第6話

 すっかり元気を無くしてしまったちおに張間は眉をさげた。何か言葉を投げかけても反応はない、まるで精巧に造られた人形のようだった。

「なんの羽根だろう」

 ちおがトイレにこもっているあいだ、張間は軽く掃除をしていた。然し黒い羽根一枚がベッドの下に残っていた。従来の白い羽根と違って消える事がなく、ちおは粗方かき集めるとゴミ袋に纏めて見えないようにしていた。

「作り物には見えないなあ……」

 鳥の羽根と姿形は同じだった。然しカラスにしては大きくしっかりとしている。張間は怪訝に思いながらもゴミ箱に捨てた。

 今度は夕飯を作ってラップをかけておくとバイトに出掛けていった。テーブルに置かれたそれらをちおはじっと見つめた。あの一瞬で別人のように顔つきが変わっている、暗く鬱々とした色、とても女子高校生だとは思えない程老けて見えた。

 そんな彼女の事を心の片隅で心配しながら張間は仕事を続けた。自身の為でもあり、ちおの為でもある。張間にとっては愛しい妹のような存在だ。

「あ、佐竹山君」

 ふっと営業スマイルから極々自然な笑みに切り替わった。眼前には私服姿のかおるがおり、手にはかごを持っていた。

「どうも」

 張間は商品のバーコードを読み取りながら、何気なく訊いた。

「ちおちゃんに連絡とか、した?」

 したか否か、それ以外に質問の意図はなかった。然しかおるは少し睨むようにして彼女を見たあと、微笑みを浮かべて訊き返した。

「しちゃダメでした?」

 張間は軽く驚いてから慌ててかぶりを振った。自身の訊き方が詰めるようなものだったと、その時理解した。

「ううん、全然そんな事はないの。ただ私以外に頼れる人って、多分佐竹山君ぐらいしかいないだろうから……それで」

 微苦笑を見せる。かおるは数時間前のやり取りを思いだしながら、悲しみの籠った微笑を口に貼り付けた。

「そうですね……まあ他愛のない会話をしましたよ。ただ彼女は人を頼るのが苦手ですから、無理矢理笑ってるようでしたが」

 全てのバーコードを読み取って合計額が表示される。かおるはそれを見て財布から千円札を取り出した。

「……ちおちゃん、かなりやつれてたから、たまに電話とかしてあげて。多分いい気分転換になるだろうから」

 小銭を出す前に張間が身を乗り出す。かおるはそれに一つ呆けた面をしたあと、爽やかな笑みを浮かべた。

「はい、勿論」

 ちおにはもう、張間しか頼れる者がいなかった。だが彼女は人に頼る事や弱音を吐き出す事が苦手で、無意識に偽る癖があった。

「本当に大丈夫なの?」

「うん、大丈夫。それより張間さん、今年で大学最後でしょ? そっちに集中してよ」

 隈を作ったまま口角をつりあげる様子に、彼女は泣きそうな顔になって抱きしめた。唐突な行動にちおは眼を丸くしたが嫌な気はしなかった。

「何かあったら、本当に、気にせずに話して」

 耳元で優しく、そして力強く言葉を紡がれる。それが出来ていれば、ちおは恨めしく自身の性格を嘆いたが、ここまで良くしてくれるのなら少しぐらい打ち明けてしまってもいい気がした。次、張間が訪問してきた時、泥沼の表面だけでも話してみようとちおは思った。

 朝、速報が世間を駆け抜けた。

『東京都某所にて、二十代女性のバラバラ死体が発見される』

 ショッキングな内容にネット上は湧き上がった。被害者に手を合わせる者、事件を茶化す者、論ずる者。快不快が入り乱れたなかで被害者女性の知り合いが呟いていた。

『なんかピアスした男子高校生と最近仲良かった気がする』

 脈絡のない呟きに誰も反応する事はなく、呟いた本人でさえ数時間後には忘れていた。

「ああ」

 ちおの部屋は黒い羽根で埋もれていた。床が殆ど見えないぐらいに黒く染まっており、ばさばさと絶え間なく抜け落ちていく。

「あああ」

 頭を抱えて蹲る。ベッドのうえが一番多く、こんもりと積もった羽根が力を無くして床に散らばった。

「あ」

 髪はぐちゃぐちゃで眼の周りは暗く、ストレスのせいか少し痩せていた。元々よく食べる方で健康的な体型だった分、病人のように見えた。

 バラバラ死体の被害者は張間直子。ちおの傍にいたあの張間と同一人物だ。バイト終わりの深夜十二時から一時の間に殺害され、解体されたあとゴミ袋に詰められた。そして公園にあるトイレの裏に遺棄された。

 然し指紋どころか皮膚の一部や髪、服の繊維なども発見されず、防犯カメラ等にも一切彼女の姿がなかった。犯人の足取りが全く分からない、手がかりの一つさえない。警察はこの事件に早速頭を抱えた。

 張間の遺体は全て鹿児島県にいる両親のもとへと送られた。勿論親はちおの存在など知らないし、身内に彼女の事は含まれておらず、知ったのはニュースとして世間に発表されてからだった。それから警察がちおの家賃を張間が負担していた事を知る。

「そのままで構いません。張間直子さんについて教えて頂けませんか」

 扉の前で立ち尽くす。翼はニュースを見てから以降消える様子がない。その為扉を開ける事は出来なかった。

「張間直子さんは貴方の家賃を負担していたそうですね」

「はい」

 低く感情のない返事だった。だが警察は彼女が高校一年生である事を知っている。丁寧な口調のまま言葉を選んだ。

「何か借金をしているとか、そういうのはなかったですか? それっぽい雰囲気があったとか」

 ちおは拳を握り締めた。

「張間さんはそんな事しません」

 強く突っぱねるような声音に警官は驚き、すぐに返した。

「ごめんなさい。張間直子さんを悪く言うつもりはなかったんです。じゃあ、友人関係とかはどうでしたか? コンビニでアルバイトをしていたようですが、誰かに迷惑してるとかいうのもなかったですか?」

 すぐには答えられなかった。ただ知っている範囲を彼女は素直に伝えた。

「私とも繋がりのある佐竹山かおるって人と知り合いなのは知ってます。他は分からないけど、普通に大学生の友人関係って感じでした。客は……特に何も言ってなかったです」

 そもそも自分に対して張間は何かを愚痴った事がない。常に笑顔でちおの事ばかり気に掛ける。そこのところに彼女は一種の親近感を覚えていた。

「佐竹山かおる……それは貴方と同じ学校の生徒?」

「はい」

「男の子?」

「はい」

「どんな人物です?」

「優しくて物知りで冷静で、ハッキリしてる人、です」

 数日前の電話を思いだしながら話したせいで、上手く言葉に出来なかった。かおるとは喧嘩をしたままでメッセージでさえ連絡はない。彼女には勇気がないし、なにより疑ったくせにいけしゃあしゃあと挨拶を飛ばせる道理がない。

「分かりました。それ以外には何もありませんか?」

 警官の声に少し記憶を探って答えた。

「ありません」

 形式ばった最後の言葉はちおには届いていなかった。その時には既にベッドへ戻っていたからだ、精々籠った声が聞こえるのみ。

 かおるのもとに警察がやってきた。扉を開けて対応する。

「ええ、張間直子さんとは何度かやり取りを。元々コンビニの客で顔はお互いに知っていて、洞鶏さん経由で連絡先を交換しました」

 いつもの爽やかな微笑を浮かべたまま正確に答える。とても好印象で疑うべきところなど何も無いように見えるが、経験の深い中年の警官は一瞬鋭い眼差しで見下げた。

「なるほど、では九月十九日の夜十二時から一時のあいだは、何をしていましたか」

 その質問に少し笑みが消える。

「僕を疑ってるんですか」

 警官は表情を変えずに肯いた。

「少しでも関わりがあればね。何しろ今回の事件は手がかりが何一つありませんから」

「なら洞鶏さんも」

「ええ。私じゃなく若い奴が行きましたが疑う余地はないと」

 鋭い眼光を隠しもしなくなった警官にかおるは笑顔を完全に消した。視線を逸らしたあと、軽く溜息を吐いて質問に答えた。

「家にいましたよ。ただ一人暮らしですし、誰とも連絡は取り合ってなかった」

「ではアリバイはなし、になりますね」

 中年の警官と男子高校生の間には隠し切れない火花が散っていた。かおるは背筋を伸ばし、手先を軽くポケットへ入れた。

「データは残ってますよ。執筆のね」

 ふっと自信あり気な微笑に変わる。警官は眉根を寄せて詰め寄った。

「それを見せなさい。こちらも高校生を疑いたくはない」

 かおるは軽く両方の掌を見せた。

「パソコンを持ってきます」

 すぐに引き返しノートパソコンだけを手にとった。開きながら玄関に戻る。一つのファイルを画面に表示させ警官に見せた。

「開始時刻は十一時二十五分。終了時刻は二時ちょっと。これでも足りないでしょうから、もう一つ見せましょう」

 パソコンを自分に向けると軽く操作をし、また見せた。そこにはライブ配信サイトのアーカイブが表示されており、サムネイルには執筆アプリが映されていた。

「喋りながら執筆してました。閲覧者もいます」

 とんっとタッチパッドを叩くとアーカイブが再生された。パソコン越しのかおるの声が聞こえてくる。警官はじっと見つめたあと「もう大丈夫です」と身を退いた。

 再生をとめてノートパソコンを畳む。警官は鋭い眼光のまま軽く頭をさげた。

「疑って申し訳ない。君は何も関係がない。ただ何か、張間直子さんに関する事を思いだした時は連絡をしてください」

 それだけを言い置くと傍に突っ立っていた若い警官を叩き、足早に去っていった。かおるは一つ溜息を吐いて力を抜いた。笑顔は完全に消えていた。

 扉を閉めて鍵をかける。部屋の中心に戻った。

 彼の部屋は、個性的だった。いや悪く言うなら悪趣味、異様な姿をしていた。悪魔崇拝のシンボルやアイテムなどを所狭しと飾っており、どこから買ったのか本物に見える頭蓋骨が転がっていた。

「やはり操って正解だった」

 ノートパソコンを机に置いて背筋を伸ばす。刹那、ばさりと音を起てて黒々とした翼が見えた。それは彼の背中から顔を出している。

「さて、いい加減あれを食いに行くか」

 かおるは独り言を呟くと狭い部屋のなかで翼を広げ、先程と同じように伸びをした。

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