第六話 童貞(2)
トゥールーズ人民共和国中部首都エルキュール――
「ちーん!」
エルキュールに着いてから鼻風邪を引いたのだった。
ちり紙をくちゃくちゃと丸めて、ゴミ籠に放り投げる。
外れた。
一つだけではない。籠の周りには投げ損ねたちり紙が輪っかのように広がっている。
「汚ねえな」
メイド兼従者兼馭者の
「なんでちゃんと中に入れられないんだ」
「わからない。自然とそうなっちゃうんだ。ちーん!」
ルナはとぼけた顔で言ってまた鼻をかむ。
「そんなんで今までよく暮らしていけたな」
「前にお手伝いさんは雇ってたよ。何人も来て貰ったけどすぐ出ていっちゃう」
ちり紙を摘まみ上げながらズデンカは複雑そうな顔をした。
ルナは狙いさえすれば金貨を見事に目標に当てられるのだが、なぜかゴミだけは籠に入れられないのだった。
「あたりまえだ。お前みたいなやつの面倒を見切れる輩なんて他にいない」
「我こそは見切れる、みたいな言いようだね。ちーん!」
ルナはまた鼻をかんだ。
図星を突かれたズデンカは黙ってちり紙を片づけ続けた。
「今日は出かけるつもりだよ」
「風邪が悪化するぞ」
ズデンカは心配だった。
「仕方ない。わたしが出たいんだから」
ルナは立ち上がって帽子を探した。
「まあまて、髪が解れてる」
片付けを終えたズデンカは手を拭き、ルナの後ろに立って、飛び出た髪を丁寧にブラシした。
さすがに美容師は兼任できないとしても、多少真似できるぐらいの自信がズデンカにはあった。
「くすぐったい! いらないよー!」
「まあそう言うな」
手入れしてやりながら、ズデンカはホテルの本棚に収まったルナの著作を眺めた。
ルナ・ペルッツの『
当初ガリ版刷りで出版されたその本は物語に飢えていた国民の心を捉え、ベストセラーになり、ルナは芳紀十六にして有名人になった。
――以前の経歴は一切不明ながら。
その後、第二、第三と綺譚集は一年毎に出版され、その度に売れに売れた。
初めてズデンカへの献辞が描かれたのは『第十綺譚集』。つまり、今年初めに出た本だ。
――まだあの頃はあたしも出会って日が浅かったな。
十年を一月ぐらいに感じてしまうズデンカも、ルナと手会ってからの一年は何度も何度も反芻する。
このホテルにある『綺譚集』は全てトゥールーズ語への翻訳だ。ズデンカはざっと目を通して見たが、
「あんなどうしようもない翻訳を放って置いていいのか?」
本棚を指差して言った。
「良いんだよ。お金にはなるしね。ちーん!」
ルナはまた鼻をかんだ。
「仕事にこだわりがないんだな」
「わたしは何にもこだわりはないよ。ゴミを籠の中へ入れることすらね」
「やっぱりわざとやってるだろ!」
「そんなことないよ。ちーん! さあいこう」
ズデンカはルナに帽子と外套を着せてやり、マフラーまで持ってきた。
「首が冷えないようにな」
グルグルと首の周りにきつく巻く。
「締め付けられるー」
「ガタガタ抜かすんじゃねえ!」
ちり紙入れを腕に持ったズデンカと、まだ鼻をかみ続けるルナは出発した。
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