第十二話 肉腫(10)
それから一時間もせずに、雪を深く被った森の奥で二人は焚き火にあたっていた。サロメの遺骸はことごとく燃えていた。
「埋めてあげればよかったかもしれない」
フランツは密かに言った。
「そうすれば世界終末の時に生き返るとでも? あんな身体の状態でずっと大地に埋められてたら、それこそ可哀相です」
オドラデクは皮肉っぽく言った。
「いや、こんな見知らぬ土地で、と思ったら」
「考えてみてください。まだ、サロメの母親は生きているんですよ」
「そういや、あの死骸はどうする?」
すっかり忘れていたことに気付きフランツは自分の頭を叩いた。
「放っておきゃ良いでしょう。ぼくらに嫌疑はかかりませんよ。掛かるとして宿の他の客もそうだし、発覚した時には皆出ていった後でしょう。本人だって生きてますし、まあ不明な事件として葬られるでしょうね」
オドラデクは珍しく合理的に説明した。
炙られたサロメの頭蓋骨がぱきりと割れ、威勢のいい音が響いた。
「骨ぐらいは埋めてあげましょうか。焼け残ったらね」
木の棒で焚き火を掻き回しながらオドラデクが言った。
「何でこんなこと俺がしなけりゃいけないのだ」
フランツはぼやいた。
「かわいそうですね。あなたの目的はスワスティカの残党狩りだけだって言うのに」
哀れみ深くオドラデクは言った。
「お前になど哀れんで貰わなくてもいい」
「素直じゃないんだなあまったく」
オドラデクはやれやれと両手を広げた。
宿屋に戻ってみるともう辺りは明るくなっていた。土中深くまで骨を埋めるのに時間が掛かったのだ。
とは言え、列車の出発まではまだまだ間があった。
「おやまあ、皆さん、私の娘はどこに行ったんでしょうねえ」
心配したような様子で肉腫の中に入っていたもの――サロメの母親は宿の前を通りかかる色んな人々に話しかけてきた。
近づいてくる二人を見た途端、にんまりと薄気味の悪い笑いをまた浮かべて、
「こんにちはぁ」
と挨拶する。
「こんにちは!」
オドラデクは元気よく答えた。
「もう発たれるんですか?」
「はい、駅で待とうかと」
――勝手に話を進めている。
だが、もうこの母親らしきものとは顔を合わせていたくないフランツだった。何と言っても肉腫の中にいたのだ。
――俺たちのことも知っているに違いない。
そう考えるとなぜか身震いがした。
荷物は既に持って出ていたので、中に入る必要はない。
何と言ってもトランク一個に収まる程度なのだから。
足早にフランツはサロメの母親らしきものから離れた。
「お元気でー」
それは、朝の光の中朗らかに手を振っていた。
「あー、背筋が凍るようだ」
駅の待合室のストーヴにあたりながらフランツは言った。
「寒いですからね」
僻村の駅だ。人は他に誰もいない。
「薄気味が悪いんだよ、あれは、あの肉腫から出て来たんだぞ」
身体が温まって落ち着いたからか、フランツはやっと本音が吐けた。
「へえ、まあ分からなくはないですけどね。ルナ・ペルッツなら、こんな話、多く知っているでしょう」
「そうだろうな」
「当然楽しんだことでしょうね、ぼくみたいに」
「さあな、あいつもあいつで意外と恐がりだからな」
フランツはクスッと笑った。
過去の面白いエピソードを思い出したからだ。
ルナが苦手なものは実は結構多い。
その一つはネズミだった。
フランツは一時期ハムスターを飼っていたことがある。
長く滞在していた宿の部屋でベッドに寝転がって車輪をころころ回すハムスターを見つめるのが趣味だった。
にんまりと笑いながらてのひらの上へ乗せて眺めていたところ、
「何やってるの?」
とルナから声を掛けられてビクッとしたのだ。
後ろからコッソリと入ってきたらしい。
「うわっ!」
急いでハムスターを両手で隠した。
「いま隠したでしょ!」
いたずらっぽくルナは近付いて来た。
「見せてよ」
首を振るフランツだったが、ルナはしつこい。
「見せてったらさあ」
当時は今より幼かったこともあって諦めたフランツは、
「はい」
とハムスターをルナの掌に置いた。
ハムスターと眼が合ったルナは、
「ぎゃはああ!」
とか訳の分からない声を上げながら部屋を走り回った。
だが、手はしっかりとハムスターを持っていた。
推測するしかないが、投げてしまってハムスターが死んだりしたらと思って投げることが出来なかったんだろう。
さんざん走り回った後、ハムスターをベッドの上にちょこんと置いて、
「しっ、知ってるだろ。わたしはネズミが……嫌いなんだよぉ!」
と叫んだ。
フランツはたまらずその様子を見て笑い転げたものだ。
もちろんハムスターはちゃんと檻に戻して。
「何笑ってるんですか」
オドラデクが不機嫌そうな顔で聞いた。
「何でもない」
とは言いながらフランツはニヤニヤが止まらなかった。
「一人で思い出を噛み締めるなんて気持ちが悪いなぁ!」
オドラデクは大声で叫んだ。
「静かにしとけ」
そうは言ったがまだニヤニヤが止まらないフランツだった。
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