第十七話 幸せな偽善者(5)
「わたしね。世界中の人たちが幸せになるように施しものをしているのよ」
「馬鹿なことを」
思わず私は頭ごなしに否定しました。自分で稼いだ金を人に施すなど当時の私には考えられないことでしたから。ましてや伯母は祖父が残した僅かばかりの遺産に寄生していたのです。
ろくでもないことをやっているなと思いましたね。いや、今でも思っています。
でも伯母はなおさらあの微笑みで言うのです。
「ペッピーノ、あなたも人を救わなくちゃいけないの。そうしないと天国へ行くことが出来ないのよ」
真っ平ごめんでしたね。私は伯母の微笑みから顔を背けながら画廊を走り出てしまっていました。
ところが翌日もまたビアンカは私の職場にやってくるではありませんか。
「ペッピーノ、私とともに帰りましょ。そして、貧しい人に施しをするのよ」
この伯母のしつこさには私も怒りを押さえかねたものです。殺してやろうと何度も思いましたね。
結局私はまた職場を変えることにしました。首都のパヴェーゼ近郊に居を移したんです。そこで画商としての才覚に磨き、一財産儲けることに成功しました。
ところが、中年に差し掛かった頃、親戚からの手紙で伯母が生活に困窮していると言う話を知ったのです。親戚は暗に私に面倒を見ろとでも言っているかのようでした。
既に結婚し生活に余裕が出ていたので、生まれた街に戻りたくなり、ブッツァーティの生家を再訪することにしました。
見てみれば、漆喰がひび割れた壁に蔦が張り付き、雑草が顔を出し、昔とは比べ物にならないほど荒れ果てているではありませんか。
ドアを開けると、伯母がやはりあの微笑みを浮かべて、椅子に坐っていました。
「おやまあ、ペッピーノ」
すっかり皺の寄った老婆に変わっていました。私を引き取ったときにはもう既に中年を越えていたのですが。
「伯母さん、どうしてこんな暮らしを?」
「私はね、みんな人にやっちゃったのよ。施しちゃったの。今は日々のパンにすら困るぐらいなのよ」
「あんたは偽善者だ」
私は思わず叫び出していました。今まで押さえに押さえていた感情が吹き出したのです。
「そんなことないわよ」
「子供時代の俺を苦しめてきたくせに、よくもまあぬけぬけと他人に施せるものだな。他に施す前に俺を何とかしてくれれば、こんなに苦労することもなかったのに」
そう震わせた私の手には、僅かに皺が寄っていました。
初めて、老いを知ったのです。
身を立てるために使った無用な時間を思いました。
「私は施すことしか出来ないのよ」
そう言って伯母はうっとりと目を瞑りました。
また怒りが湧き上がりました。私に社会的地位がなければ、その場で殺めてしまっていたことでしょう。
しかし、私は伯母をパヴェーゼに引き取りました。他に術がなかったからです。
一文無しになった伯母は、いつも部屋の片隅で微笑んでいました。
「あの人は何?」
妻は顔を顰めていました。妻にとってみれば全くの他人な訳で、冷たくなるのも仕方ないでしょう。当時子供も産まれたばかりで、伯母のようなタダ飯喰らいが家にいること自体が耐えられないかのようでした。
「まあ仕方がない。どうせ、すぐ死ぬんだから」
私は宥めたものです。
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