第十二話 肉腫(8)
「俺にそんな権限はない」
フランツは出来る限り冷たく演じようと努めた。
「嘘です。私はわかります。勘でわかります。あなたは多くの生命を殺めてきた方です。このような姿の私には生きていても何の価値もない。だから、その剣で殺してください」
「……」
「ねえお嬢さんさぁ。無理なことを言われても困りますよ。この人も忙しいんだ」
オドラデクが身を乗り出した。
「死にたいなら自分で死になさい。ほら」
窓まで歩いていき何も言わずに引き開けた。
冷たい夜風が舞い込んできた。いや、その中には雪すら交じっている。
「ここから飛び下りたら死ねるでしょう。低過ぎて無理でも凍死は出来る」
「止めとけ!」
フランツは叫んだ。
「死にたい死にたいって言ってるやつには死なせてやればいいじゃないですか」
いつになく怒りを込めてオドラデクは叫んだ。
――どうせ紛い物の感情なのだろうが。
フランツはなぜそんなことをするのか訳が全く分からなかった。
「……」
何も言わず、サロメはベッドから滑り落ちて床を這い、窓辺まで歩いていった。
フランツはその前に立ちふさがり、凍える思いをしながら窓を閉めた。
「死ぬな」
「なんで、どうしてあなたも私を死なせてくれないんです。あんな母親から逃れるには死ぬしかないのに」
「生きていれば何か、良いことがあるだろう」
月並みな言葉だった。それはフランツも分かっていた。
「世の中は私のような人間が生きていける場所ではないって言ったのはあなたでしょう?」
――その通りだ。
自分の放った言葉が返ってきただけだ。
「ううっ」
突然、サロメはうめいた。
「どうした」
フランツは思わず駆け寄っていた。
「背中が!」
「おい、灯りをもってこい」
「はいはい」
オドラデクはランプを近づけた。
背中の肉腫が、大きく膨れ上がっていた。真ん中の赤黒さは既に漆黒へ近付き、ひび割れのようなものが表皮に走っていた。
そのひびは、亀裂は、どんどん広がっていった。
「うっ、ううっ!」
サロメは濁った叫びをあげ続けた。
やがて肉腫は破裂した。
溢れんばかりの血が床に満ち広がった。
サロメは口を大きく開けたまま絶命していた。
「やだなぁ、掃除しなきゃ」
足の袖を血で濡らしたオドラデクは顔を顰めた。
素っ裸の姿が破れた皮から現れた。
見紛うはずはない。それはサロメの母親自身だった。
床に飛び散ったサロメの内臓を踏みつけながら、寝台に近付いていく。
「あら、ごめんなさいましぃ、ほほほほっ、こんなお姿をお見せしてぇ」
シーツで綺麗に血を拭き取りながら、お淑やかにも聞こえる声で笑って見せた。
フランツは背筋が凍るものを覚えた。
そして血の跡を床に残しながら部屋を静かに出ていった。
「何だったんでしょう、あれは」
流石に呆気にとられていたオドラデクは言った。
「お前がわからないのかよ」
フランツは皮肉った。
「ぼくだってなんでもわかるわけじゃないですよ」
とオドラデクが妙に真面目に返したその時だ。
「ぎゃああああっ!」
大声が廊下から聞こえて来た。
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