第二十二話 ピストルの使い方(9)いちゃこらタイム
山小屋に帰り着いてみればもうすっかり茜差す夕焼けだ。
ルナは足早に戻ったが、ズデンカは三十分ばかり山の中にいてから帰ってきた。
「それではお暇させて頂きます。もうすっかり良くなりましたので」
ルナは幌を付けていない馬車の上から挨拶した。縛り上げられたオランウータンが車体へ縄で結ばれていた。『月の木綿』が滞在しているラミュの首都デュレンマットへ届ける予定なのだ。
「一夜越していかれても宜しいのに」
冷や汗を拭きながらリュシアンは言った。
「いえいえ、邪魔者はすぐ出た方が良いですから」
ルナは微笑んだ。
「いっ、いえ、そっ、そんな」
ジュスティーヌと二人っきりになることに気付いたのかリュシアンは顔を赤らめた。
「これからどうなさります?」
ルナは訊いた。
「あんなことも起こってしまいましたし、とりあえず一度トゥールーズに帰ろうかと思います。まだジュスティーヌも動揺しているようですし」
「そうですね。ご自信のペースでやっていかれたらと思いますよ」
「なっ、夏の卒業までには何とか……」
リュシアンは口ごもる。
それに耳を傾けつつ、距離を保ってズデンカはジュスティーヌに向かい合っていた。
馭者台に座る前に話しておきたかったからだ。
「お前はどうなんだ?」
「いえ、まだ、私も……」
ジュスティーヌも言い渋っていた。
「好きじゃないんだったら、はっきりそう伝えた方がいいぞ。勘違いされても困るだろうしな」
ズデンカは感情を込めずに言った。
「私、まだいろいろやりたいことがあって……」
言外にリュシアンと付き合うようなことになったら、制限されることもある、と伝えたげな口振りだった。
「ならそれでいい。お前のやりたいことをやれば」
ズデンカは笑った。
「ズデンカさんは思い切りがいいですね。私は迷ってしまいますよ」
ジュスティーヌは手を所在なくぶらぶらさせながら言った。
「そうか?」
「ええ、何事も自分で選択して生きてこられた方だって思いますよ」
「そりゃ年の功だ」
ズデンカは照れた。
「えっ、お若く見えますけど?」
ジュスティーヌは驚いていた。
「いや、あたしはうんと年寄りさ」
そう言ってひらりと馭者に跨がり、鞭を振るズデンカ。
馬車は静かに走り出した。
「こほん」
ルナが一つ咳をした。
「本当に出て良かったのか?」
ズデンカは心配そうに訊いた。
「いいよ。二人だけにしておかなくちゃ」
「だからくっつくとは限らないぜ」
「長い時間はかかるだろうね」
「だったらなぜ?」
ズデンカは苛立った。
「単にわたしが早く行きたかっただけさ。オランウータンも届けたいからね。わたしはエゴイストなんだ」
車に引きずられて、眼をぱちくりさせているオランウータンへ目をやりながらルナは静かに言った。
「ほんとうにそれだけか?」
「ほんとうにそれだけさ」
ルナはオウム返しした。
ズデンカは黙った。
「猿が死んだらどうするんだ」
「大丈夫。あんなごつい毛で蔽われてるし。死んだら死んだで遺骸を届けるさ」
ルナは良い加減だった。
「猿はどうでも良いんだな」
答えは返ってこなかった。
「男もどうでも良いんだな」
とズデンカは続けた。
「どういうこと?」
ルナは興味深く思ったようだった。
「ギイって奴のことだよ。泣きもしないのか」
「ああ。男は嫌いだからね」
ルナはあっけらかんと言った。
「そうか。まああたしも好きではないが……」
「好きではないが、どうなのさ?」
「ちゃんと弔ってやった方が良いと思った。だから墓を作った」
「ああ、それで遅れてきたのか」
ズデンカは答えない。
「君は……」
とまで言ってルナは黙った。
その先が気になったが、ズデンカは別の話をした。
「ピストルの使い方にかけちゃ、あいつより猿の方が上手だったな」
「本当にうまく使える人は滅多に撃たないものだ。ほら、ずっとここに入れたまま」
ズデンカはチラッと振り返ると、ルナがホルスターのピストルをぽんぽんと叩いていた。
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