End

「ごめんよ。君に対して酷い事を」

 ぎゅっと抱きしめる。ちおは唖然とした表情のまま虚空を見つめた。黒い翼はそのままだ。ややあって少し離れる。お互いに見つめ合った。

「なにも、思わないの」

 掠れた弱々しい声にかおるは視線を下へやった。二人のあいだにも黒い羽根が何枚か舞っている。

「実は昔、仲のいい子がそうだったんだ。だから驚かないよ」

 一枚摘まみ上げて微笑む。カラスにしては大きく、同時に光りを反射しないその特殊な性質にちおは俯いた。水分はとってはいるものの、食べ物は口にしていない。更に痩せて見えた。

「正直自分でも分からないんだけどね。どうしてたまに翼が生えるのか、そしてどうして黒くなってから引っ込まなくなったのか……自分の事もよく分かってないなんて」

 自虐的に鼻で嗤う。かおるは笑顔を消して手を伸ばした。頬に触れる。

「君だけじゃない。みんなそうさ。僕だって僕の事はよく分かってないよ」

 顔をあげる。潤んだ空色の瞳を見つめて微笑んだ。優しく、まるで天使のような笑みだ。

「さあ、何か食べよう。僕が作ってあげるよ。おじやでいいかい?」

 手を離しベッドから降りる。黒いワイシャツの袖を捲り上げた。

「あ、えっと、ありがとう」

 何か言いたい気持ちだった。だが自分でも言語化が難しいその気持ちに諦め、ありがとうという単語に少し込めた。かおるは戻って来た彼女の姿に満足しキッチンに立った。

 ぼうっと待っているのも何か申し訳なく感じて黒い羽根を集め出した。せめて一箇所に纏めておかないと、滑りやすくて転んでしまう。それにぴたりと抜けるのが止んだ今だからこそやれる行為だ。わさわさと部屋の隅に追いやった。

 そうしてこんもりと出来上がった黒い山を尻目に、軽く机のうえを片付けた。タイミング良くかおるが器を運んで来る。

「材料あったんだ……」

「うん。まあご飯は冷凍のものだけど、どうやら張間さんが」

 器に入れられた特製おじやを見つめていると心に染みる名前が聞こえてきた。木製のスプーンを手に取る。かおるはちおの横顔を観察した。だが別段悲しい色を見せる訳でもなく、一口含むと呟いた。

「美味しい」

 張間の事はもう自分のなかで整理出来たのだろうか、もぐもぐと食べだした様子にほっと胸を撫でた。

 ベッドの上でスマホを弄っていると小さく「ごちそうさまでした」と聞こえてきた。スマホをポケットに戻して声をかける。

「満足した?」

 振り向いたちおの表情は戻っていた。

「うん。本当にありがとう」

 それに優しい笑みを返した。

「なら、いいね」

 脈絡のない言葉に眉をあげる。

「ん、うん? ごめん、どういうこと?」

 呆けた面を見つめる。かおるの笑みに影が差し込む。

「さいごに満足出来たんだろう。ならいいよね」

 異様な雰囲気が取り巻く。ちおは何かを本能的に感じ取った。眉がさがり、同時に寄る。縦皺を刻みながら少し身を退いた。

 かおるは静かに立ち上がった。窓から差し込む太陽光が影を伸ばし、ちおに降りかかる。赤い瞳だけが光って見えた。

 ちおは恐怖が勝って言葉が出なかった。眼を丸くして首を縮めて座ったまま後に退こうとする。まるで獣に眼をつけられた小動物のように小さくなる。

 一歩かおるが踏み込むと脊髄反射のように後ろに身体を引きずった。然しがんっと机にぶつかり、その拍子にテレビのリモコンと漫画が落ちた。びくりと肩を震わせる。

 ちおは声を発する事も出来なかった。恐怖と共に混乱が彼女を襲っていたからだ。かおるの雰囲気が一瞬にして変わった事に、本能は恐怖をし理性は混乱に見舞われていた。

 ばっとかおるが右手を伸ばすと首を掴み上げた。尋常ではない力に身体が持ち上がる。じたばたと脚を動かして両手は彼の腕を掴んだ。喘ぎ声が無様に漏れる。

 かおるの背には大きく黒い翼があった。それはちおのものとは違い羽根がなく、言うなればサタンのような翼だった。

「天使には二種類いる」

 苦しみ悶えながら空色の双眸はかおるを見た。

「自身が何者であるかを自覚している者と、自身が何者であるかを自覚していない者」

「お前は後者だ。後者は都合がいい」

 本来であれば人間はこの時点で、自重も相俟って窒息死か失神しているはずだ。然しちおは生きているどころか、しっかりと光のある眼で彼を見つめていた。

「無垢な天使を叩き落として黒に染め、そして最後を俺達悪魔が食らう。そうすると何になるか、お前はわかるか?」

 優しい微笑みではない。愉悦に染まり切った下劣な笑みを浮かべ、更に力を入れた。野太い呻き声があがる。流石の苦しみと痛みに視線が外れた。

「俺達が食うのはあくまでも天使だ。じゃあその天使を食われたただの黒い塊は何になる」

 爪を立てて引っ掻く。然し血は流れず皮膚だけが捲れた。

「何にもならねえよ。ただ意識だけある黒い塊! 精々俺達の玩具になるだけだ」

 両手を広げて楽し気に笑う。ちおは鼻の上にも皺を作って睨みつけた。

「クソ、野郎が」

 その時、一瞬のあいだだけ赤い瞳がこちらを向いた。鋭い眼光、冷徹で無慈悲で同情する気もない、怖気の走るような瞳。然し今までよりも一層に赤く綺麗に輝いており、ちおは不覚にも美しいと感じてしまった。


 洞鶏ちおは行方不明とされていたが、一週間後、彼女の自宅に黒い球体が現れた。それを中心に血液が広がっており、同時につんっと鼻を刺すような腐敗臭もした。

 とても奇妙な物体だったが警察はこれを回収、解剖に回した。その結果、黒い球体は洞鶏ちおであると判明。なかからどろどろに溶けた身体の一部、髪の毛、臓器などが発見された為だ。

 遺体は引受人が拒否をした為、張間直子の両親が手を挙げてくれた。残っていた骨の一部を張間直子の隣に埋め、短い人生をそこで終えた。

 然しなぜ黒い球体が彼女の部屋に現れたのか。本来であれば死体の入った球体は悪魔達の所有物になり、人の前には転がさない。

『おい、約束通りあの女の球体はくれるんじゃなかったのか』

 学校の屋上でかおるはスマホを見つめた。気だるげな様子で文字を打つ。

『あいつは不味かった』

 味を思いだしたのか顔を顰める。ややあって既読がついた。

『なんだ。それならいらねえや』

 悪魔は無垢な天使に近づいて黒く染める。それから頃合いを見つけて食らう。天使を食われたただのそれは黒い球体となる。然し稀に不味い天使がいる。

 不味い天使の球体は欠陥品で、悪魔の玩具にはならない。だから捨てる。役に立たない欠陥品の玩具など、所有するだけ無駄だからだ。



 この世には対がある。太陽と月。影と光。色々なものがある。

 それらは等しく覆る事がない。常に突っ張り合ってお互いを正面から見つめているか、まるっきり視界に入れないよう背を向けている。

 捕食者と非捕食者も同じだ。それが覆る事は天変地異が起こったとしても決してない。

 然し近年、面白い話がある。

 捕食者である鳥の首に、非捕食者である蟷螂の鎌が突き刺さり仕留めたという話だ。

 覆っている。決してならない筈の対が正反対になっている。

 生きている者同士であれば、それが覆るのか?

 生きている者同士であれば、それが変わるのか?

 果たして蟷螂は鳥を食ったのだろうか。本来自分を食うはずだった捕食者を食ったのだろうか。そうして食った時、蟷螂は何を思ったのだろうか。愉悦か、興奮か、勝利か。

 きっとその感情は逆転した非捕食者にしか味わえないものだろう。そう、一冊の本を片手にしながら怪我の多い金髪の少女は一つのアパートを見上げた。

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モノクロのエリカ 白銀隼斗 @nekomaru16

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