第二話 タイコたたきの夢(8)
「お前が探してみろよ、いい屍体も見つかるさ」
助け船のつもりか、ズデンカは声を掛けた。
ハンスは怯えながらも、ズデンカが差し出すカンテラを頼りに、ハンスは抽斗を一つ一つ開けていって中を確かめた。
「おっ、おえっ!」
ハンスは嘔吐いた。腐りきって変色し、蝿が纏わった肌、膨れた唇。もう既に頭を潰されているものすらあったし、女の身体の中には弄ぶためか、各所が切り裂かれたものや強姦の痕すらあった。いや、女だけではない、ハンスより幼い少年は……。
「もう耐えられない! 何でこんな思いしないといけない? これじゃあ、死んだ方がましだよ」
「最後の抽斗が残ってるよ。開けてごらん」
ルナが言った。
「おい、ルナ」
ズデンカは止めようとした。
「開けてみなきゃ分からないさ。さあ、生きるためのリスクだ!」
ハンスは震えたまま動かなかった。
ズデンカが進み出て、抽斗を開け放った。
「嫌だ、苦しいって言ってるやつに嫌なことをやらせる訳にはいかないぜ」
「君は相変わらず」
ルナは微笑んだ。
ハンスは驚いて目を瞠っていた。そこにはハンスと同じ年頃、背格好の青年の屍体が横たわっていた。しかも、ハンスが着ていた軍服まで寸分違わず。
「顔見知り、だろうね」
「これは、俺が思い描いていた空想の……友達……うっ、うわーん」
それ以上は言葉が続かず、ハンスは泣きじゃくり始めた。
「君には友達がいなかったんじゃなかったかな?」
ルナはパイプに火を点した。
「今認めたんだよ、やつは。なんだよ……空想でも良いじゃねえか」
ズデンカの声も震えていた。
「しかし、実に興味深いね。君はわたしに嘘の話をした。嘘の中で架空の同僚は首を吊って死んだ。でも、実際は首を吊って死ねなかったのは君の方だった。ところが今ここに、まるで君の身代わりになってくれるかのように、彼の屍体が現れた。架空の存在が現実に現れたんだ」
ルナはそう言って鴉の羽ペンを取り出し、手帳にすらすらと書き付けていった。するといつしかその遺骸の顔立ちが流れ去るように溶けていき、ハンスのものへと変わっていった。
「面白い話を聞かせて貰ったよ」
そして、ハンスの肩へポンと手を置き、
「さあ、これを川に流そう。ズデンカ、遣ってくれるかな。君の力ならすぐにできるだろう」
「あいあい、分かったよ」
ズデンカは荒々しく叫んだ。
外へ出て屍体を川に沈めてしまっても、ハンスは暗い顔を浮かべたままだった。
「あれ、おかしいな。君はこれで自由の身になったはずだ。あの遺体はじきに川面へ浮かんできて騒ぎになる。兵舎を脱走した君だってね。そもそもあの屍体自体架空の存在だから消えても騒ぎになることはないだろう、なったとしてアデーレが揉み消してくれるし。良いことづくめじゃないか」
「普通に考えて明るい気持ちになれるかよ。こいつは将来の保証も何もないんだぞ」
「陸軍に見つかったら騒ぎになりかねないんで、この町はすぐに出た方が良いだろうね」
「お前はそうやって簡単に言うが、人間、すぐに気分を切りかえられるもんじゃねえぜ」
「もう人間ではない君がそれを語るのか」
ルナはくすりと笑った。
「普通に考えりゃわかるだろ!」
「わからないね」
言い合う二人をよそにハンスは黙り込んでいた。
ルナはその肩にまた手を置いて、
「将来が不安なんだろ。でも、生きている限りその不安は付きものだ。君の前にはまだなにもやってきてはいないのだから、楽にしたらどうだい?」
と言って親指を人差し指をピンと突きたて、銃の構えを作り、
「しけた幻想に報いあれ」
ハンスの頭を撃ち抜く真似をした。
その瞬間、はっとハンスの表情が明るくなった。
「そうだ、俺はまだ生きてるんだ。あいつは死んだけど」
「意気や良しだよ、ハンス君」
ルナは励ました。
ハンスを町の外へ送り出してしまうと、ルナとズデンカはアデーレの元へ帰った。
「なんだルナァ! まだ、予と話したいことがあったのだね。え、もしかしてそのクソメイドとは別れて、予と旅をしたいとでも言うのかな? 軍務は絶対だ。だがお前との愛のためならば……」
一人で悶えているアデーレを放置して、ルナはいつの間にか拵えていた書類をポンと手渡した。
「先日、ボッシュの町でややこしい事件に関わってね。報告書にまとめておいたから上へ通して貰っていいかな。町の連中はわたしを恨んでいるだろうから、後々追ってこられたら面倒だし。早い話がもみ消し工作だね。頼むよ」
ルナは上目遣いでアデーレを見つめた。アデーレはぶるんと身を震わせて、
「これはっ、予の職務を越えるものなのだがぁ! お前がどうしてもと言うならばあっ!」
書類の匂いを嗅ぐかのように、抱きしめるように持ちながら懐へと収納した。
「じゃあ、また機会があったら」
「どこへいくんだ? ぜひ予の休暇中に……」
「北上してヒルデガルト共和国へ向かおうと思ってる」
「共和国だと! 最近旧王族の処刑が行われるというではないか!」
ヒルデガルトは戦前は大きな王国として栄えたのだが、王族の熱い支持によってスワスティカに併合され、戦後開放された国だった。王族の多くは戦犯として捕らえられている。
「それで、だよ。面白い
ルナは颯爽と歩き去った。
「おい」
並んで歩むズデンカの声には明らかに怒気が含まれていた。
「ヒルデガルトに行くなんて、今初めて聞いたぞ、正気か?」
「至って正気さ。さっさと馬車を出してくれたまえ」
「パレードを見るんじゃなかったのか」
「ここではもう収集できたんでね」
「……」
結局、ズデンカはルナの言う通りにするのだった。
二人が乗り込むと馬車はゆるゆると司令部から走り出した。
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