第十一話 詐欺師の楽園(5)

 ルナは怯えた表情で下を向いていた。


 あの時のようだ。


 話もせずおどおどと視線をそらしている。


「どうした?」


 ズデンカは訊いた。


「あいつだ……」

「誰だ? はっきり言え!」


「俺から自己紹介しよう。メイドさん――いえ、ヴルダラク・ズデンカ」


 ドードー鳥から声がまた響いてきた。


「何であたしの名を知ってるんだ?」


 ズデンカの名前は確かにルナの本に書かれているが、吸血鬼ヴルダラクということまでは明らかにされていない。


 滅多なことがなければ人に教えないのに、なぜこの声の主は知っているのだろうか。


「俺はカスパー・ハウザー。旧スワスティカ親衛部長だ。有名だから知ってるだろう」


「訊いたことはある」


 ズデンカは無愛想に答えた。


「悲しいなあ。詳細に知っていてくれててもいいじゃないか。ともあれ、フロイライン・ペルッツと俺は旧知の仲さ」


「その前に顔を見せろ!」


 ズデンカは鋭く言った。


 返事はなかった。


 ドードー鳥の口が開かれた。舌の代わりに階段が伸びてくる。 


 軍服で身を固めたハウザーは跫音も立てずに降りてきた。


 その白銀の髪が月の光に照らされて鈍く禍々しい光を放った。


 高く手を伸ばしてスワスティカ流のポーズをする。


「捧げる対象はもう死んでいるけどね」


 ハウザーはさもせいせいしたかのように晴れやかな顔で告げた。


 スワスティカの総統フューラーゲオルゲ・エッカートは敗戦ともに自殺を遂げていたのだ。


「お前、ルナに何かやっただろ?」


 ズデンカはハウザーを睨んだ。


 ルナは歯の根が合わないほど震え、顔を伏せていた。過呼吸になりそうなほど息が荒くなっている。


――こんなルナは、見たくない。


「俺のやりたいことは昔も今も一貫しているよ。シエラフィータ族との『対話』だ。平和的に互いの腹を割って話し合えば、理解できない訳がない。フロイライン・ペルッツともおなじ話を繰り返してきたに過ぎない」


「ご立派な言い分だな。だがあたしには信じられないぜ」


 ズデンカはルナの手を引いて近づいてくるハウザーから距離を取った。


「そこまで避けられるなんて、傷付くな。もう俺にはほとんど手下もいないんだよ。昔のような恐れられる存在じゃない。今は五人だけ。名付けて『詐欺師の楽園』。『火葬人』の連中はほとんど死んだし、残っているのも使い物にならない」


「訳のわからねえことばかしほざきやがって、これ以上近づいてくるなら」


 ルナを守りながら、ズデンカは吠えた。


「すぐ争いに持ち込もうとするあたり、野蛮だなあ。君たちのこれまでの旅路だってそうだった。君たちのやっていることは表現の破壊だ」


 二人を優しく受け入れるかのようにハウザーは大きく手を開いた。


「なんだと?」


「『鐘楼の悪魔』。君たちも知っているだろ?」


「あの糞みたいな本を作っていたのはてめえか!」


 ズデンカは驚きながらも警戒を強めた。


「心外だなあ。本を作ることぐらい素晴らしい行いがあるかい? そこには文化の継承がある。人間が往古から積み上げてきた知識の結晶が、本だ。それを君たちは」


 と言ってライターを灯し、その上に掌を翳した。


「燃やした」


 火が握り潰された。

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