お前ら、出ろ!」


 ルナも流石に前の方へと進んできていた。


「大丈夫ですから、さあ!」


 バルトルシャイティスも先導する。


 ズデンカはほぼテントの中にいた犬を狩り尽くし、入り口までの道を通行可能にしていた。


 一斉に外へ駈け出していく人々。


「さあ、ルナ!」


 ズデンカはルナの横に寄り添い、固く手を握った。


 二人で、ゆっくりと歩みを進めた。


 星月夜だった。星座が読みとれそうなほど鮮やかに空は見える。


 だが、その下に二人が見たものは。


 犬、犬、犬、犬、犬。


 いや、狼だ。


 狩りに目覚めた狼だ。


 無数の犬、数限りない犬たちが、目を光らせて、街のあちからこちらの角から、人間たちを睨んでいた。


 ここは、犬狼の巷だ。


 突如、阿鼻叫喚が吹き上がった。


 犬たちが、テントから逃げ出した人々に噛みついていたのだ。


 石畳には血がまき散らされる。


「くそう! 切りがねえ」


「小生や他の団員が何とかしますので」


 バルトルシャイティスは震えながら言った。


「お前じゃなにも出来ねえだろ。さあ、あたしの後ろに隠れておけ」


 ズデンカはルナから手を離して、血に飢えた獣たちに向き合った。

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