第二十三話 犬狼都市(1)

――中立国ラミュ首都デュレンマット付近


 馬車の横側に縛り付けられたオランウータンは鳴く。


 猿ぐつわを噛ませたままだといつ窒息死してしまうかもわからないので、綺譚収集者アンソロジストルナ・ペルッツのアドバイスに従い外したのだがこのざまだ。


 実にうるさくて、メイド兼従者兼馭者のズデンカは辟易した。


「殺したいな」


 思わず物騒なことを口走っていた。


「まあまあ、そろそろ街も近い」


 ルナは笑った。


「お前が連れてくるとか言ったからだ。野に放てば良かった」


 少し前、ズデンカは山でサーカス団『月の隊商』から逃亡したオランウータンを捕まえた。


 見付けたものにはお礼が出るものと期待してルナはほくほくだ。


「目当ては金じゃないだろう」


 ありあまるほど持っているのだから。


「うん。何か珍しいものが貰えるかも知れないからね」


「はあ」


 ズデンカはため息を吐いた。


 真夜中も馬車を駈け通して馬はすっかり疲れ切ってしまっている。


「こほん」


 ルナもたまに咳をしているし体調は万全と言いがたいのに、気紛れな理由で休まず進めたことに後悔の念を抱く。


「疲れてないか」


「全然」


 ルナは幾重にも否定する。それとオランウータンが暴れ回る音が被った。


 急いで縄に視線を凝らす。ほつれてはいない。


「面倒だな」


 ズデンカは呟いた。


「何が?」


 ルナが訊いてきた。


「何でもない」


 流石にうざったくなって答えた。


「ふうん」


 ルナは黙った。カチリと物音がする。おそらく、パイプを取り出して火を点けたのだろう。


 そうこうするうちに街の門は目前に迫ってきた。凝った彫刻が刻まれている。


――狼や犬か? 


 四足獣に喰い殺される三人の男の姿だった。


「何だありゃ」


 ズデンカは振り返った。


「ファキイルだね。前代の神話に出てくる獣だ」


 片手でパイプを持ち、もう片方でモノクルを高めに掲げてルナは言った。


「犬なのか狼なのか」


「どちらでもあり、どちらでもないのさ。神によって作られた獣なんだ。ある日のこと、老人アモスは神を馬鹿にした。神は獣を作ると言うが、獣なら野にも住んでいる。これ全部を作ったと言うのか、と。激怒した神によって作られたのがファキイルだ」


 ルナはモノクルから手を離して煙を吐いた。


「へえ、で、そいつを食い殺したと」


「いや、神がやったことはもっと陰湿だ。ファキイルにはアモスの息子たちを食い殺させたのさ。その上で、これからはファキイルを自分の息子として飼い続けるように命令した」


「それは性格が悪い」


「君も納得したかい。ファキイルは一日一枚づつ、アモスの皮膚を喰った。血は流れるが、神獣につけられたキズなので死ぬことはできない。アモスは全身の痛みに耐えながら日々を送った」


 門を抜けてデュレンマットの大路を走り続けた。群衆は物珍しげに馬車に結び付けられたオランウータンを見やる。


「で、オチはどうなんだ」


「すぐ結末を知りたがるな君は。神は次から次へとアモスに苦難を与えた。まず住んでいた家が洪水で流され、財産一式は全て失われた。皮膚の剥がされた箇所が化膿し、周りには蝿が飛び回った。眼病で視力も失った。独りぼっちのアモスは神の道具と言っても良いファキイルと連れ立ってあちらこちらに放浪の旅に出たのさ。いろいろなところにその痕跡は残されてるよ。ここ、デュレンマットもアモスとファキイルゆかりの地な訳さ」


「酷い話だな。だが、オチがまだだぞ」


「オチはない。いや、複数の説があるのさ。アモスはファキイルに食い殺された。逆にファキイルの最期をアモスが看取ったという話も伝わっている。伝承はまあ色々で、ファキイル自身を犬狼神として祀る地域も多い」


「神の獣じゃなかったのか?」


「そこがまた面白いところなのさ。どっちでも良いけどね。で、神はアモスとファキイルの仲の良さに嫉妬したのかもしれないって」

 

「だからどうした」

 

「アモスとファキイルは君とわたしに似てるよね」


 ズデンカは吹き出した。


「な、何を言いやがる」

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