第三話 姫君を喰う話(10)いちゃこらタイム

ヒルデガルト共和国シュミットボン郊外――


 

「あんだけの騒ぎだ。生存者と見なされたら官憲から事情聴取されるかもしれん」


 やれやれと言ったようにズデンカはつぶやいた。


 二人は馬車に乗ってシュミットボンを離れ去ろうとしていた。


「我々を調べても何も証拠は出ないだろ」


 ルナはまだパイプを燻らしていた。


「何も出なくても、しばらくは拘留される。ずっと同じところにいたらお前は退屈するぜ」

 

 ズデンカは言った。

 

「わたしのことがよく分かってるじゃないか」


 ルナは答える。


「分かりもするさ。いつも行き当たりばったりなんだからな」


 ズデンカは呆れた。


「大蟻喰? だっけは簡単に死にそうなやつじゃない。シュミットボンごと食い尽くすかもしれないよ。我々が留まっていれば救えた命かも知れない」


「それは……」


 ズデンカは躊躇った。


「ふふ。君が真面目に思い悩むのが面白くてあえて言った」

「お前なあ……」


 ズデンカは曰く言い難い声をあげた。


「わたしも君のこと分かってきただろ?」

「半分も分かっちゃいねえな」


「非常に厳しい答えだ。変な奴の相手はごめん被りたいのが人情だよね。我々の旅は人助けじゃなく、面白い綺譚おはなしを探しているだけなのだから」


 前発言で自分の心を惑わせたことの埋め合わせなのかとズデンカは頭の中で考えた。


「やつはお前のことを知っているようだった」


「あー、心当たりはあるけどね。でも全然姿が違う」


「違うのになんでわかるんだ?」

 

 ズデンカは訊いた。

 

「雰囲気さ。一緒の時間を過ごした者しかわからないね」


「誰なんだよ」


「言いたくないんだ」

 

 ルナはうつむいた。 


 ――またかよ。


 ズデンカは舌打ちした。


 心の中で微かに疼くものがあるのを感じる。と、言ってもズデンカが痛覚をなくしたのは二百年も前だ。


 身体の痛みについては、こんなものかと想像することしか出来ない。だが、感情の揺らぎをときどき覚え、それを疼きだと呼ぶことにしている。


 今目の前に現れた少女とルナが二人だけの時間を分かち合っているのだと考えると、疼くものを覚えるのだった。


「君は涙さえ流せる吸血鬼だけれど」


 ルナがまた話し始めた。


「脳はなくても、舌はあるんだね。君の臓器は」


「舌って臓器なのか?」


 ズデンカは疑問に感じた。

   

「そうだよ。バラしたら大蟻喰に食べられちゃうかもね」


 ルナは笑った。


「気持ち悪いこと言うな。長く生きてると切れることもあったが、すぐ元通りだったぜ」


「へえ、面白いね。でも脳がないのに、君はどうやって考えるんだろう」


 ルナは興味津々だった。


 ズデンカは困惑した。


「わかんねえよ」


「君はどんな風にこの世界を見ているのかな。わたしの場合、この目から見ている。視覚だね。聴覚があり、嗅覚に、味覚がある。触覚も」


 とモノクルを掛けた目、耳、鼻をクンクンさせながら出した舌を指差し、その手をひらひらと動かす。


「あたしも変わんねえよ。臭いと味には鈍いが、分かりはする。人間だったときと違うのは、痛みを感じねえだけだ」


「どう言う仕組みだろうね。君の頭の中には手で触れない『透明な幽霊』がいるのかな」


「なんだよその表現は」


 ズデンカは詩を書く。だから表現には厳しいのだった。


「誰かの詩からの引用だよ。君に限らず、多くの人間の脳の中にはこの幽霊がいるんだろう」


「あたしと脳がある人間が同じかよ。訳わかんねえな」


「意識それ自体が幽霊だろう。そういう意味なら君もわたしも頭の中に幽霊を飼っていることになる。脳があるかないかは大差ない」


「じゃあ、エルゼ王女や大蟻喰の中にもいるのか」


「あそこで語られた綺譚おはなしは王女じゃなきゃ語れないよ。一時にもせよ大蟻喰はエルゼの意識を宿したんだ」


 とルナはパイプを置き、手帳を開いて読み返しながら言った。


「難しいことはあたしにゃ分からん」


「大蟻喰は彼女のなりのやり方でエルゼに共感していたのかもね、って話だよ」


「あんな残忍なやつがねえ」


 ズデンカは信じなかった。


「王女は復讐の代償に喰われることを許した。ならよかったじゃないか。いずれにしろ、わたしじゃあ王女の願いは叶えられなかった。叶えたのは大蟻喰だ」


「……ほんとうに王女は幸せだったのか? 復讐を果たせたとして、あんな最期」


「君は優しいんだね」


 ルナはほくそ笑んだ。


「優しかねえよ」


 そう言い終えて、ズデンカは手綱を動かした。

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